ご訪問いただきありがとうございます。 先日、近所に住むhidakaのお友達を誘って、雪山のある公 […]
ご訪問いただきありがとうございます。
先日、近所に住むhidakaのお友達を誘って、雪山のある公園に、そり遊びに行きました。
子どもたちを、雪山で遊ばせていると・・・
小学生低学年くらいの男の子が、私たちに話しかけてきました。
「こんにちは!ぼくの名前ねー○○○○です。」
私たちmama「こんにちはー!お兄ちゃん、ちゃんとあいさつして偉いね。学校もう終わったの?今日は早かったんだね。」
と、「しっかり挨拶できて偉いねー。」と、ママ同士顔を見合わせて、「よろしくねー。」と、同じ雪山で遊んでおりました。
私たちは、まだ未就園児の身体が小さな子どもたちに、ケガさせないように、他の遊んでいる子達に、そりで体当たりしてしまい、ケガをさせないように、気を張り、遊ばせておりました。
しばらくすると、先程、あいさつしてくれたお兄ちゃんが、「ねぇ。みてみて!」と、私たちにアピールしております。
少し急な坂を、そりで滑るところを見て欲しかった様子でした。
私たちが注目すると、勢いよくお兄ちゃんは坂を滑っていきました。
そして、こちらに顔を向け、にっこり笑顔です。
「おー!!もう小学生にもなれば、こんな急な坂も降りれるんだね!すごいねー!」と、我が子どもたちにも「お兄ちゃん、すごいねぇ。」と、注目を促し、“お兄ちゃんへの憧れ”へ気持ちを向けたりしました。
しばらくすると・・・先ほどのお兄ちゃん。またまた、「ねぇ!みてみて!」と、私達へアピールを示しました。
今度は、そりに寝転がり、ちょっと変わった滑り方の提案でした。
ザザザザーと滑っていき、雪山の下で、こちらへ向け、にっこり。
「おー!こんな滑り方もあるんだね。まねしてみようか!」と、ちょっとマネしたりして、楽しんでおりました。
・・・しばらくして、雪山からは降りて、雪が積もった遊具の近くで、雪だるまなどを作って遊んでいると・・・
「ねぇ。みてみて!」
先ほどのお兄ちゃんが、遊具にぶらさがり、こちらを見て!のアピールをしております。
「あ・・・・ぁ。お兄ちゃん、すごいねー!」
その後も、お兄ちゃん、私たちへの「みてみて!」アピールが凄まじかったです。
ママ友達と、こんな話しをしてしまいました。
「普段、お父さん、お母さん忙しいのかね・・・?あまり、構ってもらっていないのかな・・・?」
そのお兄ちゃんの、社交的な一面は、「みてみて!」のアピールが続くことによって、何やら私たち大人には、寂しいものに映ってしまったのでした。
最近、公園で遊んでいると、同じように、声を掛けてくる子どもたちがおります。
子ども同士でわいわいと遊ぶのではなく、大人からの「褒め」を要求してくる子ども達。
・・・何やら考えさせられます。
褒める子育てはもう古い?「認める」子育てのすすめ 自信とやる気に満ちた子どもに育てる9の方法
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褒める子育ての現状
日本の古き時代には、子どもは厳しく育てるという風習がありました。その時代の子育てというのは、家庭の中にもおじいちゃん、おばあちゃんだったり、近所の大人達であったり、様々な人が、子どもに関わる環境というのがあって、誰かが厳しくしても、子ども達の中で甘えられる場所や、気を抜ける場所というのが必ずあったのです。
ですが、現代になり、核家族化やご近所活動の疎遠が広まってからの、“厳しい子育て”というのは、叱ってばかりの子育てになり、逃げ場がなく、子どもを委縮させ、自己肯定感が低下してしまうという考えが広まりました。
そこで注目されたのが、子どもを褒めて伸ばすという、“褒める子育て”です。
一時ブームになり、褒める子育てを推進した著書が爆発的にヒットしたりしました。
しかし、“褒める子育て”が広がる中で、一部で褒める子育てという響きだけに囚われ、褒めるだけの子育てに偏っってしまったり、間違った認識により、結果への評価という、プレッシャーの多い子育てになってしまうという、歪んだ養育環境を生んでしまい、俺様気取りで努力をしない子や・根拠のない安い自信が育ってしまい、自信が脆く、すぐにやる気を失う無気力な子・評価だけに注目される環境で育ち、自分を見失ってしまった子というのが、多く注目されるようになってしまいました。
そのことにより、“褒め方の質”というのが、現代では問われるようになってきております。
認める子育てとは?
“認める子育て”とは、2つ視点での認めが生じて初めて成り立ちます。
1つ目は、親が我が子を認めるという視点です。
何の色が付いていなかったまだ赤ちゃんの頃、無条件に我が子の誕生を喜んだことを思い出して下さい。その気持ちが、存在を認めるということなんです。子どもにとって、存在が喜ばれるということが、何よりも認められているということなんです。
2つ目は、我が子が自分を認めるという、自分が自分を認めるという視点です。自分が自分を認めるということは、“自己肯定感”という言葉で表現されます。
自己肯定感というのは、人が生き生きと生きる為に、最も大切で、自分を信じる気持ちが、新しいことへの挑戦への力になったり、自分の得意を感じ、長所を伸ばそうとする力が、人を輝かせるのです。
現代の育児では、この自己肯定感を大切にすることが注目されております。
自信とやる気に満ちた子どもに育てる9の方法
1.当たり前のことに感謝する
認めるというのは、我が子のありのままを受け入れることはもちろんなのですが、大切なのは、その“ありのままの存在を喜ぶ”ことなんです。その中に、褒める時のように、もっともっとという、期待の気持ちが隠れているのでは、“認める”というものにはなりません。
親からみて、当たり前に我が子にあるもので、素敵だと思えるものを、認め、喜び、感謝するのです。
例えば、hidakaは、笑顔が素敵です。お友達のママにも言われた事があるのですが、「ひだかくんの無邪気な笑顔が好きだなー。何だか癒されるんだよね。」と、少しヒーリングのような効果が(笑)あるようです。これは、生まれながらに持っている、hidakaの「私が素敵だ!」と思えるものです。
「あなたは、笑顔が素敵だね。ひだかの笑顔を見ていると、みんな心が温まるよ。」というように、生まれながらに持っている、その子のいいところを見つけ、そのことを喜び、感謝して、言葉で認めている事を伝えるのです。
そういう我が子の生まれながらに持ったいいところを、自然に伝えるクセを付けていくと、私たちが子どもの“ありのままの存在を喜んでいる事”が、伝わっていきます。
2.可愛がる
可愛がるとは、“特別だよ”と伝えていく事なんです。
その方法で、代表的なのが、スキンシップです。頭をなでたり、ほっぺに触れたり、抱きしめたり、抱っこしたり、背中を優しくぽんぽんしたり、笑い合ったり、優しくみつめたり。スキンシップをとると、“あなたは私の特別なんだよ。”と、優しく伝わっていきます。
他にも可愛がる方法はあります。私たちは、お友達の子どもで、どんなに愛らしく可愛い子がいても、我が子よりも可愛がるのは、難しい事なんです。他人の子と自分の子を比較してしまうのも、我が子が他よりも秀でている部分を探しているから。人よりもできること・好きな事・秀でていることに、気が付き、そのことを喜び、誇りに思う事は、可愛がることなんです。
hidakaは、数字が大好き!先日、何気なく紙に数字を書き出していたので、夫とふたり、「何の数字だろうね・・・。」と、話しておりました。そして・・・「・・・!?・・もしかして・・・これは・・・」と電卓片手に、計算してみると、なんと消費税の税込前と税込後の数字を書き出していたのです。かなりの量です・・・。
スーパーなどに通う中で、覚えてしまったのだと思います。「税率変わったら、使えないね・・・苦笑。」とちょっぴり皮肉なことも言いたくなりましたが、「ひだか!!すごいでしょー!よくこんなにいっぱい覚えたね!」と、夫婦で大絶賛して、可愛がったりしました。
3.一人の人として尊重する
子どもを一人の人として尊重するとは、どういうことでしょうか?
方法は簡単です。「あいさつ・ありがとう・ごめんね」を、きちんと大切にして、子どもと接することです。
この3つがしっかり大人になるまで身に付いていれば、一人の大人として、周囲に認められます。
我が子を尊重することにより、“人を尊重出来る子”に育てるのです。
人間関係というのは、常に相手を認め、受け入れ、自分も認められて、受け入れてもらうということで、深い関係を築いていくことができるのです。
4.子どもの話しを尊重し、いつも親身に聞く
人というのは、自分が感じた事、思っている事、考えている事を話し、共感してもらうのが、本来は大好きで、そういう意味では、誰もがお話好きなのです。
私たちもそうですが、相手を信頼し、話したいと思い、話しはじめ、その話しを親身に聞いてくれる人に、好意を持ち、さらに信頼感が高まることに、間違いはないのではないでしょうか?
いつだって、話したいという気持ちに、親身に応えてくれる姿勢は、自分の存在を認めてもらっている証拠です。
そして、「それは、こうだからだよ!こうしたらいいんじゃない?」という過剰な干渉よりも、「そうか。そうか。○○が○○だったんだね。(オウム返し)もしかすると、こういうことだったのかもしれないね。どうしたらいいと思う?こうしたらいいかな?それとも、こうしたほうがいいかな?」というように、一緒に悩みながら、自分で道を選ばせるということを、丁寧にやってあげることが、子どもの生き方を尊重し、人生の先輩として、親の意見を聞いてみようという姿勢が身についていく方法になります。
子どもの話しを尊重し、いつも親身に聞き、導いていくのです。
5.食事を一緒にする
食事の時間というのは、日々の喧騒から離れ、少しホッと一息つく時間として、利用されている人が多いと思います。
終始ぺちゃくちゃ話すというのは、おすすめできませんが、今日あった出来事や、嬉しかった事、楽しかった事などを、顔を見合わせて話しやすく、共有し合うということが、できやすい時間です。そのような時間は、家族にとってどれだけ大切な時間になるか、はかり知れません。
そういう時間を、意識して作っていく必要があるのです。
夫婦でも、晩酌を一緒にすることにより、いつまでも仲の良い夫婦を保っている家庭もあります。家族以外でも、会社の接待や、食事会、ランチ会や飲み会というように、食事の時間というのは、リラックスでき、いつも親睦を深める為に、利用されています。
食事の時間は、慌ただしくとるのではなく、ゆったりとコミュニケーションをとり、仲を深める時間として、活用しない手はないのです。
6.子どもを知る
子どもを知ると、“叱ること”“褒めること”のバランスをとることができます。
“叱ること”“褒めること”も認めることなんです。
“叱る”という視点で考えた時には、「子どもにとって何がいけないことなのか?」を考えます。許せない事ってなんなんでしょうか?子どもをよく見つめて、知っていないと、本当の意味で許せない事って感じられないのです。
“褒める”という視点で考えた時には、どうでしょうか?褒めて欲しいと、子どもが感じているときに、気付いてあげられないのでは、「パパやママは私のどこを見ているんだろう?」と、疑問に思われても仕方がありません。そして、褒められると思っていない時に、パパやママがよく見ていてくれ、気が付いてくれて褒められた時、どんなに嬉しいかも、考えていくことができます。
やはり、子どもをよく知ることなく、“叱る”や“褒める”という行為が、才能や結果だけを見たものだったときに、その子の評価の基準が歪んでしまうという結果を生んでしまうのです。
子どもが今何にチャレンジしているのか、何に努力を重ねているのか、よくよく知っていなければ、“叱ったり”“褒めたり”することなんてできないのです。
7.否定・無視しない
親が子を傷つけてはいけないのです。
大人になった今でも、心に残っている傷は何なのでしょうか?思い返すと、親に否定や無視されたものが大半を占めている事を感じます。
親に傷つけられた傷は、一生癒えることはありません。人生で何度も何度も思い出し、自分に自信をなくし、心にぽっかり穴が空いている、寂しいものになっております。
私の子どもの頃の家族は、普通の家庭です。特別、虐待などを受けて育った家庭ではありません。両親には愛されていたと感じております。
でも、私たちの親の世代の子育てとは、核家族化になり初めの頃。まだまだ厳しい子育ての根が深く、少しバランスを崩しはじめていた頃だったのではないかと、今は思っております。
母親はしつけの一環として、「あなたは自分のことばかり考えている。そんなんじゃ、誰も認めてくれないよ。」や、欲しいものを欲しいと言い、譲らなかったときに、「もう知らない。勝手にしなさい。あんたなんて知らない。出ていきなさい。」そしてしばらく無視。というような、人格を否定する言葉、親を敬わなかった結果としての無視というのが、たまに使われていました。
どんなに、褒め、認めてもらい、可愛がられても、大人になっても尚苦しめられるのは、親の否定の言葉や無視の傷なのです。
どうか、親が子を傷つけてはいけないと、心に誓ってください。
親がそんな厳しいことをして、子を傷つけなくても、社会に出れば、子はたくさんの傷をつけてきます。その傷を癒してあげる事が、私たち親がするべきことなのです。
8.過干渉しない
“認める子育て”に、干渉は最低限でいいのです。
その“認める育児”の大半は、子の成長を待つことにあります。
待って、認め、待って、認め、待って待って、認め、待ちに待って、ようやく認めることができた!の繰り返しなのです。
いつも、親が認めることは、道徳的に善の方向・するべき姿・あるべき姿なのです。なので、干渉しすぎなくても、“認める”ということを、しっかりしていけば、道を間違えることはないのです。
どんなに子どものことを心配し、「ああしろ!こうしろ!」というのを、示していたとしても、過干渉になりすぎると、自信が上手く育たず、無気力な子になっていってしまう可能性があることを、忘れてはいけないのです。
9.励ます
どうしても、どうしても負の感情というのは、人間だれもが持っているのです。
私も、日々人として、親としてどうあるべきか、「こういう考えが浮かんでしまうのは・・・」人格としてもう一歩高みを目指すには、どのような考えをすることが好ましいのか。どのように成長すれば、どのように考える事ができれば、自分は納得するのか、ということを、非常に深いショックを乗り越えたときに(→言葉の遅れが気になる我が子・・・もしかして!?障害かもしれない?人が非常に大きなショックを受けた時に前向きになるまでのプロセス4つ)、深く思い悩み、考えを巡らせることによって、視野が広がり、考えられるようになってきております。
それでも、拭い去ることなんてできないんです。負の感情というのは誰もが持っているのです。
これが、まだ人生経験の少ない子どもなら、尚更ではないでしょうか。まだまだ未熟な人なのです。
そんな未熟な子どもにどのように接していけば、人格として少しずつ成熟していくように、導くことができるのでしょうか?
大切なのは、“励ます”ことなんです。
どんなに小さな子供も、様々な経験をして、いろいろな考えを感じ、成長することにより、等身大の自分の心情の至らなさを認め、その至らなさを乗り越え、一歩進もうと頑張っているのです。
おもちゃの取り合いもそうでした。順番を守る事もそうだったと言えると思います。
自分の負の感情と葛藤し、乗り越え、人として成長を重ねてきているのです。
その従来縛られていた考えから飛躍し、成長しようとしているのです。その道徳的にあるべき姿というのを感じとり、次のステップへ進むという道に気が付き、乗り越え、成長しようとしていること自体、素晴らしい事なんです。
怠けたい。羨ましい。楽したい。一人占めしたい。思うようにしたい。というような、負の感情があることを、人として当然であると認め、その感情を乗り越えようとしている子どもを、
「大丈夫。」「あなたなら大丈夫。」「大丈夫。見守っているよ。いつもあなたを応援しているよ。」と、励ましてあげてください。
その励ましが、子どもの心に温かく伝わっていき、必ずその負の感情を乗り越え、人としての高みを目指し、成熟していってくれます。
そうして、自分でどうすべきかを考え、自分を作っていくのです。
親が、生涯に渡って、大きな愛で包み、人として成熟していくことを励まし続ける事が、自分に自信を持ち、自分の道を自分で切り開き、歩んでいくということを目標にしている、現代の“認める育児”のなかで、最も重要なことになると、私は思っております。
まとめ
今回の記事を書きながら、「自分はどうなんだろう?」と考えを巡らせてみました。
様々な苦手な事を抱えております。シングルフォーカスな傾向があり、マイペースで、自分のペースを乱すとおっちょこちょいで、本当は自分中心主義なのですが、他人にはお人好しになり、気の強い相手だと、良いように振り回されてしまい、疲れ、いらない気を遣い、対人面では器用な方ではないのかと、最近は感じております。
でも、育てにくい子を強い意志であきらめることなく育て、親としてどうあるべきかを考え、魅力ある人になるべく日々精進し、やる気に溢れております。
そういう意味では、私は“自分は人として成熟していくことができる”と、自分に自信を持っているのです。
だから、このブログを発信しているのです。
私の母は、他の兄弟と私を比べる事に、気を使っていたと話した事がありました。
ひとつ上の姉とは、同じタイミングで習い事をはじめたりすることが多かったようです。
私は姉とは違い、過集中傾向にあり、習い事や勉強では、姉よりも出来る事が多かったと、感じております。
そういう特性により、姉よりは、結果が出やすかったのです。
母は、姉を思い、私を褒める事をしなかったようです。褒める事ができないその環境を、「・・・この子にとって、これでいいのかな・・・?」と、母も母で悩んだことがあると、大人になってから聞かされた事があります。
でも、私は「母に褒められなかった。」と思った事は、一度もないのです。
実は、褒めることができなかった環境が、多くの“認め”を生み、過度な期待に悩まされることなく、私は、常にやる気に満ち溢れ、自分の道を歩んできました。進学や習い事の鍛錬、就職に仕事、家庭に育児と、自分を鍛えるべく、まっすぐ道を進んできたのです。
母はいつも私に言っておりました。
「あなたなら大丈夫。」
それは、結果が大丈夫というものではなく、「結果が出ても出なくても、あなたならいつだって前を向いて走っていくことができるでしょ?だから、大丈夫なのよ。何の心配もいらない。」
ということと、感じておりました。
hidakaが3歳児健診で引っかかり、絶望して、道を見失い、助けを求め、母に話しに行きました。
そこでも、やはり、母は、私と同じようにショックを受け、涙を流しておりましたが、「あなたなら大丈夫。」と、何度も私に言い、信じて、励ましてくれたのでした。
誰かに認められ、自分を信じている人は、心が強いです。
心が強い人は、他人からの評価に一喜一憂することはありません。
心が強い人は、相手を思いやることができ、自信に溢れ、やる気で輝いております。
生きていれば、「もう二度と立ち上がることができないのではないか・・・」と、絶望し、自信を失い、深い闇に身を委ねてしまうこともあります。
でも、「自分は大丈夫。」と立ち上がり、また前を向いて、しっかり地に足をつけて歩んでいくことができる、心の強い人に。
私は、hidakaをそんな人に育てたいと思っております。
育児の方向性に迷いのある方の、参考になれば幸いです。
お読みいただきありがとうございました。
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