ひだかについて
言葉の遅れ・落ち着きのない子・よく泣く子
ちょっと気になる子をお持ちのお母さんのほとんどの方はインターネットで子供のことを調べたりするのではないでしょうか?
▼発達の遅れに気付くまで
ひだかの言葉の遅れが気になっていた私も何度となくネットで調べたりしていました。
でも根本的に障害の話しなんてほんと不思議なほど思っていなかったんです。
悩み相談するのはひだかが赤ちゃんの頃からお友達になり、共に励まし合い、ママとして成長してきた定型発達の子の第一子のママさんたち
みんな口々に「うちもこんなときこうだよー。ひだかくんは○○だからいいしょー」「ひだかくんは大丈夫!どんどん言葉は増えるよ。うちの知り合いの○○くんも言葉遅かったよー」という励ましに甘え、焦ることなく、ほんとのびのびと育てていました。
しかし・・・
3歳が近づき・・・明らかに違うんです!よく目が合い、みんなはママに言葉を使って主張してくるお年頃。
目が合いにくく、いつまでも言葉が増えないひだか。
気持ちはどんどん不安に・・・
ママ友達も「ひだかくんは大丈夫だと思うけどなぁ・・・」と少し不安に。でももう一歩背中を押してくれる人には出会えず。間近に迫った3歳児健診で相談しようということになりました。
▼3歳児健診
明らかに周りと違う幼さ
腫れ物に触るかのような対応
児童精神科を紹介されたという事実
あれこれ推測しても不安に思うだけ。詳しいことは病院で聞いてみようとは思ったものの、次の日早朝、眠れずに起きてひらいたパソコン・・・
男の子 言葉の遅れ 急に言葉が増える 爆発期・・・などの情報を超えると・・・
発達障害・自閉症・広汎性発達障害というページに行きつきました。
その中で自閉症の子の幼少期の症状がとてもひだかの現状に似ていたのです。
・・・ひだかは定型の発達から社会性、言語発達で大きく外れており・・・
障害があると思ってしまったんです!
あのパニックは今でも忘れられません。
息ができなくなり「どうしよう・・・どうしよう・どうしよう・・・」と涙が止まらないんです。
自分を保たなくては思うんだけれど、こんなに取り返しがつかなく、こんなに大切に将来を思い描いていた自分の子供がどうなってしまうかわからない・・・こんなに不安でどうしようもない逃れられないことが今まであったでしょうか・・・
幸いひだかはまだ眠りの中・・・
そんな取り乱している様子は見せなくて済みました。
その夜夫婦で話し合いました。
涙を流し、「たとえ障害があったとしても大切に育てていこう!」と話し合ったことを昨日のことのように覚えています。
▼小児精神科
診断が出ると思い夫婦揃って小児精神科へ
覚悟を決めていましたが・・・先生からはハッキリしたことはなにもなく・・・
今の状況ではわからない。「もっと長い期間をかけてひだかくんのことを診させてください。」と言われました。
自閉症ではなかった!!とほっとした気持ちもありました・・・でも確定ではない。
グレーゾーンなのか?それともアスペルガーや広汎性発達障害なのか?
一度疑問に思ってしまったひだかの発達。もう大らかな気持ちでいることはできませんでした。
まだできることはあるのか?ひだかは成長するのか?普通の子になれるのか?
黒はグレーにはなったけれど、白にはやっぱりなれないんです。
まるで深ーい深い暗い道に迷いこんでしまったかのように・・・
▼母親としての覚悟・発達との闘い
でもそのままではいられないんですよね。落ち込むだけ落ち込んで、悩むだけ悩んだら、よし!って気持ちになるんです。暗い道だって明るさを求めて前に進もうとするんです!
できることは精一杯やろう!ひだかはひだか!私のたったひとりのかわいい息子。なんだってできると産まれた時思ったのには偽りはありません。
ひだかが1歳半のころ夢をみました。
大きな海に遊びにきた私たち。防波堤で海を眺めていると大きな波がきました。
「危ない!!」波にさらわれてしまった小さなひだか。
私は何の迷いもなく暗くて深い海にひだかの温かさを求めて飛び込みました。
ハッ!と目が覚めたのですが、この夢をみたとき “自分の命よりも大切なものができたんだなぁ” と感じました。
こうして病院に紹介してもらい療育に通いはじめました。
2年間ひだかの発達と向き合い闘ってきました。
時には焦り、時には大らかに、時には孤独を感じ、時にはたくさんの人に助けてもらい。
ひだかのスペシャルなお母さんになるにはどうすればよいのか今振り返ると日々自分と闘ってきたなと感じております。
ひだか4歳。療育は終了にして幼稚園に通っています。
追記(2019年1月30日更新)
このブログを始めて、4年の月日が流れようとしております。
あの頃4歳だったhidakaも、今は春で8歳を迎えようとしています。
幼稚園に入園し、療育への通園を終了にした私たち。
3年後の就学を迎えるhidakaの為に、私に何ができるか、発達に偏りのあるhidakaに何をしてあげられるか、ということを真剣に悩み、決断したことです。
現在、hidakaは児童精神科への定期的な通院も終わりにし、普通学級に通う、ちょっと生真面目な、ちょっと勉強が出来る、ちょっと繊細な、ちょっと不器用さを感じる男の子になっております。
4年前、今のhidakaを想像できていたかというと・・・・
全くできていませんでした。
その未来像は、もう少し不器用で、もう少しまわりの理解が必要で、もう少し私をドキドキさせ、もう少しhidaka自身が生きにくさを感じるものでした。
思っていたよりもhidakaは器用に社会を生きております。
思っていたよりも私はもっと安心して過ごしております。
思っていたよりも色々な子ども達がいます。
思っていたよりも周りの子どもたちは温かいです。
思っていたよりも周囲の目は温かいです。
そんなことを、今、子どもの発達につまづき悩み、未来の子どもの想像の姿に苦しんでいる方に
hidakaはほんの一例に過ぎないですが、すべての人に参考になる訳ではない事もわかってはいるのですが・・・
「想像していることと、未来は本当に一致しているのか?」ということを伝えたいと思っているのです。
そんな少しの明るい希望が、“今日を大切にする気持ち”に繋がっていってくれればと思っています。
“幸せな子になって欲しい”
大切な我が子が生まれたとき、その誕生が“喜び”だったときに、親として誰もが願う事です。
“今日を大切にしてあげること”
これが、我が子を“幸せ”にすることなのではないかと、hidakaが発達につまづいたことで、私が気づかされた事です。
ある幼稚園の先生に言われました。
「hidakaくんは、本当に“幸せな子”です。不器用なところがあっても、それを理解してくれる人がいる。環境を整えてくれようと一生懸命になってくれる人が傍にいるなんて、とても“幸せな事”なんですよ。hidakaくんは“幸せな子”です。」と。
コミュニケーションのとれない不器用な我が子を一人で背負い、hidakaを希望でいっぱいの私が考えていたような“幸せな人”として生んであげられなかったことに、悲しみを感じていた私は、その「“幸せな子”なんだよ。」という一言に涙が止まりませんでした。
「あぁ。私はhidakaにひとつ“幸せ”を与えられたのか。」と。
社会的に不器用さを抱える子には、温かい家族の時間、“幸せの時間”が必要なんです。
その“温かい幸せの時間”が、必ずあらゆる困難から心を守ってくれ、我が子を“幸せな人”にしていってくれるのではないかと思い、過ごしております。
お読みいただきありがとうございます。