3歳児健診で言葉の遅れがある子は“発達障害の疑い”からは逃げられない!?言葉の遅れが目立つ子を持った私の体験談

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ご訪問いただきありがとうございます。

 

先日、学生の頃の友人から連絡がありました。

彼女とは大学生の頃からのつきあいで、結婚してからも、たまにランチをしたり、近況を伝えあい、励まし合っている良いお友達です。

hidakaが発達につまづいてしまい、私が深い闇の中で途方に暮れていた時にも、いち早く出向いてくれ、話しを聞いてくれました。

 

でも、今回は彼女のピンチでした。

彼女の2人目の子どもが、“3歳児健診で引っかかってしまった”という報告だったのです。

 

確かに、以前から友人の2人目の子の話しを聞いていると、言葉が遅かったり、癇癪があったり、落ち着きがない一面があったり、「そうかー。少し気になる子だね。」と話した事がありました。

でも、その2人目の子に実際会ってみると、hidakaとはタイプが違い、過集中な傾向や目が合いにくいというものはなく、よく目が合い、笑い、ちょっとお茶目な可愛い男の子でした。

少し実年齢よりも幼いかな?

とは、感じましたが、癇癪もその頃には落ち着き、「大分楽になってきたんだー。成長してきたよ!」と、友人も嬉しそうに報告してくれました。

3歳児健診を前に、2語文も出ていたので、

「幼稚園に入れば、たくさん刺激があって、変わっていくかもしれないね。」

と、比べる対象がhidakaしかいなかった私は、3歳の頃のhidakaと比べ、お友達の子どもは、“発達障害の心配はいらないのでは?”と感じ、専門家でも何でもない私が、踏み込み、過度な発言やアドバイスはできませんが、話しを聞き、お友達の気持ちに沿い、親身に相談に乗ったりしておりました。

でも、3歳児健診では、「幼稚園に入って様子をみましょう。」という結果ではなかったようなのです。

話しを聞いていると・・・私は自分が経験した、hidakaの3歳児健診を思い出しました。

友人の子も、私たちと同様に、児童精神科と、療育施設を紹介され、“発達障害の疑い”の芽が出て、非常に心配がつのり、不安で目の前が真っ暗になってしまった様子でした。

 

3歳児健診で言葉の遅れがある子は“発達障害の疑い”からは逃げられない!?言葉の遅れが目立つ子を持った私の体験談

 

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hidaka3歳児健診~発達障害傾向への気づき~

周囲とは明らかに違う言葉の遅れ。

hidaka3歳になり、迎えた3歳児健診は、今振り返ると“いよいよ”という表現がぴったりな崖っぷちのようなものでした。

明らかな障害があれば、この崖の淵に着く前に気が付けたと思います。

でも、hidakaの自閉症スペクトラムの傾向は、より健常に近いもので、初めての子を育てる、“発達障害”を知らないママに、判別できるものではありませんでした。

どうしたって、崖の下(我が子の発達障害の可能性に気が付くということ)へゆるやかに進む道は、その分岐点は、思い返しても、私とhidakaの生活の中で、どこにも見当たりませんでした。

3歳児健診というものは、言葉の遅れが目立つ子を抱える私には、もちろん気楽なものではありません。

ですが、発達障害という障害を健診にひっかかるまで、全く知らなかった私は、“漠然とした不安”だったのです。

「何か言葉の遅れに原因があるのなら、この健診で専門の方を交えればわかるだろう!そうすれば、どう接してあげればいいのかがわかる。」という、見えない不安だけれども何かがハッキリとし、もしかしたら安心するかもしれないという気持ちさえあるものだったのです。

3歳児健診は否応にも迫ってきます。

もやもやとした気持ちをふっ切り、かすかに望める安心を求めていたのかもしれません。

覚悟を決めて“3歳児健診”、受けに行きました。

結果は・・・

心が凍りつくほど、不安が渦を巻いて舞い上がり、かすかに期待していた“安心”というものは会場のどこにも見当たらなく、小さな母としての覚悟を見失い、自信を失うものでした。

「何か非常に重たい問題がある。」

と感じずにはいられない対応だったのです。

 hidakaの3歳児健診での様子

▼家を出る前

「今日は健診だよ。」という話しをしました。

「健診ってなあに?」という問いかけはもちろんなく、空を切るように手応えのないものでした。

私「健診は1歳半のときに一度行ったんだよ。はじめてじゃないんだよ。でも、忘れちゃったね。イメージできないね。でも、大丈夫。背の高さとか体重を測ったりするんだよ。ひだかがどのくらい成長したか診てもらうんだよ。お名前とか聞かれるかもしれないね。応えられるかな?」

hidaka「・・・・・」目が合いにくく・・・不安に感じてきている様子。

私「大丈夫。大丈夫。ママがついているからね。」と、抱きしめてあげました。

▼保健センター到着

絵本コーナーがあり、そこで絵本を読んで待っていました。同じ月齢の子たちが、たくさん集まってきました。hidakaは、大人しく、周囲の子たちを少し警戒しながら、マイペースに本を読んでおりました。

周囲の子達の話声が耳に入ってきて、「・・・みんなもうこんなに言葉をしゃべれるんだな・・・。ママへのアピールもたくさんだな。」と、心の中で不安に思いました。

一人の子がhidakaにちょっかいを出してきました。少しじゃれて遊びました。たくさん言葉でコミュニケーションをとろうとしてくる男の子。一切、言葉でのコミュニケーションをとってこないhidakaに、少し不思議そうにしていたのが印象に残っております。

▼名前を呼ばれいよいよ健診へ

部屋に入ると、「子どもの服を脱がせてください。下着で体重を測ります!」と言われました。

私は・・・・これはきっと・・・もはや乗り切れないかもしれない・・・と少し緊張しながら、hidakaを安心させる言葉を掛け、挑んでみました。

hidakaはこの頃、慣れない場所では、緊張してしまい、身につけているものを、鎧のように、脱ぐことができなかったのです。それは、ジャンパーですらです。その場に慣れてくれば、少しずつ脱いでいくことができます。

それが、急に下着になるなんて・・・。ハードルが高すぎます。。。

どんなに「大丈夫。すぐ終わるんだよ!体重測るだけだから!」と言っても、もう私の声はhidakaの耳に入る事はありませんでした。目も合うことなく、パニックになり泣き叫ぶhidaka。

それに気が付いた保健士さんは、「服着たままで大丈夫ですよ!」と、早急な個別対応をみせてくれ、嫌がるhidakaを体重計に乗せ、身長を測り、奥の診察室へ直行させてくれました。

▼診察では?

hidakaは、もう泣きやみ、私の膝に乗り、大人しく診察を受けておりました。

先生の目を見れたり、問いかけに応えれたかは・・・目は合いにくいものであったのではないかと、応答はなかったのではないかと・・・思います。

聴診器や触られることへの抵抗はしませんでした。

先生も慎重に対応してくれ、無理に何かを試したりすることはありませんでした。

そこで、言葉の遅れを相談し、心理士相談を勧められました。

▼歯科健診

hidakaは、ちょっと落ち着きがなくなっていました。

席に座って待っているという感じではなく、ちょっとフラフラ歩き回ったり、戻ってきて、私の膝に座ったり。落ち着いて欲しかったので、規制する訳ではなく、人に迷惑がかからないなら、見守っていました。私の目が届く範囲には居てくれたので、順番がきたら、抱えて連れていきました。

歯科健診では、大人しく、協力的でした。口を開け、診てもらい、褒めてもらえ、少し誇らしげでした。

▼心理士相談では?

hidakaは、私たちが話している机の横にある、子どもが遊べるスペースで、ひとりで積み木で遊んでおりました。

私は、臨床心理士さんと机を境に向かい合い、お話しました。臨床心理士さんは、少し若い方で、頼もしいという感じは正直しませんでした。

臨床心理士さん「何かお悩みごとはありませんか?」

私「言葉の遅れが気になっています。どうやって言葉を教えたらいいですか?」

心理士さん「物を見せながら、声を掛けてあげてください。例えば、飲み物を選ばせる時には、牛乳だったら牛乳、りんごジュースだったらりんごジュース。実際に持ってきて、どちらがいいのか、目で見てわかるようにして、選んでもらうといいですよ。そのように声を掛けてあげてくださいね。」

私「やってみます。」

心理士さん「今日は、特別言語聴覚士の先生が入っていて、とてもいい先生なんです。今日だったらお話聞いてもらえますよ!お時間ありますか?」

私「そうですか。時間あります。ぜひ、お話聞きたいです。」

ほんの1分くらい、hidakaと臨床心理士さんが、話す時間もあったと記憶しておりますが、緊張しているhidakaから、的確な応えが返ってくることはありませんでした。

特別何かを試したりしているそぶりはありませんでしたが、目が合いにくく、返事もなく、おもちゃと黙々と遊ぶ姿に、試さなくてもわかる“発達障害の傾向”を感じとったのかもしれません。

印象としては、とにかく腫れ物に触るかのように、話しを聞いてくれるけれども、聞いたことしか、応えてくれない雰囲気でした。

そして、時間帯だったのか、日にちの関係だったのか、心理士さんは、とても若く、子育てをしているようには見えず、そのマニュアル通りの返しと、hidakaと接する時間の短さに「すべてを相談したい!」という気持ちにはなれませんでした。

言語聴覚士の先生。「私の疑問がわかるのは、そこなのかもしれない!」という気持ちで、次の部屋へ行く事にしました。

▼言語聴覚士の先生

hidakaは、少し場慣れしてきたのか、その最後の部屋は警戒なく入り、言語聴覚士の先生が出した積み木に興味を示しました。

言語聴覚士さんが、積み木を重ねました。

「まねしてねー。」

hidaka積む。

「これはできるかな?」少し立体に形作る。

hidakaまねして積む。

「もういちど。これはできるかな?」

hidakaうまくできないのか、嫌になったのか、マイペースに遊び出す。

「色わかるかな?これは何色?」積み木の色を聞く。

hidaka「・・・・」

「家庭ではどうですか?」

「色はまだよくわかっていない様子です。」

やりとりは、このような短いものでした。

▼児童精神科への受診の勧め

hidakaを診ているという感じは、あまりこの3歳児健診では感じられませんでした。

初めの、健診で服を脱ぐのを嫌がり、パニックになったところで、私たち親子は、児童精神科への受診の勧め”コースになったんだと、今は感じます。

そして児童精神科への受診の勧め”は、何やら母である私の心境を観察して、慎重に行っている様子でした。

hidakaの簡単な診察が終わると、言語聴覚士の先生は「児童精神科の受診は、今はとてもどこも混んでいて、半年待ちになっている現状なんです。でも、先日、新しく出来た、病院があって、そこなら知り合いの先生がいるから、2週間後に予約ができるようにお話できますよ!」と、児童精神科への受診の勧め”を持ちこみました。

私の気持ちは、この「何か問題がある。」の問題をハッキリくっきり明らかにしたい気持ちでいっぱいになっていました。

もちろん「ぜひ紹介してください。」と、当然のように話を進めました。

▼3歳児健診で心配が膨れ上がった原因

言語聴覚士の先生が作ってくれた、児童精神科への紹介状を、家に戻り、ゆっくりと見てみました。

そこには・・・「ご高診お願い致します。」という一文がありました。

“ご高診”・・・?聞き慣れない言葉でした。

でも、すぐにある熟語と組み合わさりました。

それは、“診断”の診です。

家に帰り、ネットで情報検索をしておりました。児童精神科へ受診を勧められたことを調べていると、“発達障害”という言葉が出てきました。

私はここで初めて、“発達障害”について知りました。

そして、“発達障害”の言葉と、ネットの中で一緒によく並んでいる言葉は“診断”だったのです。

私は、すっかり“ご高診”の診を、“診断”の診と早とちりしてしまったのです。

3歳児健診を終えた私の心は、とてもざわついておりました。

そんな気持ちの中での、その早とちりは自分の中で議論されることなく“確信”となり、さらに不安を膨らませるものでした。

最近になり、「あのときの“ご高診”の診は何だったんだろう・・・?」と気になり、調べてみると、本当は“診察”の診だったのです。

無知な自分がお恥ずかしいのですが、あの頃の私は「診断が出るんだ・・・・。」と、雷に打たれたくらいのショックを受け、全身ぶるぶると震え、恐怖でどこかに身を隠したいと思うほど怯えました。

それくらい、病院への紹介状など、今まで無縁のものだったのです。

3歳児健診での、“腫れ物に触るかのような対応”。“ご高診という言葉”。

私の“発達障害への気づき”というのは、突然、崖から転がり落ち、もう立ち直れないほどに、心を傷つけることになったのです。

まとめ

3歳児健診。

定型な発達を迎えている子を持つ親には、何の事はない、通過点に過ぎません。

でも、言葉の遅れや、何らかの発達でつまづいてしまっている子どもを持つ親の場合には、そこは越えられるか越えられないか、という“地獄の法廷”のような場に感じられる方も、中にはいるのではないかと思います。

では、本当に3歳児健診を超えられなかったとき、地獄への道に繋がっていたのでしょうか?

今私は、「繋がっていなかった。」と、思っています。

 

5歳の発達検査を終え、3歳児健診を振り返り、今の私は、月並みですが、3歳児健診で引っかかった事、

“よかったな”

と思っております。

3歳児健診は、「hidakaの“発達障害の傾向”に気づかされた。」ということだったのです。

それ以上でも、それ以下でもないんです。

hidakaのことを知ったんです。彼の持っている特性を、知ったんです。

その後、児童精神科で“障害”になるのかどうかを診てもらいながら、療育で、我が子の特性に合った育児を教えてもらった。そして、家庭でも、hidakaの特性に合った対応を、いつもいつも考え、ずっとやってきた。

hidakaの“特性に合わせた子育て”をすることができたのです。

その結果、hidakaの発達は、「本人の成長が伸びをみせる範囲に突入したという部分が大きい」と、児童精神科の先生に言われた事があるのですが、大きく成長しました。

それには、少なからず、親として、hidakaの持つ発達障害の特性を踏まえながら、支え、導いたことも一因していると思っております。

hidakaの発達障害の特性は、今のところ“個性の範囲内に”治まっております。

それだけのことだったのです。

 

3歳児健診の役割は、親が子どもの発達障害の傾向に気づいてもらうこと。

“発達障害を疑う”ことだったんです。

では、親の役割は何でしょうか?

同じように“発達障害を疑う”目を持って、子どもに接することでしょうか?

 

そうではないんですよね。

子どもの“発達障害の傾向に気づく”こと。そして、その“特性に合った子育てをしていくこと”なんです。

 

今、発達障害への認識が変わってきております。

早期発見・早期療育の理念が浸透してきており、3歳児健診では、“発達障害を疑う”という仕事がされています。

その発達障害の傾向は、診断が出る領域までいっていない、グレーゾーンと呼ばれる子たち・境界域の子も対象になっております。

3歳児健診では、大きな使命を持って、子どもの発達障害の傾向に悩んでいる親に、“発達障害の傾向は生まれつきのもの。特別な関わりで、その育児は楽になる。”ということに気づいてもらおうと、取り組んでおります。

でも、一昔前の健診による過剰な診断により、早期発見・早期絶望となってしまった例がいくつかあり、現在は発言に注意し、母親の心情をよく観察して“専門の病院への受診のすすめ”という形で、仕事は行われています。

その事を、言葉の遅れがある、何らかの発達につまづきを感じている子を育てる親は、3歳児健診に行く前に、知っておいていただければと思うのです。

大きな使命のなかには、時に小さな犠牲が出る事があります。

どうか、我が子を“発達障害への疑いの目”で見続けるという育児で、もう二度と戻ってこない、子どもの可愛い時期を、楽しい時間を犠牲にしないでください。

親が“発達障害を疑う”という目は、子どもにとって、“自分らしくいられない寂しいもの”です。

そんな育児は、楽しくないのです。

親がするべきなのは、“子を知り、受け入れ、その子に合った子育てを楽しむ”ということなのでは、ないかと思ったりしております。

すべての方に当てはまることではないと、わかっております。

発達障害の傾向が強く、障害となってしまうとき、早期の周囲の理解やサポートが、どれだけ必要な事かも考えております。

グレーゾーンの子・発達障害の傾向を持っているけれど、健常の域に近く、境界域と呼ばれる子を持つお父さん・お母さんに、このように経験し、考えている人もいるということを、知って欲しいと思い、記事にしました。

 

私は、少しづつ、“子の成長を楽しむ育児”を取り戻しつつあります。

あの時の自分に、「“発達障害を疑う”という仕事は、あなたの仕事ではないですよ。」と、教えてあげたいです。

 

私の友人は、私の経験を聞いていたという経緯があったので、2人目の子が3歳児健診で引っかかった事、ショックはありましたが、“発達障害を疑う”という目よりも、“この子に合った子育てをしていく”ということに、考えが及んだようです。

お友達にとっても、息子くんにとっても、“いいきっかけ”になっていけばいいなぁ・・・と、思いを巡らせました。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

5歳、発達が大きく伸びたhidaka。彼の特性に合わせ育てる為、たくさんの工夫をしてきました。

参考に↓

発達に心配のある子にいったい家庭では何をしてあげればいいの?「親子で一緒」が大切なんです!幼児ポピーを利用したレビュー



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