“意地悪”されている!?心ない“意地悪”で我が子の心が傷つけられないように教えてあげるべき3つの対処法

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ご訪問いただきありがとうございます。

今日は、発達障害グレーゾーンの子・育てにくい子・発達に凸凹のある子が集団生活の中で、もしかしたら関わるかもしれない“意地悪”について、記事にしたいと思います。

2年生になったhidaka。

実は、先日何気なくお友達とのやりとりを聞いていると、同じクラスの男の子Cくんから“意地悪”をされているようなのです。

どんな“意地悪”なのかというと・・・・

“hidakaだけに○○しない”

という“排除”という意地悪です。

hidakaに意地悪をしているCくん。

幼稚園も一緒だったので、Cくんのママとも顔見知りですし、ご近所や公園で見かけたり、学校で会ったりすると声を掛け合う仲です。

Cくんの事も、全く知らない子というわけではなく、どんな雰囲気な子で、hidakaとは他のお友達も一緒ですが、一緒に遊んだりお家に遊びにきたり行ったりの仲です。

Cくんは私と顔を合わせれば「ひだかのママだ!」というように、にこにこ話しかけてくれます。

そんなCくん。

どんな心境の変化があったのかはわかりませんが、2年生になり、hidakaの事を「ひだかには見せない!ひだかはだめ。」というように、いつもいつもではありませんが、時折、hidakaだけに他のお友達と差別して“意地悪”を言うようなのです。

“意地悪”というのは、どうして起こってしまうのでしょうか?

大切な我が子が、“意地悪”の対象になってしまっている事に・・・

行き場のない寂しさは感じますが、今考えております。

 

“意地悪”されている!?心ない“意地悪”で我が子の心を傷つけない為に私たちができる3つのこと

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“意地悪”をする子の気持ちはどうなっているの?

人というのは、気分良く順調に自分が思い描いているとおりに物事が進んでいる時、つまり機嫌が良い時に“意地悪”をするというものではないのが一般的のようです。

“意地悪”をする子に共通して言えるのは、何か心の内に発散できないものを抱え、気分が悪いもしくは自分の思っている通りに物事が進まなく、その事にとても強いストレスを抱えているということが考えられます。

よくドラえもんの漫画の1シーンで、ジャイアンがのび太に“意地悪”をするときに、「あ~むしゃくしゃする!」というセリフから始まったりします。

ジャイアンはのび太に“意地悪”をするシーンがとても多いですが、自分の面白くないという不快感を、のび太に“意地悪”することで発散しています。

“意地悪”をする子の気持ちは、その子の持つキャラクターにより違いはありますが、この時のジャイアンの心境に近いものがあるのではないでしょうか?

その子それぞれ“むしゃくしゃする”を感じる環境の程度は差がありますが、普段“意地悪”があまり目立たない子の場合、大きな環境の変化によるストレスで、小さな事に過敏になり、そのような“意地悪”を言ってしまうということが考えられます。

“意地悪”の対象はどんな子?“意地悪”されやすい子

まず、1つ考えられるのが、上で挙げたドラえもんの世界で考えると、どう考えたってのび太のように、社会生活で苦手を抱えている子が思い浮かんでしまいます。

大親友のドラえもんでさえ、「 それは君がドジでのろまで弱虫だからだっ!」と原因を叫ぶ事があります。

何か苦手を抱え、弱点があるという姿に、“意地悪”というのは向けられるものというのを否定することはできません。

そして、人に対しての優しさや思いやりというのは、時に“気の弱さ”“自己主張の弱さ”という面が強くなる事もあります。

何をされても、抵抗や対処が弱く、受け身な姿というのも、“意地悪”の標的にされることがあります。

そして、見落としがちですが、“意地悪”をしている子というのは、自分のむしゃくしゃしている状況というのが、自分だけに起きているという事が耐えられなく、同じような思いを共有して欲しいと“意地悪”をしてしまっているということがあったりします。

その場合は、周囲にいる身近な人に“意地悪”をします。

母親に“意地悪”を言ってみたり、普段仲良くしているお友達に急に“意地悪”をするというのも、“発散”というよりも、この不快感の“共有”を求めているときの行動です。

“意地悪”されている!?心ない“意地悪”で我が子の心が傷つけられないように教えてあげるべき3つの対処法

1.自分の主張を相手に言葉で伝える

“意地悪”を受けるということが継続して起こる場合、その子の持つソーシャルスキルの低さというのが考えられます。

“意地悪”というのは、本来は心の弱さが引き起こすものなのです。

弱い心には、きちんとしたソーシャルスキルがあれば、対処が可能です。

相手のソーシャルスキルの程度にもよりますが、もし“対等な関係になっていない”という問題が、“こちらの主張のなさ”というので、起こっているのであれば、きちんと自分の感じている思いというのを、言葉で相手に伝えるスキルが必要になります。

“意地悪”を受けて、傷ついているということを、ハッキリと相手に伝え、強い気持ちで「やめてほしい。」と一声あげるべきなのです。

2.相手にしない

1で自分の思いを主張しても“意地悪”がなくならない場合、相手の子どものソーシャルスキルの低さが考えられます。

相手の子に働き掛けられるのは、相手の子の親や教育者である先生であり、私たち他人が他の家庭に働き掛けるというのは、責任持てるものでもなく、現代では難しい問題になってきます。

私たちがすべきことは、“私たちの子どものケア”です。

そのときに大切なのは、理不尽な“意地悪”の標的にされても、“相手にしない”程、心が強い状態である事。

それには、かねてより私たちが取り組んでいる“自己肯定感の高さ”が大切なのです。

今日あすで築きあげられるものではありませんが、まだまだ幼い子ども達です。いつ始めても“遅い”ということはありません。

「あなたは私たちのスペシャルなんだよ。」という事を伝えてあげてください。

何ができてもできなくても、人に“意地悪”されようとも、私たちの特別であることに変わりはないのです。

私たちが絶対の味方だから、誰かに低く評価されようと、自分を認めてくれる仲間がいて、身の危険がなければ、本当は気にしなくていいのです。

3.大人に相談 介入するかどうかを判断する

子どもたちはまだまだ未熟です。

小学生以降になってくると、自分の事は自分で解決させるという自己解決能力も必要になってきます。

ですが、発達障害グレーゾーンの子や発達に凸凹がある子、育てにく子の場合、ソーシャルスキルで苦手を抱えているということが、“意地悪”される原因で考えられるということもあります。

年相応の対人スキルというのを過剰に求めることなく、状況をよくよく聞き、子どもに解決する為のアドバイスをするか、大人が介入し支援を必要としているのかというのを、よく考え判断しなければならないと思います。

まとめ

いつもいつも前向きな文章をこのブログには綴っております。

ですが、難しい子育てに向き合い、大切に育ててきたhidakaが“意地悪”をされているということを知り、私は今までにないくらい憤りを感じてしまいました。

その“意地悪”の理不尽さに、客観的な視点というのを見失い、

「どうしてそんな人を傷つけるような事をするのか。。。」

と、Cくんを責めるような気持ちさえ湧いてきてしまったのです。

そこにあったのは、私の心の強さというものはなく、どちらかというとようやく苦労して手に入れた、平穏な日常を奪われるかもしれない・・・という恐怖でした。

「んん。。。。」

hidakaの為に“良くない”とは思い、黙り自分のそのドロドロとした心と、静かに闘っておりましたが、内に秘めるとどんなに闘っても消えてはくれないのです。

“嫌な気持ち”を消すことができず、hidakaパパに聞いてもらう事にしました。

声に出すと、言葉で表現すると、その形は少しずつ変わっていきました。

荒々しい思いも、言葉で放つときには「正しくあろう」と言葉を選び、選んだ言葉で思いが和らぎ、黙って聞いてくれる夫を前に、少しずつですが、気持ちが「何をしてあげられるか。」という答えに導かれていきました。

言葉にすると、「正しくあろう」と答えを求め、言葉に“意味”が宿るのです。

「やっぱりCくんを責めるのは違うな。」

と、暗いドロドロとした気持ちを収めることができました。

まだまだ“未熟な子どもたち”なのです。

hidakaが未熟で、周りの温かい応援を求めているように、Cくんもまた、温かい応援を必要としているんだ。

「Cくんを応援しよう。」静かに声に出しました。

周囲からの情報によると、状況的にその“意地悪”は、周囲のお友達に影響を与えるような悪質なものではなく、Cくん対hidakaというように、個人のなかでしか起こっていない小規模なもののようでした。

hidakaにも確認しましたが、その頻度も“たまに”Cくんのご機嫌しだい。

hidakaも特段気にしていなく、“意地悪”に1日中という継続性はなく、そのとき以外は楽しく過ごしているようで、Cくんとは「また遊びたいな。」というように、遊ぶ事に抵抗を感じていいないようでした。

状況やhidakaの心情を含めて、大人が介入するべきものではないと判断しました。

Cくんはリーダータイプの男の子ではありません。

要領はいいですが、誰とでも仲良くできるタイプではなく、ひとりぽつんとなってしまうこともあります。

身体が小さく、運動も得意ではありません。

負けず嫌いで、自分の物を人に貸すということが苦手で、少し神経質に感じることもあります。

きっと、“気を張って集団生活をこなしている”という時があるんだと思います。

そんなストレスが強くなったとき、不器用さを抱えながらも、マイペースに鼻歌を歌いながら、悠々と過ごしているように見えるhidakaが、少しうっとうしくなったというのが背景でしょうか?

いつもニコニコと過ごしているhidakaに、多少の“意地悪”をしても、許されるという思いがあったのかもしれません。

hidakaに、聞いてみました。

「hidakaはそんな“意地悪”されて、嫌じゃないの?」

hidakaは応えました。

「別に気にならないかな?だって“仕方がない”でしょ?」

最初はその“仕方がない”が、「自分はそんな扱いを受けても“仕方がない”」という響きに聞こえ、

「仕方がなくないよ。“意地悪”はよくない。ママはCくんがいけないと思う。hidakaが嫌な気持ちになるなら、気持ちを伝えないといけないよ。」

と話していましたが、「そんなに嫌な気持ちになってないよ。10%くらいかな?」と表現し、ピンときていないhidakaの表情をみて、

「・・・?ちょっと違う?」と感じ始めました。

hidakaの“仕方がない”というのは、自分だから“仕方がない”というものではなく、“Cくんだから仕方がない”というものだったのかもしれないと。

そういう意味では、未熟だ未熟だと感じていたhidakaですが、その他者をコントロールしないという部分では、成熟していたのです。

Cくんのママとは、ご近所さんなので、話す機会があります。

何気なく話していると、今家庭で少しゴタゴタがあるようでした。

Cくんのママはよく子どもの事を見ております。

Cくんの家にhidakaが遊びに行く事もあるので、hidakaに少しきつく当たっているという事に気が付き、気にしているようでした。

Cくんのママも、そのCくんの未熟な部分と向き合い、“何をしてあげられるか”と考えているんだと思います。

応援したいと思います。

Cくんの事を。

そして、私はhidakaの為に、“何をしてあげらるか”を考えていこうと思います。

お読みいただき、ありがとうございます。

不器用さを抱える子に、集団生活でのトラブルというものは、避けられれば避けたいですが、どうしたって避けられない“試練”があったりします。

でも、私たち親ができる事というのは、トラブルはできるだけ回避できるように環境は整えますが、そのような“試練”に出会わないように守ることではなく、出会った時に“何をしてあげられるか”なんだと思います。

試練からは“学び”があります。

子どもは“成長”していくのです。

どんな子も必ず“試練”を迎えます。

そういう意味では、人は皆“平等”なのです。

子どもたちを応援する“温かい目”というのは、不器用さを抱える子だけに必要なわけではありません。

どの子にも“温かい応援”が必要なときがあります。

周囲に温かく応援して欲しいと願い、苦手を抱える子を育てている私たちが、そのことを忘れてはいけないのです。

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