Difficult children http://difficultchild.net 言葉の遅れのある子に関する情報発信ブログ。言葉の遅れのある子の成長記録や言葉の遅れのある子の育児の工夫・言葉を広げる方法の研究 育てにくい子・発達障害グレーゾーンの世界についてもまとめているブログです。 Wed, 28 Aug 2019 03:56:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.1.18 発達障害グレーゾーンの子の子育て情報を共有しょう!ブログ作成のおすすめ http://difficultchild.net/burogunosusume/ Mon, 26 Aug 2019 03:07:48 +0000 http://difficultchild.net/?p=1856 ご無沙汰しておりました。

3歳、言葉の遅れが目立ち、発達障害の疑いがあった息子hidaka。

その息子を、どうにか定型の発達の子供たちの中で

いじめられることなく、嫌われることなく、煩わしく感じられる事がなく、仲間として受け入れられ、可能であれば誰かに愛される事があるように、誰かに必要とされる事があるように

育てる為には何ができるのかを考え

すぐに効果が出る訳ではない悩ましい子育てに挑んできました。

8歳の秋を迎えたhidakaは、現在小学校2年生。

今は発達障害の疑いはなく、周囲の子供たちに“仲間”として受け入れられ、たくさんの笑った顔に囲まれております。

今のhidakaの表情を見ている限りでは、

今のところは私の子育ては

“成功した”

と言えるのではないかと思っております。

当時、5年前、言葉の遅れや発達障害グレーゾーンの子というのをネットで検索すると、その大半は“発達障害の診断が後に必要になりました”というものが大半でした。

発達障害の疑いがあり、息子が児童精神科を紹介された私たちは、hidakaの今後を、まだ見えないその先を、誰も予測してくれない彼の未来を、インターネットという場所でしか、情報を集める事ができなかったのです。

本当に偏った情報というのは恐ろしいもので、私たちは今のhidakaとは全く違う、ネットの情報が作り上げた未来のhidakaを想像し、たくさんの不安と絶望、焦りで、我が子の大切な一番可愛い時期というのを、どこか・・・

「やっぱり他の子供たちとは違う」

「この子は違うんだ」

と楽しめず、苦しい子育てに悩まされた日々がありました。

そんな苦しい子育てから周りの応援もあり、立ちあがりました。

目の前の我が子と向き合い、大切に未来を思い描いていた気持ちを思い出したのです。

「あなたはあなたのままでいいんだよ。そのままのあなたが大好き。」

一緒に時を過ごしました。

「どうしてあげれば、何をしてあげれば、あなたは過ごしやすくなるの?あなたの人生に彩りを添える事ができるの?」

そんな思いで一緒に過ごしてきた2年間で、見えてきたものがありました。

私が見つけた育てにくい子をその子の個性を生かし、育てる“答え”です。

その“答え”を3年前、打ちひしがれている自分に教えてあげたいと思い、作ったのがこのブログだったのです。

今もまだあの時の私のように、難しい子育ての“答え”を求め、このネットの世界に足を踏み入れている方がいらっしゃると思います。

何か力になれれば、ひとつでも参考になる事があれば、見えない未来を、我が子ではない違う我が子の未来像を想像するのではなく、目の前の我が子と向き合えるきっかけになれれば・・・・

私がネットに“答え”を求めた頃よりも、たくさんの方が“難しい子育て”について、ブログを作成するようになりました。

身近に同じような“難しい子育て”をしている人がいなくても、同じようなタイプの子を育てる同志と繋がれるのです。

あの誰とも共有することができない孤独感に、ひとり身を小さくして震える事はないのです。

ブログを作成することで、自分の子育てを振り返る事ができます。

ブログじゃなくてもいいんです。

日記でもいいです。

今の自分の思いや迷い、選択した“答え”を記録していくのです。

でも、どうせ“書く”のであれば、誰かの“道しるべに”、誰かの“選択肢に”、誰かの“応援歌に”なるのであれば、素敵だと思いました。

多少ですが、私も自分がいいと思ったものを紹介し、アフィリエイト収入やアドセンス収入といった“情報料”のようなものをいただいております。

誰かの役に立ち、その対価をいただいていると認識しております。

発達障害グレーゾーンの子、発達に偏りのある子、育てにくい子の子育て情報がもっともっと広まっていってくれればと思っています。

難しい子育てに孤独を感じ、この世界で自分と子供だけが取り残されてしまったような感覚に陥る人がいなくなってくれればと思っております。

私は、自分の本を出版するような気持ちで、年間920円(税抜)からの格安ドメイン取得サービス─ムームードメイン─ で、独自ドメインの習得をしました。

それがこのブログDifficult childrenです。

http://difficultchild.net/

使用しているアフィリエイトASPは、業界最大手のA8.net です。

よく調べて、信頼できるものを選びました

ご興味のある方の参考になればと思います。

 

お読みいただきありがとうございました。








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“意地悪”されている!?心ない“意地悪”で我が子の心が傷つけられないように教えてあげるべき3つの対処法 http://difficultchild.net/mean-2/ Tue, 14 May 2019 03:59:16 +0000 http://difficultchild.net/?p=1798 ご訪問いただきありがとうございます。

今日は、発達障害グレーゾーンの子・育てにくい子・発達に凸凹のある子が集団生活の中で、もしかしたら関わるかもしれない“意地悪”について、記事にしたいと思います。

2年生になったhidaka。

実は、先日何気なくお友達とのやりとりを聞いていると、同じクラスの男の子Cくんから“意地悪”をされているようなのです。

どんな“意地悪”なのかというと・・・・

“hidakaだけに○○しない”

という“排除”という意地悪です。

hidakaに意地悪をしているCくん。

幼稚園も一緒だったので、Cくんのママとも顔見知りですし、ご近所や公園で見かけたり、学校で会ったりすると声を掛け合う仲です。

Cくんの事も、全く知らない子というわけではなく、どんな雰囲気な子で、hidakaとは他のお友達も一緒ですが、一緒に遊んだりお家に遊びにきたり行ったりの仲です。

Cくんは私と顔を合わせれば「ひだかのママだ!」というように、にこにこ話しかけてくれます。

そんなCくん。

どんな心境の変化があったのかはわかりませんが、2年生になり、hidakaの事を「ひだかには見せない!ひだかはだめ。」というように、いつもいつもではありませんが、時折、hidakaだけに他のお友達と差別して“意地悪”を言うようなのです。

“意地悪”というのは、どうして起こってしまうのでしょうか?

大切な我が子が、“意地悪”の対象になってしまっている事に・・・

行き場のない寂しさは感じますが、今考えております。

 

“意地悪”されている!?心ない“意地悪”で我が子の心を傷つけない為に私たちができる3つのこと

“意地悪”をする子の気持ちはどうなっているの?

人というのは、気分良く順調に自分が思い描いているとおりに物事が進んでいる時、つまり機嫌が良い時に“意地悪”をするというものではないのが一般的のようです。

“意地悪”をする子に共通して言えるのは、何か心の内に発散できないものを抱え、気分が悪いもしくは自分の思っている通りに物事が進まなく、その事にとても強いストレスを抱えているということが考えられます。

よくドラえもんの漫画の1シーンで、ジャイアンがのび太に“意地悪”をするときに、「あ~むしゃくしゃする!」というセリフから始まったりします。

ジャイアンはのび太に“意地悪”をするシーンがとても多いですが、自分の面白くないという不快感を、のび太に“意地悪”することで発散しています。

“意地悪”をする子の気持ちは、その子の持つキャラクターにより違いはありますが、この時のジャイアンの心境に近いものがあるのではないでしょうか?

その子それぞれ“むしゃくしゃする”を感じる環境の程度は差がありますが、普段“意地悪”があまり目立たない子の場合、大きな環境の変化によるストレスで、小さな事に過敏になり、そのような“意地悪”を言ってしまうということが考えられます。

“意地悪”の対象はどんな子?“意地悪”されやすい子

まず、1つ考えられるのが、上で挙げたドラえもんの世界で考えると、どう考えたってのび太のように、社会生活で苦手を抱えている子が思い浮かんでしまいます。

大親友のドラえもんでさえ、「 それは君がドジでのろまで弱虫だからだっ!」と原因を叫ぶ事があります。

何か苦手を抱え、弱点があるという姿に、“意地悪”というのは向けられるものというのを否定することはできません。

そして、人に対しての優しさや思いやりというのは、時に“気の弱さ”“自己主張の弱さ”という面が強くなる事もあります。

何をされても、抵抗や対処が弱く、受け身な姿というのも、“意地悪”の標的にされることがあります。

そして、見落としがちですが、“意地悪”をしている子というのは、自分のむしゃくしゃしている状況というのが、自分だけに起きているという事が耐えられなく、同じような思いを共有して欲しいと“意地悪”をしてしまっているということがあったりします。

その場合は、周囲にいる身近な人に“意地悪”をします。

母親に“意地悪”を言ってみたり、普段仲良くしているお友達に急に“意地悪”をするというのも、“発散”というよりも、この不快感の“共有”を求めているときの行動です。

“意地悪”されている!?心ない“意地悪”で我が子の心が傷つけられないように教えてあげるべき3つの対処法

1.自分の主張を相手に言葉で伝える

“意地悪”を受けるということが継続して起こる場合、その子の持つソーシャルスキルの低さというのが考えられます。

“意地悪”というのは、本来は心の弱さが引き起こすものなのです。

弱い心には、きちんとしたソーシャルスキルがあれば、対処が可能です。

相手のソーシャルスキルの程度にもよりますが、もし“対等な関係になっていない”という問題が、“こちらの主張のなさ”というので、起こっているのであれば、きちんと自分の感じている思いというのを、言葉で相手に伝えるスキルが必要になります。

“意地悪”を受けて、傷ついているということを、ハッキリと相手に伝え、強い気持ちで「やめてほしい。」と一声あげるべきなのです。

2.相手にしない

1で自分の思いを主張しても“意地悪”がなくならない場合、相手の子どものソーシャルスキルの低さが考えられます。

相手の子に働き掛けられるのは、相手の子の親や教育者である先生であり、私たち他人が他の家庭に働き掛けるというのは、責任持てるものでもなく、現代では難しい問題になってきます。

私たちがすべきことは、“私たちの子どものケア”です。

そのときに大切なのは、理不尽な“意地悪”の標的にされても、“相手にしない”程、心が強い状態である事。

それには、かねてより私たちが取り組んでいる“自己肯定感の高さ”が大切なのです。

今日あすで築きあげられるものではありませんが、まだまだ幼い子ども達です。いつ始めても“遅い”ということはありません。

「あなたは私たちのスペシャルなんだよ。」という事を伝えてあげてください。

何ができてもできなくても、人に“意地悪”されようとも、私たちの特別であることに変わりはないのです。

私たちが絶対の味方だから、誰かに低く評価されようと、自分を認めてくれる仲間がいて、身の危険がなければ、本当は気にしなくていいのです。

3.大人に相談 介入するかどうかを判断する

子どもたちはまだまだ未熟です。

小学生以降になってくると、自分の事は自分で解決させるという自己解決能力も必要になってきます。

ですが、発達障害グレーゾーンの子や発達に凸凹がある子、育てにく子の場合、ソーシャルスキルで苦手を抱えているということが、“意地悪”される原因で考えられるということもあります。

年相応の対人スキルというのを過剰に求めることなく、状況をよくよく聞き、子どもに解決する為のアドバイスをするか、大人が介入し支援を必要としているのかというのを、よく考え判断しなければならないと思います。

まとめ

いつもいつも前向きな文章をこのブログには綴っております。

ですが、難しい子育てに向き合い、大切に育ててきたhidakaが“意地悪”をされているということを知り、私は今までにないくらい憤りを感じてしまいました。

その“意地悪”の理不尽さに、客観的な視点というのを見失い、

「どうしてそんな人を傷つけるような事をするのか。。。」

と、Cくんを責めるような気持ちさえ湧いてきてしまったのです。

そこにあったのは、私の心の強さというものはなく、どちらかというとようやく苦労して手に入れた、平穏な日常を奪われるかもしれない・・・という恐怖でした。

「んん。。。。」

hidakaの為に“良くない”とは思い、黙り自分のそのドロドロとした心と、静かに闘っておりましたが、内に秘めるとどんなに闘っても消えてはくれないのです。

“嫌な気持ち”を消すことができず、hidakaパパに聞いてもらう事にしました。

声に出すと、言葉で表現すると、その形は少しずつ変わっていきました。

荒々しい思いも、言葉で放つときには「正しくあろう」と言葉を選び、選んだ言葉で思いが和らぎ、黙って聞いてくれる夫を前に、少しずつですが、気持ちが「何をしてあげられるか。」という答えに導かれていきました。

言葉にすると、「正しくあろう」と答えを求め、言葉に“意味”が宿るのです。

「やっぱりCくんを責めるのは違うな。」

と、暗いドロドロとした気持ちを収めることができました。

まだまだ“未熟な子どもたち”なのです。

hidakaが未熟で、周りの温かい応援を求めているように、Cくんもまた、温かい応援を必要としているんだ。

「Cくんを応援しよう。」静かに声に出しました。

周囲からの情報によると、状況的にその“意地悪”は、周囲のお友達に影響を与えるような悪質なものではなく、Cくん対hidakaというように、個人のなかでしか起こっていない小規模なもののようでした。

hidakaにも確認しましたが、その頻度も“たまに”Cくんのご機嫌しだい。

hidakaも特段気にしていなく、“意地悪”に1日中という継続性はなく、そのとき以外は楽しく過ごしているようで、Cくんとは「また遊びたいな。」というように、遊ぶ事に抵抗を感じていいないようでした。

状況やhidakaの心情を含めて、大人が介入するべきものではないと判断しました。

Cくんはリーダータイプの男の子ではありません。

要領はいいですが、誰とでも仲良くできるタイプではなく、ひとりぽつんとなってしまうこともあります。

身体が小さく、運動も得意ではありません。

負けず嫌いで、自分の物を人に貸すということが苦手で、少し神経質に感じることもあります。

きっと、“気を張って集団生活をこなしている”という時があるんだと思います。

そんなストレスが強くなったとき、不器用さを抱えながらも、マイペースに鼻歌を歌いながら、悠々と過ごしているように見えるhidakaが、少しうっとうしくなったというのが背景でしょうか?

いつもニコニコと過ごしているhidakaに、多少の“意地悪”をしても、許されるという思いがあったのかもしれません。

hidakaに、聞いてみました。

「hidakaはそんな“意地悪”されて、嫌じゃないの?」

hidakaは応えました。

「別に気にならないかな?だって“仕方がない”でしょ?」

最初はその“仕方がない”が、「自分はそんな扱いを受けても“仕方がない”」という響きに聞こえ、

「仕方がなくないよ。“意地悪”はよくない。ママはCくんがいけないと思う。hidakaが嫌な気持ちになるなら、気持ちを伝えないといけないよ。」

と話していましたが、「そんなに嫌な気持ちになってないよ。10%くらいかな?」と表現し、ピンときていないhidakaの表情をみて、

「・・・?ちょっと違う?」と感じ始めました。

hidakaの“仕方がない”というのは、自分だから“仕方がない”というものではなく、“Cくんだから仕方がない”というものだったのかもしれないと。

そういう意味では、未熟だ未熟だと感じていたhidakaですが、その他者をコントロールしないという部分では、成熟していたのです。

Cくんのママとは、ご近所さんなので、話す機会があります。

何気なく話していると、今家庭で少しゴタゴタがあるようでした。

Cくんのママはよく子どもの事を見ております。

Cくんの家にhidakaが遊びに行く事もあるので、hidakaに少しきつく当たっているという事に気が付き、気にしているようでした。

Cくんのママも、そのCくんの未熟な部分と向き合い、“何をしてあげられるか”と考えているんだと思います。

応援したいと思います。

Cくんの事を。

そして、私はhidakaの為に、“何をしてあげらるか”を考えていこうと思います。

お読みいただき、ありがとうございます。

不器用さを抱える子に、集団生活でのトラブルというものは、避けられれば避けたいですが、どうしたって避けられない“試練”があったりします。

でも、私たち親ができる事というのは、トラブルはできるだけ回避できるように環境は整えますが、そのような“試練”に出会わないように守ることではなく、出会った時に“何をしてあげられるか”なんだと思います。

試練からは“学び”があります。

子どもは“成長”していくのです。

どんな子も必ず“試練”を迎えます。

そういう意味では、人は皆“平等”なのです。

子どもたちを応援する“温かい目”というのは、不器用さを抱える子だけに必要なわけではありません。

どの子にも“温かい応援”が必要なときがあります。

周囲に温かく応援して欲しいと願い、苦手を抱える子を育てている私たちが、そのことを忘れてはいけないのです。

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言葉の遅れ hidaka発達記録 8歳1か月 http://difficultchild.net/hidaka-8y1m/ Fri, 26 Apr 2019 04:33:43 +0000 http://difficultchild.net/?p=1748 ご訪問いただきありがとうございます!

久しぶりの更新となりました。

 

小学校2年生を迎えたhidaka。とても落ち着き、元気に過ごしております。

2年生のクラスは1年生のクラスの持ち上がりとなり、担任の先生の変更もありませんでした。

幼稚園の頃からhidakaのそのままを受け入れ、自分らしくいる事を良しとしてくれているお友達と、hidakaの個性を理解し、温かく見守り導いてくれた担任の先生のおかげで、hidakaは就学という大きな社会の波を乗り越え、悠々と大海原を渡り始めております。

過去の事を振り返る事が多い私のブログですが、hidakaがどのように成長しているのか、応援してくれている方、励みに思っている方へ。

今のhidakaの発達、私の心境を記録してみようと思いました。

言葉の遅れ hidaka発達記録 8歳1か月

どのくらいコミュニケーションがとれてますか?

「おはよう」というと「おはよう」とかえってきます。

「今日給食なんだった?」と聞くと「ん~何だっけ?忘れた!」と言います。

「hidakaちょっとお話してもいい?」と言うと、私の傍に来ます。そして手をとると目を合わせてきます。何かをしっかり伝えたいと思うとき、大切な話しを真剣にうなずきながら聞いてくれます。

自分から多くの事は話しません。

hidakaから振られる話題の多くは、今まさに見ているテレビの内容の共感、読んでいる本の内容の共感、「○○行きたい。」「○○食べたい。」という要求がほとんどです。

唐突に自分の興味関心のある話題を話し始めたりすることもあります。

自分の内なる感情や、感じた事・思った事を口にすることはほとんどありません。

学校の話題は、応えやすいように選択式の質問をすれば、何となく聞きだす事もできます。

漠然とした質問には弱く、「わからない。」や「・・・・」になりますが、具体的な質問にすると、「○○!」「○○が○○で○○だった。」というように思いつく関連の話しを繋げることもあります。

コミュニケーションは・・・・得意な子に比べると、苦手と言わざる負えません。

緊張している場面で、人と目を合わせて会話をすることはできないようです。

緊張している場面でも、うなずいたり首を振ったりと「YES/NO」は伝えられます。

日常生活で困るか?と聞かれると、困りません。

何かトラブルに巻き込まれたり、悩みなどを抱えると、きっとこんなにhidakaに対してオープンにしておりますが、hidakaからは簡単には伝わってこないと思います。

きっと私に「助けて・・・!」となったときには、よほどの困難を抱えたときだというところが、育てていて「怖い。」と感じることです。

凸の発達はどうなっていますか?

多くの記事で、私は凸の発達への働きかけこそ、不器用さを抱え、周囲の子どもたちと同じ事が難しいという“生きにくさ”を持つ子どもたちには、必要なことだと書いてきました。

凸への働きかけというのは、今の日本の発達支援にはありません。

誰がその子の持つスペシャルな部分に働きかけ、認め伸ばしていってあげられるのでしょうか?

それは、私たち“親”しかいないのでは?と日々感じています。

凸の発達を伸ばすのは、もちろん苦手を抱える発達障害グレーゾーンの子・発達に心配のある子・育てにくい子の「自分はできる」「ぼくは(わたしは)認められている」という“自己肯定感”を高めるという効果は言うまでもありません。

でも、私はそれだけではなく、私たち“親”にとって難しい育児への励みになる効果が大きいのではないか?と感じております。

我が子の“スペシャルな部分”というのは、我が子を育てる醍醐味なのです。

その子の持つ凸の発達を伸ばし、輝かせる事というのは、何事にも代えがたい“楽しさ”でもあります。

先日、hidakaの個人懇談がありました。

例外なく、私は今年もhidakaの不器用さが、社会でどのように作用しているのか心配に思う気持ちを抱え、学校へ向かいました。

どきどきし、向かい合わせにされた机についた私。

一呼吸を終えた担任の先生の第一声は

「hidakaくん、勉強ぴか一です!最近、発表もがんばっているんですよ!」と。

気が抜け、ホッと笑ってしまいました。

誰だって、大切に育ててきた我が子の事を褒められると嬉しいのです。

ずっと不器用さを抱える我が子の育ちが、社会の冷たい風に触れたとき、ママとして劣等生であるかのように感じていた日々がありました。

誰よりも我が子の発達に向き合い、時間や手を掛け、丁寧に自分を抑え過ごしても、誰にも称賛されることはなく、その見えない努力を認めてもらえず、我が子の育っていない部分を見られ、“ダメな母親”と・・・。

誰が言うわけでもありません。ですが、感じてしまうこともあったのです。

でも、凸の発達というのは働き掛け、容易に伸ばすことができます。

その子の“長所”と呼べるものになるのです。

それが、我が子の自信になるだけではありません。

私たちの“自信”にもなるのです。

その“自信”が、“あなたはあなたらしく そのままでいい”とし、子どもの成長を干渉しすぎることなく、温かく見守れる原動力になります。

今、発達で気になっている事はありますか?

気になっていることは・・・・正直あります。

hidakaは、自分の思いを人に伝える為の“言葉”を使う事が上手ではありません。

家ではよくその内なる感情を、上手く言葉で発散することが難しく、自分の思い通りにならないと、涙を目にいっぱい溜めてぽろぽろと泣きだしたり、ひとり部屋のすみでしょぼんとなったりすることがあります。

お友達との関係のなかでは、“笑ってやり過ごす”ということを覚えたらしく、何を言われても何をされても“笑っている”という姿が見られています。

家庭では、上手に言葉で発散し、どうしていけばお互い納得できるのかということを交渉し、探り合うソーシャルスキルを。

お友達関係で見せいているその姿は、本当に嫌と感じていないのか、嫌と感じたときにはどのような反応を示すべきなのかを教えていく事。

お友達のからかいや八つ当たりが度を越したものにならないよう、エスカレートしないように、アンテナを張っておく必要があります。

気になる事。

なくなった訳ではありません。

hidakaは不器用さを抱えた子ということに、今も違いはありません。

まとめ

3歳の発達障害の疑いがあったときに、今の8歳のhidakaの発達を想像できていたか?と聞かれると、それは本当に微塵も想像できておりませんでした。

誰も今のhidakaの未来を予測できた専門家はおりません。

傍で成長を見守っていた私たち親でさえ、hidakaの不器用さは社会に適応できると確信を得たことは、今の一度もありません。

いつだって不確かなものなのです。

ですが、気持ちは少し形を変えております。

丁寧に関わってきた時間が、楽しく過ごしてきた時間が、今のhidakaを作っています。

目の前にいるhidakaの目は生き生きと輝き、一緒にいると私は“夢”をみます。

“あなたはみつけられるね”

やりたいこと。気を許した仲間。自分らしく居られる場所。

可能性に満ち溢れていることを知りました。

その為に、今してあげられることがあるのです。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

時に、道を見失うときもあります。

何をしてあげるべきなのか迷う事もあります。

そんなとき、参考にしてください。

同じにする必要はありません。

“選択”するのです。

そういう働きかけもあるのかということを“知る”ことで、見えてくる“道”もあると思うのです。

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言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳5カ月 生活 http://difficultchild.net/hidaka3y5m-life/ Fri, 21 Dec 2018 03:02:15 +0000 http://difficultchild.net/?p=1718 ご訪問いただきありがとうございます!

 

小学生になり、もうすぐ2学期を終えようとしているhidaka。

文字や数字に対する異常なまでの執着というのは影を潜め、本が大好きな、漫画が大好きな、テレビが大好きな、歌が大好きな“普通の男の子”になってきました。

乱数表のような数字を、用紙にみっちりと書くこともなくなり、車から外を食い入るように見て、見える文字見える文字を追いかける事もなくなりました。

受け取ってもらえず、行き場をなくしさまよう私の言葉も、今ではしっかりとhidakaにキャッチしてもらえ、むなしく響くこともなくなりました。

こんなに望んでいた事が叶い、喜ばしいはずなのに・・・・

不思議なものです。

幸福感に満たされているというものとはまた違って、私は「もっと。もっと。」と湧いてくる感情に弄ばれております。

「もっと。もっと。」

そう思ってしまうのが“親心”なのでしょうか?

“向上心”と言えば聞こえはいいですが、いつだって“人間の欲”というものは、あとからあとから湧いてくるものなのです。

子どもに“こうなってほしい”“こうさせたい”というものは、本当に毒以外の何物でもありません。

“どうなりたいか”

“何をしたいか”

“どうありたいか”

そのような気持ちを育てていくという気持ちを、“忘れてはいけないよな”と感じる7歳の冬です。

hidakaにもまた、私は“母としてどうあるべきか”を育てられているんですね。

 

言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳5カ月 生活

 

この頃のhidakaは、既読症と呼ばれるハイパーレクシアな特性が大きく出ておりました。

興味関心も偏っていて、偏りをなくしたいと苦手なことに注目することが多かったのですが、「好きこそ物の上手なれ」ということわざが心に響き、好きな事を広げてあげたいと感じるようになっていきました。

▼時計を教える

私がチラチラと見る時計に、hidakaが興味を示し始めました。

大好きな数字が書かれていて、hidakaが好きな針がくるくると回転するものです。

「とけい~」と早速言葉にしていました。

ちょっと早いかな?と思ったのですが、「好きこそ物の上手なれ」です。

紙に時計の針の様子を描き、横に“○じ”というように、目で見てわかりやすく提示してみました。

すると大層気に入り、食い入るように見ておりました。

「今なんじ?」と聞くと、他の質問には応えない事が多いのに、「○じ!」と精度はまずまずでしたが、必ず応えてくれるのでした。

それからhidakaはまたするすると時計の原理を理解し、何時を覚えると、半という区切りも覚え、5分刻みに60進法というものにも抵抗なく、少し教えると完全に読めるようになっていきました。

▼曜日を教える

規則があるものが好きなようで、見通しがたつと、日の流れを掴む事ができるようになるせいか、とても安心する様子でした。

「今日は○ようびだねぇ。」という私の何気ない一言に興味を示し、試しに曜日を教えてみると、これもまたするすると理解し、月・火・水・木・金・土という6日間をマスターし、日曜日はパパがお休みというので、区切りになり、1週間という感覚を身につけるのでした。

本当に「好きこそ物の上手なれ」です。

「今日はなんようび?」と聞くと、「○○!」と自信気に応えるのでした。

▼すうじのうた

療育の臨床心理の先生が教えてくれた“すうじのうた”。

療育の現場では、定番ソングなのでしょうか?

「すうじの1は なぁに?~♪ こうばのえんとぉつ!」というように、工場の煙突が描かれたフラッグを振るというように、数字を歌で絵と組み合わせるというものです。

hidakaはこの歌が大好き。

家に帰っても、よくよく歌っておりました。

クッションマットで、アルファベットと数字がパズルのようになったマットが我が家にあったのですが、よくそのマットの数字の部分を持ち歩き、歌いながら療育先で見た絵をイメージして、ころころさせたり、自分の耳に当てたりしてました。

▼目が合わないことが気になる

少し離れた場所だと目が合うhidaka。

(→「目が合いにくい子」=「自閉症」なのでしょうか?間違いなく言えるのは生まれつきコミュニケーション能力が低い子なんです!

コミュニケーション能力が育ってきたこの頃のhidakaは、私への注目が増え、必然的に目が合う事が増えておりました。

でも、同時に近くで目を合わせようとすると、スッと目線を反らすことが気になってきました。

顔を覗き込むと、近くでお世話すると、何かを言い聞かせようと手をとると・・・・・

hidakaは、私の目を覗き込む事はありません。

目線はスッとはずされ、時計か、文字があるもの、外の世界やカレンダーというように、私以外の物をその目に映そうとするのです。

「子どもは皆そう」と思っていた時と違い、「hidakaは目が合いにくい」ということを知ってしまった私は、その瞬間、心にズンと鈍く響くものを感じてしまっていました。

目を反らされるというのは、いつだって信頼感・安心感を失い、不信感さえ湧いてしまうというものなのです。

このまま大人になってしまうことを考えると、いつかhidakaにとって不利益になることも多々あることでしょう。

少し働き掛けてみる事にしました。

遊びのように「ママの目をみて!」と言ってみたのです。

そうすると、私の目を指差し目が合いました。

目が合う?ちょっと違うかもしれません。

hidakaは私の目ではなく、目玉を見ていましたから。

目を合わせるという感覚は身につくのか・・・・?ということを、とても心配しておりました。

こんな遊びをとり入れたり、話しを聞いて欲しい時など、信頼感を得たい時に、「ママの目をみて。」(できるだけ優しく)と働き掛けておりました。

するといつしか、hidakaは私の目から感情を読み取ろうとするようになってきました。

抵抗がなくなったのでしょうか?

目は合いにくいとは思いますが、目を合わせる事に抵抗はなくなった様子が、今の状況です。

▼数を数えるのが流行る

この頃のhidakaは暇さえあれば、1・2・3・4・5・6・7・・・・・数を数えておりました。

数字は1・2・3・・・・・というように、1ずつ大きくなっていくという事に安心感を覚え、呪文のように唱えていたのです。

不思議なものです。特別教えた事もないと思うのですが、一緒に数えている中でなのか、大きな桁までどんどん数えられるようになっていったと記憶しております。

▼認知が広がっていった

視覚優位だったhidakaに絵カードや絵本を使い、言葉を教えていたのですが、同時に認知というのも広がりが見られました。

「○○行ってから○○ねー」と説明すると、わかっている様子でした。

気に入らない時は「だめ!」と言う事もありました。

変わりにどこに行きたい等の、自己主張はまだまだ難しい感じでしたが・・・・。

▼自分の状況を伝える言葉を復唱する

「わからない」「わかったよー」「だいじょうぶ」「おなかすいたー」「さむい」「あつい」「おいしい」「いらない」

このような言葉をhidakaはまだ自分で扱う事ができませんでした。

私が、その時々のhidakaの内的な感情を想像し、言葉にしてあげると、一致するときは繰り返し、一致しないときは「・・・・」と無言というので表現していました。

でも、その精度というのも、まだ確実に!とは言えないものでしたが・・・・

何ともコミュニケーションが取りにくいというのは、暮らしにくいものです。

▼人ごみに慣れ始めた?

人が大勢集まる環境に身を置くことが苦手だったhidaka。

でも、その苦手というのも、自分に注目がない環境で、ママやパパが一緒という状況であれば、耐えられるものへ変わっていっている様子でした。

入園予定の幼稚園の発表会に練習と思い、足を運んでみたのですが、大人しく観ておりました。

前の日にパンフレットをみせ、「はっぴょうかい、あした、いくよ」と伝えると、「はっぴょうかい!」と言葉を繰り返し、楽しみにしている様子でした。

帰り道でも「はっぴょうかい!たのしかったー」とご機嫌な様子でした。

“たのしかった”という言葉も、3歳当初は使う事ができず、“楽しい”というものが、目に見えないから、分からない様子でした。

でも、hidakaが楽しそうだった時に、「たのしかったね!」とたくさん声掛ける事によって、分かるようになった感情です。

使えるようになったのですね。

▼お友達が大切

一人っ子のhidaka。

兄弟が多い子のお家に比べると、興味や関心が偏っているということもありますが、みんなで遊べるおもちゃというのが少なく、交友関係を大切にしていた私たちは、夫婦でおもちゃの購入を考えていました。

その会話の中で

私「うちは面白いおもちゃが少ないかも。(何か面白そうなおもちゃ買おうか?というニュアンス)」

パパ「つまんなかったらお友達遊びにきてくれなくなるねー。(よし!何か興味惹かれて、またhidakaの家で遊びたい!となるようなおもちゃ買ってみるか!というニュアンス)」

それを聞いていたhidakaが、わぁーと泣きだしました。

深い意味はなかったのですが、不安にさせて可哀そうなことしました。

それだけ、お友達が遊びに来てくれるというのは、hidakaにとって嬉しいものになっていたのですね。

▼泣きマネができるように

ジェスチャーがない。嘘がつけない。模倣がない。

よく聞く自閉症スペクトラム児の幼少期の特徴です。

3歳。発達障害の疑いに気が付いたとき、私はネットでそのような情報を目にして、本当にこの世の終わりのように絶望しました。

何ともよく当てはまっていたからです。

完璧にすべてではありませんでしたが、hidakaの事をこれは言ってるのではないか?と感じる程、当てはまる項目が多かったからです。

今から考えれば「そうだよなぁ。だってhidakaには自閉症スペクトラムの傾向があるんだもの。」と納得しています。

でも、あの時の恐怖感はとても大きなものでした。

正体の知らないものというのは、とても怖いものなのです。

ジェスチャーすることはないでしょう。

嘘はつけないに決まっている。

模倣は生涯しないでしょう。

と思っていました。

そこには、hidakaではない、hidakaの将来像ができあがっていたのです。

ある事ない事本当にたくさん悩まされました。

でも、半年ほど経ち、コミュニケーション能力・認知が発達してきたhidakaは、“泣きマネ”をしはじめました。

“泣きマネ”で、自分の思いを訴えようとしたのです。

大きな成長です。

黙って目をつぶって、目をさわるだけでしたが、そうすると私たちが心配し、思いを感じとろうとするということを知ったのですね。

7歳のhidakaは、都合のいい嘘も使うようになってきました。

人の気持ちに敏感な私は、パパの嘘を見抜くのは得意ですが、ちょっと変わった雰囲気のあるコミュニケーション下手なhidakaの嘘はとてもわかりにくいです。。。

▼待つということを身につける

何の事はない、銀行のATMです。

コミュニケーションの取りにくいhidakaに、「大人しく待っていてね!」というのは、何とも手応えのなく、落ち着かないものでした。

思ってもいないところにパーっと走り出すイメージもあり、ちょっと銀行で用事を済ませたいときも、使っていない携帯を持たせ、その過集中な傾向と電子機器大好きを利用し、待たせていた事もあります。

でも、小道具は必要なくなりました。

「ちょっと大人しく待っててね。すぐ終わるから!」と言うと、ママが銀行のATMで操作するという“ちょっと”の感覚が見え、どのくらい待てばいいのかということがイメージできたのか、落ち着いてそばで待っていました。

これだけのことなのですが、ぐっと一緒に過ごしやすくなりました。

 

まとめ

3歳の頃のhidakaの事を振り返っていると、本当に大変な子育てをしてきたんだなぁと、少し客観的な気持ちになる自分がいます。

過ぎてしまった時間は、いつしか形をなくし、いい思い出だけが心に残るようにできているのかもしれません。

でも、作ってきた時間が、今のhidakaを作っているんだと思います。

そして、今作る時間というものが、これからのhidakaを作っていくものになっていきます。

「子どもをどうしたか」ではなく、「子どもがどうしてほしいのか

なんだと思うのです。

「幸せになれるか?」ではなく、「与えられた温かい時間が幸せにしていってくれる」

そんな気持ちで、寒い冬ですが、“温かい時間をできる限り与えていきたい”と思っております。

 

お読みいただきありがとうございます!

 

風邪の流行も迫っておりますが、クリスマスにお正月、“家族の温かい時間”を楽しめるように気をつけてお過ごしください。

 

 

 

 

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本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18・・・その3 http://difficultchild.net/strong-tension3/ Wed, 19 Dec 2018 02:33:11 +0000 http://difficultchild.net/?p=1705 ご訪問いただきありがとうございます。

 

前回の続きでございます。

前回の記事

(→本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18・・・その1)

(→本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18・・・その2

 

本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18・・・その2

 

発達障害グレーゾーンの子の強い緊張を和らげる18のこと

11.心を整える

強いストレスにも、心の安定があれば、打ち勝つ事ができます。

心が整っている人は、苦手なことに立ち向かう体力があります。

“緊張が強い子”が緊張に対峙したとき、少しでもその“緊張”と闘える武器が欲しいのです。

それには、“心の安定”が一番です。

“緊張に弱い子”には、スキンシップが大切です。

その子それぞれ、方法は変わるかもしれませんが、親子のスキンシップの時間を大切にしてあげてください。

一緒にお風呂に入る。

子どもの大好きなお菓子を一緒に食べる。

尋問のように、今日あったことなどを聞きだすという作業ではありません。

顔を見合わせ、にっこり笑い合える時間です。

コミュニケーション能力を育てるためには、親子間のスキンシップが必要不可欠なのです。

そうして関係性を絆を深めていけば、内なる不安を、弱音を吐き出せるようになっていきます。

親子以外でも、そのような関係を大切にするとよいです。

祖父母や伯父叔母、お友達、お友達のママとの間にも、そのような関係性を築けたりすることがあります。

発達に凸凹がある子、発達障害グレーゾーンの子というのは、ある特定の感覚が優れているというこがあります。

気を許してもいい人というのも、その敏感な感覚で自ら見つけ出せるということもあります。

そうして、“内に悶々とする思い”に共感してもらえたとき、心は落ち着きを取り戻したりします。

“甘え”が大切なのです。

“心の安定”が“緊張”に立ち向かい、頑張る力になるのです。

12.身体を整える

内なる心の安定を乱される原因の一つとして、身体の不調があります。

女性は特に共感できる部分が多いと思いますが、いつも通り暮らしていても、些細なことで気持ちが落ち込みやすくなったり、普段は何でもないことで大きなストレスを感じたりします。

風邪を引いた、お腹の調子が悪い、寝不足だ、疲労が溜まっている、栄養が不足している

様々な身体の不調により、いつも以上に不快感が増すということが大いにあるのです。

“緊張が強い子”は、前日より不安感で寝不足に陥ったりします。

迎えた当日の朝も、緊張により、十分に食事をとれなかったり、お腹の調子が悪くなる子もいるかもしれません。

そんな中、自分が最も苦手としている“緊張が高まる場面”に出くわすのです。

不快感、不安感は増すばかりです。

身体が整っていないと、“強い緊張”とは闘えないのです。

前日の寝不足や当日の食欲不振はすぐには改善しないかもしれません。

なので、日々の暮らしが大切なのです。

身体を整えましょう。

添加物の多い食事というのが続くと、私たちでもそうですが、身体が乱れます。

私は特に肌にその身体の乱れが表れるのですが、すぐに大量な吹き出物がでるので、食生活を見直す必要性を感じます。

でも、小さな子どもの浄化作用は高いです。

一見、表面的には表れず、何の影響もなく感じるかもしれません。

ですが、確実に身体の栄養素というのは不足し、見えないところで不快感を感じているかもしれません。

身体に優しい食事が身体を作っている子どもたちには必要なのです。

現代のママは本当に忙しいです。

専業主婦の私でさえ、料理にかける時間は追われております。

できる範囲でいいのです。

おみそ汁のダシを煮干しでとってみる。お菓子にスナック菓子などを控えパンやいももちにする。できるだけ手作りの食事中心を心掛ける。

少しの努力で、できること、変えられる事はあると思います。

寒い日は温かく。

早寝早起きが基本。

身体を使った遊びをしっかりさせる。

身体を整える為に、私たちができることは、日常に溢れています。

13.夜に話さない

夜は不安感が高まりやすいです。

私もよくあるのですが、夜になり、暗くなり、身体がそんなに疲れていなく、布団に入る。

あらゆることに思考を巡らせていくと、楽しいことを考えるというより、あることない事考え、何だか不安の渦に巻き込まれ、ぐるぐるぐるぐると眠れなくなる。

そんなことが夜の方が多いような気がします。

その不安感で翌朝も寝不足でだるく、疲れが残ってしまうなんてことが。

でも、大抵は朝を迎えると、なんであんなに不安で悶々と感じていたんだろう?と思うくらい、不安とは無縁な朝を迎える事があります。

人間とはそのようなものなのです。

そのことに気が付き、夜の時間を大切にできると、“緊張や不安が強い子”の緊張や不安を軽減してあげることができるかもしません。

くれぐれも一緒に不安や緊張に呑み込まれ、強め合う夜を過ごしてはいけないのです。

もし、寝入る前に心配な事を子どもが言うようならば、

「明日、作戦会議しよう!」と朝には解決するという見通しを立ててあげてください。

「心配しなくていい。」という不安感の打ち消しの言葉で濁らせるのではなくです。

翌朝話そうとしてあげることによって、今感じている緊張や不安を膨らませることなく、最小限に留めることができ、寝入りやすいかもしれません。

14.緊張しているのは自分だけじゃないことを知らせる

“緊張が強い子”の心の中をのぞいてみたいと思います。

心臓のどきどき。視界は大勢の人達。みんな自分を見ているように感じます。「失敗したらどうしょう・・・」と失敗している自分を想像している子もいるでしょうか。

“緊張が強い子”の心の中には、「ぼく」「わたし」しかいません。

それでは、自分が作り出している強い緊張に勝つ事はできないのです。

客観視によって、冷静になれる事は大いにあります。

大人になった私たちが、人前で堂々とできるとき、心はどこか自分を客観視していたりします。

目線も内なる自分の心ばかりでなく、周囲を見渡しているのです。

“緊張の強い子”には、みんな一緒だということを教えてあげると、客観視や視野の広がりによって、自分の内なる感情をコントロールできるようになっていくことがあります。

「みんなも緊張しているんだよ。」「ママも昔、よく緊張したなぁ。」「パパは緊張してこんな失敗したことあるよ!あはは。」というように、緊張というのは、みんなの心に当たり前にいるもので、自分だけが特別、その緊張と対峙している訳ではないことを知らせてあげてください。

そうすることで、緊張する場面で、周りを見れるようになります。

自分の緊張ばかりに意識がいかなくなることが大切なのです。

15.ポジティブな声掛け

私は、“言葉には力がある”と思っています。

同じ事でも、使う言葉によって、人は本当に様々な影響を受けているものなのです。

“緊張が強い子”に、掛けてしまいがちな言葉は、

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。」「大丈夫?」「がんばれ!」「緊張に負けるな。」

というものが代表的でしょうか?

どの言葉も、掛けられると、“緊張を消さなくては”と感じてしまいます。

心配や励まし、叱咤激励で、“緊張を消す”ことはできるでしょうか?

その答えは簡単です。

“緊張を消す”ことはできません。

では、どうしてあげるのがいいのでしょうか?どのように声を掛けてあげると、“緊張に打ち勝つこと”ができるのでしょうか?

それは、“緊張”をポジティブなものにする魔法の言葉があるのです。

“緊張”というのは、“新しい挑戦”のときにするもの。

“新しい挑戦”は“わくわくするもの”なのです。

緊張を“わくわくするもの”にできたとき、足を引っ張っていた“緊張感”は大きな力になるのです。

声を掛けてあげてください。

「さぁ!楽しもう!」「やってみよう!」「わくわくするね。」

すぐには変わらないかもしれません。

でも、成功体験を重ねていけば必ずいつか、挑戦はワクワクするものに変わっていきます。

言葉には力があるのです。

「失敗したら・・・」ではなくて、「よし。できる。ぼくはできるんだ。」と気持ちが盛り上がるような、わくわくするような“おまじないの言葉を作る”のです。

16.不安な気持ちに愛称をつける

不安で眠れない。。。朝早く目が覚めてしまう。。。

“緊張感”と上手に付き合えない子は、その行事を楽しむために身体を整えたいのに、心が騒ぎ、ぐっすりと身体を休めることが出来ないという子が多いように感じます。

そうある事を咎められたとしても、容易に自分の意思で変われるのであれば、みんな苦労しないのです。

そのように心が騒ぎ立ち、平静さを失っている場合には、その不安で緊張した気持ちに、可愛い愛称をつけてあげてください。

私たちはそのような心を乱し、騒ぎ立てる存在を、“わくわくさん”の仕業と言って笑い合っております。

hidakaが緊張で眠れないときは、「わくわくさんきてるね。」と親しみを込めて伝えるのです。

そうすると、不安で強張っていた顔がゆるみ、にっこり笑ったりします。

「大丈夫。仲良くできる。わくわくさんはあなたをワクワクさせるためにきた。ワクワクしているあなたは、緊張を楽しめ、パフォーマンスがあがるんだよ。」と伝えたいのです。

「わくわくさんが一緒のあなたは無敵。

ひとりじゃない。」

そうして、自分を信じる力をつけていくのです。育てていくのです。

17.手を貸し過ぎない

苦手を抱える子を育てるとき、気をつけなければならないことがあります。

それは、いつもいつも手を貸し過ぎてしまわないことなんです。

支援することに慣れ過ぎてはいけないのです。

子どもの能力は日々発達していきます。

その“力を見極める”のです。

容易にクリアできる課題ばかりにしてはいけません。

緊張に慣れてきたときに、必ず次のステップへあげる環境を提供するのです。

その機会を与えるのです。

そういう意味では、“自分で自然に”というのは、私たちの子どもは難しいかもしれません。

だから、発達障害グレーゾーンの子・発達に凸凹のある子・育てにくい子なのです。

手が掛かるのです。目を掛けなくては、環境を必要な時は整える必要があります。

腐らないように、根を伸ばしていけるように。

そうして基盤を作るように“緊張に打ち勝つ自信”をつけていくのです。

18.甘えれた時間で満たされた子が本当にタフな子

皆さんは“緊張に弱い子”を目にすると、どのような印象を持ちますか?

ひとりハキハキと大勢の前でしっかりと発言できる子の印象はどうでしょうか?

hidakaが幼稚園に通っていた時の事、ひとりの男の子がまるでドラえもんの世界の出来杉くんのように、何をやらせても、スポーツ万能、察しもよく、頭もいい。火のうちどころがないような子が一つ学年が上の子でいました。

学年が違っても目につく、耳に入る程、優秀な男の子だったのです。

誰もが憧れ、その子のママには“スペシャルなお母さん”と、皆、尊敬のまなざしでした。

一方、“緊張に弱い子”だったhidaka。

誰も「私の子育てを参考にしたい!」と願ったお母さんはいなかったと思います。

みんな口には出しませんでしたが、「一人っ子だから、甘やかして育てているのかな?」と感じたお母さんもいたと思います。

“緊張に弱い子”=“甘やかされた子”

という方程式は成立するのでしょうか?

実際、育てにくい子であったhidakaと向き合い、育ててきた私は、

“緊張に弱い子”=“甘やかされた子”

という方程式は、当てはまらない事が多いのではないかと感じています。

その多くは生まれ持った性格的なものが大きな要因なのです。

私がhidakaの幼稚園の頃に出会った出来杉くん。

公園でたまたま一緒になり、出来杉くんのお母さんと一度お話できたのですが、特別な事はしていないと言っておりました。

その子の持っている特性なのです。

ただ話していて、接し方で感じました。

その子の持つ能力をよく理解し、上手に甘やかしているということを。

その子それぞれ、社会で期待される事も違います。

出来杉くんのママはママで、そのような能力を生まれながら持ってきた子の特性をよく感じ、社会に必要とされる人に育てられるように、向き合い、手を掛け、目を掛け、丁寧に接しているのです。

そこには、子どものタイプは違いますが、参考にするものがありました。

甘えれた時間で満たされた子が本当にタフな子

ということです。

“緊張に強くなる”のに必要なのは、“甘えれた時間で満たされた”かどうかなのです。

甘えれた時間というのは、自分が主体だった時間。

人に合わせられる子というのは、家庭で十分に主体である事を感じている子です。

自分が主体で居られる場を持っている。

主体であるという事を充分に感じている。

そういう子が自分を信じる事ができ、自分の力を必要な場面で発揮できる子に育つのです。

“緊張に弱い子”が緊張に強くなる為に必要なのは、“自分らしくをよしとされる甘えられる時間”と“自分を信じる力”なんです。

自分らしく、持っている力をしっかりと揺るぎないものとして育てる事が大切です。

それに間違いはないのです。

 

まとめ

学習発表会というのは、私たち“育てにくい子”を育てるものとしては、一歩間違えると、その“育てにくさ”というものを痛感させられるものにもなります。

イベントというものに、何か大きな意味を感じ、怯えていた日々もありました。

“本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18”

18も少し多いし、書いていることも被っている項目もあり、もっとスマートにまとめようかとも思ったのですが、伝えたい思いがどの項目も強かったので、ご提案させていただきました。

緊張が強く上手に付き合えない大人はたくさんいます。

私もどちらかというと、緊張しない環境のほうが好んで生活しています。

でも、人間力を高め、人生を豊かに彩っていく事を考えると、“緊張”とは上手に付き合えていけた方が、世界は広がり、あらゆることに挑戦していくことができるのです。

hidakaの事をよく知っています。

ストレスのない環境で、好きな事を好きなだけ、静かに暮らしていく人生を歩ませようと考えた事もありました。

でも、本当にhidakaはそれを望んでいるのでしょうか?

大人になったhidakaが、「たくさんの経験が今の僕を作っている。」と感じてもらえるように、育てていきたいと思っています。

“緊張”と上手に付き合えるように成長したhidaka。

あらゆる事の挑戦への原動力になっています。

世界は広がり、あらゆる経験が、今後のhidakaの人生の彩りに繋がっていく事を願っています。

 

 

 

お付き合いいただき、ありがとうございました。

“緊張”との付き合い方、その子の持っている緊張度の高さによって、難しい項目もあるかもしれません。

でも、ひとつでも参考になれば幸いです。

一生物の“自分を信じる力”に繋がり、“緊張に打ち勝ち”豊かな人生を歩めるきっかけになれば・・・・!

 

 

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本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18・・・その2 http://difficultchild.net/strong-tension2/ Wed, 12 Dec 2018 05:38:20 +0000 http://difficultchild.net/?p=1694 ご訪問いただきありがとうございます。

 

前回の続きでございます。

前回の記事

(→本番に本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18・・・その1)

 

本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18・・・その2

 

発達障害グレーゾーンの子の強い緊張を和らげる18のこと

1.無理させない

子どもたちはそれぞれ、得意なことや苦手なことを持っています。その生まれながらに持っている苦手は、よほどの努力をしても、生涯大きく変わり一転して得意になることはありません。

何をしなくても走るのが速い子もいれば、何をしてもクラスで一番速く走れるようになれない子がいるのと同じです。

誰も走るのが苦手な子に、クラスで一番を強いて努力させる人はいません。

得意な子と苦手な子を同じ土俵にあげ、その能力の差を頑張りの軸として評価する事は決してできないのです。

“緊張が強い子”に、いきなり主役級の穴があってはいけない出番を用意してはいけません。

“緊張が強い”という特性をよくよく理解し、決して諦める訳ではない無理のない出番を準備するべきなのです。

私たちができるのは、“ありのままのあなたでいい”としたうえでの、成長できる為の環境の整備なんです。

“緊張が強い”という個性を認めたうえで、どうすれば自信をつけていくことができるのか、安心して挑戦できる環境はどのようなものなのかを、私たちが考え整えていくのです。

その為に、学校の先生や幼稚園の先生、周囲の関わりのある人たちに協力を仰ぐのが、私たちの役目。

“緊張が強い子”にしてあげられる、私たちの支援です。

決して無理をさせ、場数を踏んで、慣れさせるという方法では、ますます緊張が強くなり、生涯その特性にしばられ、解放されなくなってしまうかもしれません。

2.少しずつできることで自信をつけていく

自信は確実なものにしていく必要があります。

ぐらぐらと不安定に積み上げるのでは、いつか大きく崩れてしまう可能性があります。

ゆっくりと丁寧に、小さいけれども密に積み重ねていく事で、盤石な自信という土台ができあがります。

小さなものから、積み重ねている事を意識して、私たちは接していく必要があります。

できるようになったことは、一つずつ丁寧に振り返ってあげてください。

言葉で伝える事が、一番記憶に残り、子どもの心に形として残ります。

私は、hidakaが新しくできるようになったことには、必ず意識して声を掛けます。

「えらいね。」や「すごいね。」という漠然としたものではなく、

「○○できるようになったね。うんうん。○○をがんばったね。」

というように、“できるようになった”“何をがんばった”という言葉を使います。

そうすることで、hidakaの中に「○○はできる」「ぼくは努力できる」という確実な自信として形が表れ、積み上げていく事ができるのです。

3.小さなステップで

大きな自信を積み上げていく事ができれば、あっという間に「ぼくはできる!」という“緊張に打ち勝つ”自信を付けていく事ができます。

何とも効率がいい。大きな自信には大きな挑戦が一番です。

ですが・・・・そこは発達に凸凹のある子。

効率よくいかない事もあります。

多くの人が評価してくれるような成果が見られないときもあります。

“大きな成果”を期待するのでは、“緊張に打ち勝つ”ために必要な自信を十分に積み上げていく事ができないということ、あります。

積み上げる自信は小さなものでも、数を積めば大きな自信に繋がっていきます。

期待するべきなのは、日々向き合い、心を込めて育てている私たちだからこそ気づける“小さな成果”です。

目標を設定し、その達成に気が付き、承認を与える事ができるのは、いつだって一番傍にいて、我が子の成長を願っている私たちなのです。

達成感を感じる課題で、小さなものを順に設定してあげてください。

そして、“できるようになったね”と丁寧に積み上げ、次の目標を設定していくのです。

いつしか“大きな目標”と思っていたものが、“小さな目標”の達成により叶っているということに、驚く日が来るかもしれません。

4.子ども主体の時間を作る

自分が主体であるということを知っている子は、自分で自分の人生を創りだし、歩んでいく事ができます。

“緊張に強くなる”というのに必要なのは、自分をコントロールする力なのです。

どんなに私たちが“緊張に強くなって欲しい”と願っても、最終的には“自分がどうしたいか”なのです。

自分が主導権を握り、緊張を身体をコントロールしていく必要があるのです。

特に“緊張に弱い子”には、この“自分が主体である時間”がとても大切なのです。

そういう意味では、器用な子と違って、自分が主体であるという時間を、自分で日常から作り出すことに不器用さがあるという一面に気が付いて下さい。

一見マイペースに見えることもあるでしょう。

でも、集団に入った時の姿はどうでしょうか?

“緊張に弱い子”の多くは、保育園生活・幼稚園生活・学校生活という社会の中、兄弟間という家庭の中でも、気が優しく、上手に自分の意見を主張することができず、人間関係を良好に築いていくうえで、自分の考えを抑え、合わせ流されてしまうという一面がある子が多い気がします。

自分の意見がないわけではないのです。

自分の“こうやりたい”がない訳ではありません。

ただ上手に主張ができないのです。

発達障害グレーゾーンの子の受け身態勢が強い子は、対人面での苦手によって、上手くコミュニケーションをとって自分の思いを伝える事に困難を抱える子が多いです。

でも、社会に適応したい。

そうある事を望まれている。

その結果、主体であると感じる時間を抑制し、社会に適応するという姿を見せいていることがあります。

それでは、圧倒的に“主体性を感じる時間”が不足してしまうのです。

では、どうすればよいのでしょうか?

社会は変わりません。

幼い子どもたちに、我が子と接するときは自分を抑え、時間を掛け我が子の思いを意見を引き出し、聞き入れて欲しいとはお願いできません。

子どもたちはそれぞれ“自分が主体”であっていいのです。

変われるのは私たち大人だけです。

“緊張が強い子”に、自分が主体であることを感じさせてあげられることができるのは、私たちだけなのです。

忙しい毎日で、いつもいつも主体にしてあげることは難しいでしょう。

なので、決めるのです。

時間を。

1日30分と決めたならば、その時間は、我が子に手を掛け、目を掛け、やって欲しい事をやって欲しいだけしてあげましょう。

何かを買い与えるわけではありません。

私たちの時間を使い、手を焼き、“あなたの人生はあなたが主役”なんだと強く感じさせてあげるのです。

5.得意を伸ばし活躍させる

発達に凸凹がある子というのは、必ず凸の部分があります。

それは、才能や天才と呼べるレベルのものだけが、凸の発達ではありません。

年相応以上に発達している部分、その子の長所と呼べる部分です。

凹の発達が障害まで至っていない場合、私は苦手を抱える子の自信の為に、凸の発達に注目し、生涯制限なく、伸ばしていく事をおすすめしております。

その生まれ持った得意というのは、自信を大きく積み上げるチャンスなのです。

過度に期待しすぎる必要はありませんが、活躍できる機会というのをいつも伺っているべきと感じています。

絵のコンクールに参加する。ピアノの発表会に参加する。学校や幼稚園の先生に自信をつけさせたいと相談しておく。そのような機会を周囲の大人にも作って欲しいのです。そろばんの大会に出る。算数検定・漢字検定というような目に見えて結果が賞状や級で評価されるものもいいです。

無理のないように、凸が活躍できる場をいつもいつも探していくべきなのです。

その子の持つ得意に注目される事は、子ども達にとって、とても嬉しい経験になります。

周囲が認めてくれるという社会的な承認は、何物にも叶わない大きな自信に繋がっていきます。

6.存在自体を認める

発達に凸凹のある子、発達障害グレーゾーンの子を育てるうえで、気を付けなくてはいけない事があります。

それは、その子の持つ苦手を社会適応させたいと一心に願うあまり、社会的に正しかった時だけにその行動を認め、褒めてしまいがちになってしまうということです。

以前、“都合のいい子”という言葉を使い、そのことを記事にしております。

(→あなたにとって“都合のいい子”にしようとしていませんか?育てにくい子が将来有望!?自分の意思を持ち自分の道を切り開いていける子にする10の方法)

大切なのは、“存在自体を無条件に認めているか”ということなのです。

育てている私たちは、そんなことは当たり前だと思うかもしれません。

ですが、発達に凸凹のある子、発達障害グレーゾーンの子の子育てでは、本当に伝わりにくいのです。

社会に適応させようと思えば思うほど、気持ちを掛けて関われば関わるほど難しくなります。

なので、意識して伝えなくてはなりません。

子どもが小さいうちは言葉で伝えてあげてください。

「かわいい。」「大好き。」「大切なんだ。」「あなたは私たちの宝物なんだよ。」

頭をなでてあげてください。ほっぺを優しく包んであげてください。にっこり笑って目線を合わせて接してあげてください。

年齢が上がってきたら、言葉で伝えることは照れくさく、難しくなってきます。

でも、伝えるのは言葉だけではありません。

そっと背中に触れてあげてください。

肩を頭をぽんぽんと気持ちを込めて伝えてください。

“何ができなくても”“ダメなところがあっても”“がんばれなかったとしても”私たちはあなたの味方なのです。

7.その時を待つ

我が子が“緊張に弱い”ということがわかったとき、私たち親は、子を思うあまり、あまりにも速く克服させようと焦る気持ちになります。

それだけ、子ども達が迎える社会では、たびたび“緊張”と向き合わなければならない行事が多いからです。

でも、その焦りが、しなくてもよかった“緊張による失敗”を経験させることになり、我が子を“緊張感への不安のスパイラル”に突入させることになったりします。

克服させるために、大きな労力を使う事になってしまうのです。

もっと慎重に、子どもの10年後を見越し、今を過ごすべきなのです。

「こうなって欲しい」は必要ありません。

育てるべきなのは、「どうなりたいか」です。

それを応援するのです。

「こうなりたい」という気持ちが育つまで、時期が来るまで心を育て、待つのです。

8.親が他の子と比べない

“比べられる事”というのは、もっと頑張ろうの原動力になることもあります。

ですが、それは相互的に対等レベルのライバル関係になったときのことです。

自分が憧れから、自己と他を比べ、自分を高めていくという関係性もありますが、自分以外の他の人、特に親に周囲の子と比べらるときには、心に大きな傷ができるということは、皆さんもご存知かと思います。

以前、私たちが陥る“比べる病”に関して記事にしたことがあります。

(→“比べる病”はどうすればいいの?発達障害の特性を持つ我が子と健常の子を比べてしまう時に気がつくべきこと4つ)

“緊張が強い子”を育てるうえで、私たちはどうしたって“緊張と上手く付き合ってる子”がまぶしく見え、どういう育て方をしているのだろうかと参考にしたい気持ちになります。

もしくは、我が子にそのような“緊張と上手く付き合ってる子”に気づかせ、そこから自ら学んでいって欲しいという気持ちになることもあるかもしれません。

ですが、それはとても難しい事なのです。

“得意なもの”を育てる方法と、“苦手なもの”を育てる方法は一緒ではありません。

ましては、“得意な子”と“苦手な子”を同じ土俵で比べる事なんてできないのです。

9.強力な味方をつける

親の力だけでは“緊張が強い子”の“緊張”に勝つ事はできません。

発達に凸凹のある子、発達障害グレーゾーンの子は、私たちだけでは、私たちの力だけでは、どんなにあがいても育てあげることは難しいのです。

hidakaに発達障害の疑いがあるということがわかったときに、私は“人に迷惑を掛ける子にしてはいけない”と、一人でhidakaの苦手のすべてを背負いこみ、“どうしたら人に迷惑を掛けない子にできるか”ということを、悶々と考え悩んだ日々がありました。

ですが、そんなことは無理なのです。

家から一歩も外に出ず、閉じ込めておくことはできないのです。

当時、私のその思いを、療育先で臨床心理の先生に相談しました。

大真面目です。

「どうしたら人に迷惑を掛けない子にできるでしょうか?」

すると、臨床心理の先生は静かに応えてくれました。

「いっぱい手を掛けてもらえばいいんです。みんなで育てていくでいいと思いますよ。」

ハッとしました。

“迷惑を掛けない子”にしたいと願っていたのは自分だったのです。

でも、これは私が“自分の都合”で願っている事。

hidakaが望んでいる事ではないと気づかされたのです。

“緊張が強い子”も一緒です。

“緊張が強い子”は、特別な支援を必要としています。

それは、大げさなものではないかもしれません。些細なことで、“緊張との関わり方”が変わっていくかもしれません。

少し待ってもらうだけで、少し手を掛けてもらうだけで変わるかもしれないのです。

多くの“緊張”と向き合う事になる、保育園・幼稚園・小学校。

先生に協力を仰ぎましょう。

協力してもらうのです。

我が子の困難が見えたときには、迷いなく動いていいのです。

過剰になり過ぎないように見極め、どうしていったらよいのかというのを一番傍で我が子の将来を見据えてプランニングしていくのは、児童精神科の先生でも療育の先生でも学校の先生でもありません。

子どもの将来を見据えて、環境を整えていくのは私たちなのです。

10.一進一退を恐れない

今はhidakaは、一見“強い緊張”に折り合いをつけ、上手く緊張と付き合えるようになっていると感じる結果がでております。

ですが、今後はわかりません。

よく女の子のお母さんから耳にします。

「○○、小さい頃は大丈夫だったんだけど、最近、すごく緊張するのよね~。」

成長と共に、「もしも失敗したら・・・」という事に思いが及ぶようになっていくというのが、性格にもよりますが、子どもの成長なのかもしれません。

きっと今のhidakaは、「失敗したら・・・・」ということに、思いが及んでいないという部分もあると思うのです。

時に、hidakaの凹の発達が原因で、年相応とは遅れて、認知が広がっていく事があります。

なので、そんな時期を迎えたときにも、焦って目先のことだけに囚われてはいけません。

もっと長い視野が必要なのです。

そして、一時退化したように見えたとしても、知っておくべきなのです。

確実に前に進んでいることを。

“成長の一環だ”ということを知っていれば、一進一退を怖れることはないのです。

 

 

長くなりました!

“緊張に打ち勝つ強い心を育てる”

次回、本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18・・・その3

後半の8つの方法をご提案します!

ひとつでも参考になることがあれば幸いです。

 

お読みいただきましたありがとうございました。

 

 

 

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本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18・・・その1 http://difficultchild.net/strong-tension1/ Thu, 06 Dec 2018 04:17:57 +0000 http://difficultchild.net/?p=1680 ご訪問いただきありがとうございます!

 

12月になったと思ったら、師走と言われているように、駆け抜けるようにどんどんと月日が流れていきますね。

先日、hidakaと一緒にクリスマスツリーを飾りました。

ライトをつけると、嬉しそうににっこり。

 

hidaka「ママ!サンタさんプレゼントくれるかな~?ひだか、がんばってるから大丈夫だよね?」

幼稚園で“いい子”にはサンタさんからプレゼントがもらえると聞いていたhidaka。

この時期になると、自分が“いい子”かどうか気にしております。

 

私「そうだね。学習発表会もがんばっていたね!きっと見ていてくれているね。」

hidaka「ふふふ。」とにんまりしておりました。

 

先月、hidakaは小学校はじめての学習発表会を迎えておりました。

3年前の幼稚園での初めての発表会は、周りの子と同じ事がhidakaには非常に難しかった時期だったので、親子共に「心臓が口から出てくるんじゃないか!?」と思うほどどきどき。。。

hidakaは、表情固く、コミュニケーションは全くとれず・・・

とても張り詰め緊張するものでした。

そんな中迎えた当時の発表会。

本当に衣装を着れたことが、ステージの脇から出てきただけで奇跡のように感じ、加えてキョロキョロしながらまわりに合わせて踊れたことが・・・!!

とても成長を感じるもので、感動して胸が熱くなり、それまでの緊張と、今までの様々な思いで涙が抑えきれず、「うんうん。すごいね。成長したね。」と、確かな手応えと、これからの未来に期待を感じるものでした。

それから1年1年、毎年の幼稚園の発表会で“緊張との付き合い方”を確かなものにしていき、

3年後の今、小学生になったhidakaの発表会は・・・・

「楽しむことが大切だよね。」というように、“楽しむ”というものが目標になっていきました。

 

そして来るべき小学校生活初めての学習発表会では・・・

堂々と木琴を披露し、手早く衣装に着替え、どきどきと自分のセリフの番を待ち、いいタイミングで大きな声で発表し、誇らしげな顔を見せてくれました。

慣れない初めての状況、たくさんの注目が集まるというのが苦手で、表情固く、コミュニケーションがとれず、目が合わなく人形のようにフリーズしていたhidakaが、堂々と演奏し、大きな声でセリフを披露していたのです。

幼稚園という場では慣れ、成長していたhidaka。

小学校という場で力を発揮できるか、心配していましたが、

“緊張を楽しむこと”、できたようです。

 

繊細で緊張しやすい一面を相談していた担任の先生も、hidakaの力量を見極め、無理はないけれど、苦手を抱えるhidakaの自信に繋がるように、配役や役割を考えてくれている事を感じました。

特に音楽に対する自信をこの3年間で上手く育てることができ、それが器楽演奏での活躍になり、人前に出る事への余裕を生み、台本通りが大好きという特性も生きて、セリフでの参加という発表会を楽しめるものにできているのかもしれません。

でも、私は忘れていません。

hidakaは間違いなく“緊張に弱い子”です。

育ててきたものが、“いい形”で花開き、実を結んだものなんだと思います。

積み重ねてきたものがあって、今があるんです。

 

本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18

現代の子は不安感が強い子が多い!?

ママ友達と何気なく話していても、子どもの緊張の話しは出てきます。

子どもが陥る“不安障害”というものも、昨今注目され、書籍や雑誌の特集、ネットの情報などで目にしたりします。

どうして現代の子どもたちは、不安感が強いと言われているのでしょうか?

それは、現代に置かれている子育て環境とそれに伴い変わってきた“幼少期の育てられ方”が、大いに不安感を増長する原因になっているのではないかと感じます。

hidakaがまだ1~2歳だったころ、「鬼から電話」というアプリが周りのお母さん達で流行った事がありました。

登録すると、必要な時に設定をして、鬼から電話がくるという仕組みのアプリです。

その鬼からの電話を、駄々をこねている子どもに聞かせ、恐怖を仰ぎ、親の思うような行動へコントロールするということがねらいのようです。

その効果は高く、第一次反抗期を迎えている子どもたちは、鬼からの電話を怖がり、ママの言う事を聞くようになるという口コミが広がりました。

私の周りでも、「いいよ~使えるよ。」と当時仲良くしていたママ友達が私に話したりしておりました。

hidakaは、この頃反抗期を迎えていなかったので、どうしようもないくらいにイヤイヤされ、「じゃあどうしたいの!?」と声を荒げるママの気持ちがまだピンとこなく、その「鬼から電話」という見えないものへの恐怖感に違和感を感じたりしておりました。

このように、私の周りだけでなく、不安感を仰ぎ子どもをコントロールする子育てというのが、忙しい現代のママ達の間で当時少し流行っていたのかもしれません。

他にも、核家族化による親の過干渉というものも、不安感の増長の原因として考えられるような気がします。

いつもいつも親と子という1対1の関係性で関わることが多く、それは時には余裕がない子育てを生んだりします。

そのような状況下で、大人の思う通りに行動する機会というのが、どうしたって増えてしまっているのです。

人を一番動かすのに効果的なのは“恐怖”です。

意識していなくても、「○○するなら○○はあげないからね。」「もうそういうのは止めてよね!」というように、他に逃げ場のない状況で、恐怖で子どもをコントロールする機会もあると思います。

「鬼から電話」のアプリもそうですが、「結構、私子どもに怒っているよ。」という子育てに対する情報の拡散もあり、「そういう子育ても仕方がないよね。」というような、少し考えれば疑問に思うようなことでも、みんなやってるから大丈夫というような安心感もあるかもしれません。

そして、子どもの不安感が増長している原因として、親の不安感の高まりというのも根にはある気がします。

小さな子ども達が巻き込まれる犯罪が増え、容易に子どもを安心して外に出せなくなりました。

ご近所さんとの関係性もそうです。

知らない人に声を掛けられり、普段いない時間帯に知らない人が通ったというだけでも、ママの防犯意識は高まり、見えない緊張感というものを、子どもたちは日々感じながら育っているのかもしれません。

発達に偏りがある子は緊張や不安が強い傾向がある!?

自閉症スペクトラム傾向のある子どもは、緊張や不安感が強い子が多いようです。

それはなぜなのかと言うと・・・・

上手くその緊張や不安を“吐き出せない”からです。

自分の思いや感じていることを、「あ~緊張してきた!」や「不安だなぁ。。。」と言葉にして吐き出すことに抵抗がない子は、「でも、頑張ってきたもんね!」や「でも大丈夫!できる!」と、ポジティブに気持ちを切り替えやすくなります。

感情を紛らわしたり、ドキドキで落ち着かなくてへんなテンションになるというのも、また緊張や不安な気持ちを上手に吐き出せていないからです。

「緊張してきた~」「どきどきする。。」「○○が不安~」というように、上手く内の感情を言葉で吐き出せると、自然と自分の気持ちと折り合いをつけていけたり、周りも共感してあげたり、対処法を考えてあげたりと、働きかけることが容易になります。

緊張や不安な気持ちを吐き出さない結果、働きかけることが難しいという状況を生んでいるのです。

ずっと心にモヤモヤと渦を巻き、どんどん広がって、心を不安と緊張で支配され、身体の自由を奪われているのです。

緊張が強い子に親はやってしまいがち!?

「頑張んなさい!」「このくらいできるでしょ?」「しっかりしなさい!」

緊張が強い子にやってしまいがちな、叱咤激励というものです。

「こうできないなら家の子ではありません。」冷たく当たるというのも、聞いたことがある言葉かもしれません。

“付き離して頑張らせようとする”

我が子が“緊張が強い子”だったとき、“本番に弱い子”だったとき、育て方の候補として、頭をよぎると思います。

なぜ、その選択肢が浮かぶのかと言うと・・・・

“効果がある事もある”と知っているからです。

あと一歩を踏み出せない子の背中を押し、「できたでしょ?だから言ったじゃない。」とできる事もある。

そういう成功例を聞いたことがあるからです。

そういう経験を、私たち親もまた幼少期にあったり、兄弟や周りの子でいたということもあるかもしれません。

緊張不安感の強い子の育て方として、根強く定着しているのです。

緊張感が強い子は甘やかして育ててきたせい!?

緊張不安が強い=ストレスへの抗体がない

ということになると、問題解決能力が乏しいということになり、緊張しない環境で、親が過剰に干渉し、甘やかして育ててきたという“見かた”があることも確かです。

緊張の強い子の親は、必ず「私が甘やかしたせい?」と自問するということもあるでしょう。

でも、私は多くはその子が持つもともとの生まれながらの“性格的なもの”なのではないかと感じております。

hidakaという“育てにく子”を育てる中で、どうしたって変わらない、その子独自の性格的なものを強く感じてきたからかもしれません。

親がその子の持つ特性に働きかけれるものなんて、環境で影響を与えられるものなんて、ほんの一握りにすぎないのです。

私はその事を知っています。

発達障害グレーゾーンの子・発達に凸凹のある子の緊張はどうしてあげたらいいの?

叱咤激励。定型の発達の子であれば、効果的な事もあるかと思います。

いつもいつも一緒になって「どうしようか?」と話し合わずとも、「ごちゃごちゃ言わず頑張りなさい!」で、頑張れてしまう事もあるのです。

そういう意味では、“あと一歩”ということなんです。

それならポンと背中を押してあげるで解決することもあります。

でも・・・・私たちが育てる発達障害グレーゾーンの子・発達に凸凹のある子の場合は・・・・

“あと一歩”ではなかったりするのです。

その場合、付き離しが見離された気持ちになり、孤独を抱え、緊張に打ち勝つ事が難しい状況を生んだりします。

発達に偏りがある子は、周囲が大丈夫なことに大きなストレスを抱え、社会適応させていたりするのです。

そんな日常の中で、さらなるストレスをかけ、“自分で自然に”ということを過剰に求めていくと、大きな負担になってしまいます。

そのような状況下で、過度なストレスを感じ、思ったような行動ができず、大きな失敗体験を生み、認められない、自分を肯定してもらえない体験をしてしまうと・・・・

経験しなくてよかったトラウマ体験になり、緊張からの克服が遠のき、さらなる困難を生みだしたりしてしまいます。

“育てにくい子”を育てる私たちは、その危険性を知り、そのような状況下に我が子を置かないように気をつけなければならないのです。

 

さぁ!では、どうすればいいのでしょうか?

長くなってしまったので、次回

“本番に弱い子を緊張に強い子にしてあげる為にやってあげるべきこと18”

ご提案します!

 

お読みいただきありがとうございます。

次回もお付き合いください。

 

 

楽天セールはじまりましたね!

私たちは北海道のWinterシーズン突入という事で、スキー道具などを揃えたりしておりました。

新品で買っても、今はメルカリなどのフリマアプリもあるので、中古で販売することも考え、一人っ子のhidakaには、中古でも値が付くように、メーカー品などを選んで購入したりしております。

スキーはこちらで一式揃えました。

 

 

 

 

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hidakaDJ Zeen~うた~“花” http://difficultchild.net/hidakadj-zeen-hana/ Thu, 22 Nov 2018 07:35:14 +0000 http://difficultchild.net/?p=1683 ご訪問いただきありがとうございます!

 

3歳、言葉の遅れが目立った息子hidakaに、言葉を教えようと奮闘した日々で、視覚優位な我が子の耳の発達を促すために、音楽を使っていました。

耳なじみのいい言葉が使われている童謡を中心に、ハイパーレクシアな特性を生かし、一緒に歌詞カードをのぞき、目で読み音を脳にインプットしていたのです。

歌詞カードをみながら、音を覚え歌うhidaka。

傍に行き、一緒に歌いました。

歌を覚えたhidakaの手をとり、一緒に踊りました。

いつしか音楽は、夢中になり過ぎるテレビを禁止した私たちの、唯一の娯楽になっていきました。

hidakaは歌が大好きです。

小学生になった今では、hidakaはいつも歌っております。

頭の中は音楽でいっぱいのようです。

そんなhidakaが最近気に入っている曲を紹介させてください♡

 

♪~hidakaDJ Zeenうた“花”~♪

 

 

“中孝介 花”

2007年に発売された曲です。

楽曲は「さくら(独唱)」で知られる、森山直太朗が作曲していて、きれいな旋律な柔らかい曲です。

子どもならではの透き通る声で、しっとりと歌い上げるhidakaの“花”をきき、私は何だかじーんと心に響きました。

思い浮かんでいたのは、hidakaを育てた3歳~5歳というhidakaの子育てを語る上で一番大変な時期の、私の“母としての思い”でした。

“あなたはあなたのままで そのままでいいんだよ”

というのがテーマだったこの2年間。

そんな当たり前の事を認めてあげる事が・・・・難しかった。

3歳というのは、集団生活の入口だからです。小学校という人生に大きな影響を及ぼす期間を迎えるための準備をしていく期間でもあります。

発達障害の疑いがあり、我が子の発達と毎日、どうしたって向き合わなければいけなかった、そんな時期です。

周囲の子ども達と比べ、心が凍りつくほど寂しい思いをし、張り付いたような笑顔を浮かべ乗り切り、家に帰ってから部屋の隅でうずくまった事もあります。

でも、hidakaが5歳になったとき、私の母としての境地はまさにこの“花”のような、穏やかで優しい気持ちでした。

 

♪~もしもあなたが 雨に濡れ

言い訳さえも できないほどに

何かに深く 傷付いたなら

せめて私は 手を結び

風に綻ぶ 花になりたい~♪

 

不器用さを抱え生まれてきた我が子の困難を、辛さを、取り除いてあげたかったのです。

器用にしてあげたかった。寂しさを感じて欲しくなかった。幸せになって欲しかった。

でも、不器用さを取り除いてあげることはできませんでした。

私が母としてしてあげられたのは、手を結び、「だいじょうぶ。私はあなたが大好き。」と励ますことしかありませんでした。

 

♪~もしもあなたの 夢破れ

行き先のない 日々は暮ゆき

信じることさえできなくなれば

せめて私が 声にして

明日にたゆたう 歌をうたおう~♪

 

hidakaが生まれたときに、私たち夫婦は本当にたくさん我が子に夢みました。

そのくらい真っ白で、夢をみることに、何も遮るものがなく、希望でいっぱいで生まれてきたからです。

でも、発達の遅れを知った時、その生まれ持った不器用さが及ぼすであろう困難で、未来が見えなくなり、一点の曇りもなかった希望を見失いました。

でも、5歳を迎えた頃には、もう一度我が子の未来に希望を持ち、もしもhidakaが道を見失い、迷い苦しむことがあっても、

「あなたなら大丈夫。必ず自分の道を切り開いていく事ができる。」と、

子の成長を信じる事ができるようになっていました。

 

♪~花のように 花のように

ただそこに咲くだけで 美しくあれ

人はみな 人はみな

大地を強く踏みしめて それぞれの花 心に宿す~♪

 

“Difficult children” 難しさを抱える子ども達という意味を込め、このブログの名前にしました。

育てることが難しいという意味で、私たちの子育ては、世界にひとつしかないような希少な“花”を育てているような感覚にハマることがあります。

花を咲かせる事に工夫がいり、手が掛かり、とても難しいのです。

目を掛け、手を掛け、大切に慈しみ、水をあげ、日を当て、励まし、温かい気持ちで声を掛け、認め、手入れして、はじめて花を咲かせます。

めずらしい花かもしれません。

小さな愛らしい花かもしれません。

独特な色合いの花かもしれません。

たくさん咲くかもしれないし、一生で一度大輪の花かもしれません。

どんな花が咲くのかは、咲いてからのお楽しみです。

でも、「咲いて欲しい。」と私は思います。

「咲いて欲しい。どんな花か見てみたい。」と、毎日大切に育てています。

枯れないように。腐らないように。

力強く根を伸ばし、のびのびと、たくさんの日を浴びられるように。

過酷な環境の時には、励まし、花が咲くことを信じて。

そう考えると、どんな花でも構わないと思っているのです。

ただ、“美しくあれ”と。

 

まとめ

hidakaが生まれたばかりの頃は、hidakaの花は、よく見るありふれた花を咲かせる事に“希望”を持っていました。

優しく、思いやりがあり、要領がよく、やりたい仕事をして、家庭を作り、人生を豊かにし、幸せになって欲しいと。

100人見れば100人名前がわかる、バラのようなガーベラのようなひまわりのような、そんな育て方も好んでいる環境もよく知っている花をイメージしていたのです。

でも、hidakaはバラのような子どもではありませんでした。

ガーベラのような子どもでも、ひまわりのような子どもでもありませんでした。

普通に水をあげ、日を当て、温かくして、肥料を与えても、たくさんの愛を伝えても、よく知られている育て方を丁寧にしても、すくすくとは育っていきませんでした。

それが“育てにくい子”を育てる感覚だと思います。

「もしかしたら、花を咲かせることができないかもしれない・・・・・」

育て上げる自信を失った事もあります。

 

でも、目の前に青々とした葉を見れば、新しく芽がふけば、放っておくことなんてできないんです。

ずっとどうすれば元気に、すくすくと育っていくのかを考え、接してきました。

そんな日々の中で、私は信じられるようになってきました。

必ずhidakaは“花”を咲かせると。

その為に私にできることがあると。

そう信じて、いつの日か咲く“花”がどんな色か、どんな香りか、美しくあることを願い、楽しみにしようと思っております。

 

お付き合いいただき、ありがとうございます!

 

音楽と共に過ごすゆったりとした時間、おすすめです。

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言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳4カ月 生活 http://difficultchild.net/hidaka-3y4m-life/ Fri, 16 Nov 2018 03:07:54 +0000 http://difficultchild.net/?p=1673 ご訪問いただきありがとうございます!

 

「スイミングのテスト合格したい!」

「スマイルゼミの発展コースやってみたい!」

「発表会でピアノやってみたい!」

「カラオケ大会出てみたい!」

何やら意欲的なhidaka。

小学生になり、“頑張る”というところに楽しさを感じているようです。

今のhidakaではハードルが高い欲求もあるのですが、“やりたい”“やってみたい”という気持ちを大切に、自信がついていくようにサポートしていきたいと思っております。

 

言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳4カ月 生活

 

言葉に出来ず、“面白くない”“思い通りにならなくてイライラする”というモヤモヤとしていた気持ちを、物を投げるということで表現していた時期もありました。

ですが、この頃から言葉を使った表現方法を身につけ、少しずつですが、言葉で表現するようになり、何をして欲しいのかわかりやすいものになってきました。

▼痛いときの表現方法

1~2歳の頃は、痛みを感じるようなことがあっても、「痛みを感じている?」と思うほど、鈍感で転んでもケガをしても、ワーッと泣き叫ぶ姿は見た事がありませんでした。

(→爪を噛んだり髪をひっぱったり靴を脱いだり履いたり 感覚過敏だけではないんです!発達障害の子の感覚鈍麻知っていますか?)

3歳を迎える頃には、その痛みを感じるということに、身の危険を感じだし、パニックになるという姿がありました。

転んだり、ケガをすると、パーっとどこへともなく走り出し、自分の落ち着ける空間である“家”に帰ろうと、一直線になるのです。

周囲の子どもたちは、痛みを感じると、すぐにママのところへ駆け寄り、泣き甘えるという姿が一般的だったので、3歳の頃のhidakaが転んだり、身体を強くぶつけたりすると、私は恐怖でした。

3歳の子どもがパニックになり、自分の元ではなく、パーっと走り出し、見失いそうになるからです。

臨床心理士さんに相談し、アドバイスをもらい、私も必死に追いかけ、嫌がるhidakaを抱きしめ、落ち着かせるということを、一生懸命しておりました。

発する言葉は、泣き叫びながら抵抗しながらの「がえるーーーー(帰る)!!!!!」です。

それが、この嫌がる我が子を抱きしめるという事を続けていると・・・・母の胸が落ち着くということに、しだいに気が付いていき・・・・痛みがあると、私のところに来てくれるようになりました。

まさかそんな事を教えないといけないとは・・・・・思っていませんでした。

そして言葉での表現バリエーションも広がり、セリフのようでしたが、「いたい。ばんそうこうはって。」というものになりました。

絆創膏を持ち歩き、大したケガではなくても張ってあげると、安心するという流れができました。

▼離れてみたりべったりしてみたり

よく子どもは母の元で安心を充電すると、社交的になり、外で冒険するようになる。そして、また不安な事が続くと、母の元に充電しに戻ってくる。その繰り返しで、どんどん成長していくということを聞いたことがあります。

hidakaは、私という母の存在を上手に使う事が出来ない子でした。

私はいつも傍にいましたが、甘え下手で、何かいつも一人で頑張ろうとしていたのです。

小さな子どもが一人で頑張れる事なんて、すぐに限界がきてしまい、逃げ出したりパニックになったりと、社会性の不適応が目立ちました。

3歳になってからは、臨床心理士さんのアドバイスを元に、私が積極的に働きかけ、最初は嫌がっておりましたが、母を上手に頼るということが出来るようになってきていました。

その甲斐があってか、「ママはあっち!」のように、自分一人でやりたい時は、意思表示するようになり、不安な事が続くと、私にべったりと甘えてくるようになりました。

「ママ!一緒に!」というように、手を洗いに行くのも、トイレに行くのも、お風呂に入るのも、いつもママが一緒がいいという時間もあり、上手に母の元での安心感を充電できるようになっていきました。

▼朝はのんびりが大好き

7歳になった今でも、hidakaはのんびりとした時間が大好きです。

特に朝は、起こさなければ10時過ぎまで眠る事が多く、日頃の疲れをまとめて癒しているように感じます。

3歳半ごろも早寝早起きは基本ですが、週末などはゆっくりと過ごさせてあげ、リラックスさせていました。

▼自己主張が激しくなってきた!

hidakaは赤ちゃんの頃から、穏やかで優しい性格でした。

7歳の現在でも、その持って生まれた穏やかさと優しさというのは、際立っていて、学校の先生や周りのお友達のお母さんからは、“優しすぎる”と言われる事もあります。

ですが、その“優しさ”というのは、自己の主張がない訳ではないのです。いつもいつも周りに合わせるというものではありません。

自分を持っているから、周りの意見も尊重し、譲ったり意見が違う時にはどうしたらいいのかということを考えていけるのです。

この部分に関しては、言葉が遅いhidakaでしたが、私は彼の個性を生かしながら、上手に育てられたのではないか?と思っております。

3歳半、自己主張が出てきて、小さな事でも「自分はこうしたい!」と駄々をこねていた時に、丁寧に接していました。

hidakaにもわかるように、短い言葉で交渉して、お互いの妥協点を探るということを練習していたのです。

「ママはこうこうこうだよ。こういう気持ちもある。こういう事情もある。hidakaはこうこうこうだね。こういうのはわかるよ。こうしたいね。でも、ママはこうだね。さぁ、どうしょうか?こういう風にもできるね。こういう考え方もあるね。hidakaはどうしたい?」

というように。

▼幼稚園のプレも落ち着いて参加できるように

3歳を迎えたとき、発達障害の疑いもあり、私は本当に支援学級がある幼稚園に通う事を考えていました。

臨床心理士の先生も、児童精神科の先生も、「支援が手厚い幼稚園の方がhidakaくんにとって負担が少ないかもしれませんね。」という見解でした。

なので、一度申し込みをしていた近所の幼稚園のプレを、キャンセルしたくらい、私の中ではhidakaが普通学級で過ごせる姿は見えませんでした。

キャンセルしていた近所の幼稚園にもう一度申し込むきっかけになったのは、同じ歳の男の子がいる近所のママ友達のひとことでした。

「試してみたほうがいいよ。ダメだったらやめればいいし。うちの子もいるから、一緒に行ってみようよ!」と、言ってもらえた事です。

我が子に発達障害の疑いがあると知った時に、“理想的な友達関係を築くことができない”というところに負い目を感じ、お友達関係で悩んだ時期がありました。

(→発達障害グレーゾーンの子を持つママのママ友活動 お互いにとっていい関係を築くために気をつけるべきこと6つ

そういう意味では、自分の子と同じ幼稚園に通って欲しくない。避けられるというのも、仕方がないかと思っていたのです。

ましては、近所でたまに会うくらいの関係しか築けていなかったお友達だったので、その「一緒に行ってみようよ!」という気遣いが何とも嬉しかったのです。

最初はいろいろありました。

周囲と一緒が難しいhidakaを連れ、「本当にここにいる意味があるのだろうか・・・・」と悩んだ事もあります。

でも、hidakaは近所の幼稚園のプレに通う中で変わっていきました。

手厚い支援がない中で、周囲の定型発達の子に影響を受けながら、変わっていったのです。

前に出てみんなと楽しく踊り、絵本の読み聞かせも、私から離れ、みんなの元で静かに聞きいっていました。

散々だった工作も、少しずつペースを掴み、一緒に作り、できたもので遊べるようになっていきました。

▼社会性の発達

3歳の頃の新版K式発達検査の結果は・・・・言語・社会性1歳半という散々なものでした。

(→3歳児健診で言葉の遅れがある子は“発達障害の疑い”からは逃げられない!?言葉の遅れが目立つ子を持った私の体験談

今思い返しても、その発達の遅れというのは、3歳の子が迎える様々な社会との対峙で、不適応が見られるものでした。

そのままのペースで発達していくのならば、間違いなくhidakaは“発達障害”という診断が必要になると、感じざる負えない状況だったのです。

でも、hidakaの特性を知り、関わり方に工夫し、たくさんの刺激を与える毎日で、hidakaは変わっていきました。

初めて会った先生とも、コミュニケーションは未熟ですが、認識の広がりがあり、関係性を理解し、短い時間で心を許し、手をつなぎ、一緒に遊ぶ事ができるようになりました。

慣れない場所での緊張というものも、パニックになり逃げ出すということはせず、その場にいることを頑張り、求められる姿を見せられるようになっていきました。

自転車のレンタルをしたときにも、一緒に返しに行こうとする私を「ひとりで!」と主張し、自分で自転車をひき、返しにいき、「ありがとうございます!」と言えるようになりました。

“お兄ちゃん”というものに憧れ、「お兄ちゃんになってきたね~」と認めると、誇らしげな顔をし、もう一歩頑張ろうとするようになりました。

まとめ

“自分はできる”

“頑張ってみたい”

“できるようになりたい”

hidakaの自己肯定感は、確実に育っていっているようです。

積み重ねてきた生活が、今のhidakaに影響を与えたものだと思います。

そんな“やる気に満ち溢れている”我が子の横で、随分と楽になったなと感じている一方で、不器用な我が子が、“挫折”を感じたときに、どうなるのかを心配するという芽が出ました。

親というのは、いつだって子どもの事が心配なのです。

でも、日々の生活を大切に、“自分を信じる力”を育んでいけば、例え“挫折”を経験したとしても、必ず立ちあがり、前へ歩み出していってくれると信じていこうと思います。

“できることを”“できるだけ”

それが、私がhidakaにしてあげられることです。

 

お読みいただきありがとうございます!

 

hidaka6歳よりはじめた“スマイルゼミ”のタブレット学習。

hidakaは意欲的に毎日勉強しております。

1学年上の内容をやっているのですが、はじめた当初は文章問題などで私の解説がないと解けない事もありましたが、今では文章問題のイメージ化もできるようになり、ひとりでサクサクこなすようになってきました。

みまもるネットというのがあり、hidakaの学習状況を細かく分析したものを見る事ができるのですが、ほぼ解き直しもなく、100点をとっている状況でした。

これは・・・・ちょっと物足りないのかな?と感じていた矢先に、一ランク上の内容を学習できる“発展クラス”の問題がお試しで配信されました。

やってみると・・・・私でもちょっと考えないと、解けないレベルでした。

特に国語で語彙力の強化に力を入れているところも魅力で、算数は理論的な考え方が必要になる問題です。

月々+800円ということで、問題集買うよりも今までの延長線上で挑戦できると感じ、申し込みしました。

少し刺激のある問題を、“考える”ということが楽しいらしく、学校から帰ると「スマイルゼミやってもいい?」とお願いしてきます。

わからないときは、一緒に考えたりして中学受験を目指している訳ではないので、気楽に取り組んでいます。

(→スマイルゼミ入会しました!発達障害グレーゾーンの子の“タブレット学習”を考える



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視力低下が進む子どもに発達障害の特性!?視覚優位な子の視力を守る為にできること6つ http://difficultchild.net/vision-loss/ Tue, 13 Nov 2018 03:22:12 +0000 http://difficultchild.net/?p=1668 ご訪問いただきありがとうございます。

 

いつも通りテレビを見るhidakaを、キッチンから料理をしつつ何となく眺めていて・・・・

「・・・・ん?」と気になることがありました。

それは、hidakaがテレビの番組表を出した時に、ソファからわざわざ立ちあがり、かなりテレビの近くに行って、顔を近づけて見ていた事です。

とっさに「テレビ近いよ!眼悪くするから、ソファから見なさい!」と注意しました。

それを聞いたhidakaは、私の顔をみて、何か言いたそうです。

 

「どうしたの?」と聞いてみると・・・・

 

hidaka「だって、見えないよ。」と一言。

 

「!?ソファから見たら見えないってこと?その距離から読めないってこと!?」

さーーーーと血の気が引き、ふつふつと湧いてくる焦りの気持ち、何かの間違いであって欲しいという気持ちから言葉が飛び出しました。

hidaka「?うん。」

それがどうした?というような反応です。

 

hidakaのなかではいつのまにやらそんな見えない事が日常になり、いつのまにか当たり前になっていたのです。

ざわざわする心の中で、どこか冷静な私が言いました。

「ついに来たか。」と。

気をつけに気をつけていたhidakaの視力。

こんなに気をつけていたのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう。。。。と、hidakaを育てるうえで、時折見せる“育てにくさ”というものを強く感じ、「はぁ。。。」とため息するのでした。

 

視力低下が進む子どもに発達障害の特性!?視覚優位な子の視力を守る為にできること6つ

視力低下の子ども原因は何?

近視の本当の原因というのは、実はまだよく分かっていないようです。

ですが、その遺伝的な因子というのは、かなり強いようで、両親ともに近視の場合は、高い確率で、その子どもも近視になります。

そして、もうひとつは環境因子と呼ばれるもので、近くの物を見る事が多い都会の子どもは、遠くのものを見る事が多いサバンナの子どもに比べると、近視になる確立が高いようです。

この遺伝的な因子と、環境的な因子が複雑に絡み合い、“こどもの視力の低下”を招くと言われています。

発達障害の特性が視力低下を招く!?

眼を使い過ぎると、近視になるというのは、同じような時間の使い方をしていても、目が悪くなる子もいれば、大丈夫な子もいるというように、一概には言えないようです。

ですが、この同じ事をしていても、目からの情報習得に偏っているという視覚優位という特性を持つ子と、そうではない子では、同じものを見ていても、その目の使い方というのは、異なってくるのではないかと、私は感じております。

過集中の度合いが高いと、それだけ長い時間、目の前のことに集中している時間が長く、ふとした合間に、外を見たり、目で物を見るという事以外に集中する時間も短くなります。

そのような発達障害の特性が、視力の低下を招くと繋げても、100%関連はないとは言えないのではないかと感じます。

また、遺伝的な要因も強いと言われている近視。

親が持つ、そのような発達障害の特性が、子にも遺伝し、近視への道が開かれるという事も、大いにあるのではないか?と私は感じずには負えません。

視覚優位な子の視力を守る為にできること6つ

1.眼を休める時間をコントロールする

通常は勉強や読書であれば、1時間に10分休憩を。テレビやゲームであれば、40分に10分休憩をと推奨されている情報が多いです。

ですが、その子の集中の度合いによって、“眼の疲れ”というのは変わります。

まばたきもほとんどしないで、熱中しているようであれば、その時間は短くする必要があるかもしれません。

また10分の休憩だって、その間に別の近くを見ているのであれば、休憩していることにならないのです。

意識的に外に連れ出したり、眼を閉じて近くを見ないようにしたり、例えば空や山、星や天井など、その子それぞれで、長い時間遠くのものに関心を示せられるように、眼を休める為のマネジメントをする必要があります。

hidakaも眼を悪くしないように、時間を守り、勉強や読書、タブレット学習をさせておりましたが、眼を休めるように、空を見るように声は掛けていましたが、関心のないものに注意を向けるのは、せいぜい1分が限界でした。

続けて作業させる事はありませんでしたが、その関心は1分空を見た後、どこにあったかまでは管理しておりませんでした。

きっと、近くの関心のあるものへの注意で、眼を酷使していたのかもしれません。

2.眼を大切にしようという意識を高める

hidakaの視力低下がわかってから、私は特別高い効果を期待した訳ではないのですが、食事に眼にいいと言われているブルーベリーを取り入れたり、栄養に気を使ったりしておりました。

そんな私の気遣いに気が付き、hidakaの中でも、“眼を大切にする”という意識が高まった事を感じております。

誰の眼でもないのです。自分の眼なのです。

もともとブルーベリーが好きという事もあるとは思うのですが、ブルーベリーの商品をみると、「眼にいいからね。これ食べたいな。」などと、取り入れたい気持ちになっているようです。

その気持ちが、大人になっても、食事で身体を健康にしているという考えに繋がり、食を大切にしていってほしいです。

3.自然が眼に優しい

家のなかで、どんなに眼に優しい生活をしようと心掛けても、限界があります。

家のなかというのは、視覚優位の私たちにとって、視覚的に楽しみ癒される空間だからなのです。

なので、時間があれば、休日があれば、自然の中へ身を持っていく事をおすすめします。

自ずと視界に入ってくる景色というのも、自然の色に溢れ、柔らかい光が、眼を閉じても感じる香りや心地いい風、“眼に優しい時間”になることに間違いありません。

先日のお休み、hidakaと見晴らしのいい公園へ自転車で向かいました。

何も山の中まで行く必要はありません。

小高い丘があり、空を眺めました。

色づく山を愛でました。

hidakaは、遠くにある看板を指差し、「あれは見えるよ!○○の看板でしょ?」などと、大きな文字で書かれた看板を誇らしげに教えてくれました。

「はぁー。いい時間だね。」と、ふたりでベンチに座り、近所のパン屋さんで買ったパンと、自動販売機で買ったジュースでピクニックしました。

なんだか、一大事だと思っていたhidakaの視力低下ですが、「まぁ。そんなこともあるよね。」という気持ちになっていきました。

4.メガネもOKとする

そんなこんなで、周囲の子どもたちよりも、本を読み、文字を書き、机に座り作業する事が大好きなhidakaを育て、過集中なテレビの見方や熱中するタブレット学習という視力が心配な日々を送りながら、私はできるだけ知っているだけの知識を使い、気をつけられるだけの気を使い、hidakaの眼を守れるように、「頑張っていた。」と思っております。

そういう意味では、hidakaの視力の低下という問題に直面し、とてもショックを受けましたが、少し「仕方なかったのかな?」という思いもあります。

hidakaの人生を豊かにするために、何が何でも視力低下を免れなければ!!!とは・・・・・思えられないのです。

好きな事がすべて、眼を使う事なんです。

彼の人生に、メガネもOKでしょう。

“メガネがパートナー”となるということも、hidakaの人生を彩っていくためには必要なのかもしれないのです。

そう思う事にしました。

正解かはわかりません。

ですが、hidakaを育てる私が決めた事です。

病院に連れていくと、低学年ということもあるし、いますぐメガネで矯正はしなくてもいいということでした。

まだメガネにはなりません。

ですが、あまり視力低下に敏感になり過ぎるのも、hidakaにとって負担だと思うのです。

眼を休ませること、大切にすることは取り組んでいきたいですが、お互いの負担にならないように、どこかで「メガネになってもOK」という余裕がある気持ちでいたいです。

5.睡眠時間の確保

眠りの質が高い子は、少ない睡眠時間で、身体の疲労をとることができ、朝元気に目が覚めるということを聞いたことがあります。

そういう意味では、hidakaはぐっすり眠りますが、朝はなかなか起きてこないタイプです。

もしかすると、眠りの質は、それ程高くないのかもしれません。

眠る直前まで、本を抱え、読みふけるhidaka。

その眼精疲労というのも、すさまじいものなのかもしれません。

9時間程の睡眠時間は確保していますが、やはり9~10時間程の睡眠はhidakaにとって必要なのかもしれません。

その子それぞれ、眠りの質によって、必要な睡眠時間は変わってくるのです。

6.テレビ時間を削る

勉強や読書の時間というのは、凸の発達を伸ばしたいと考えているので、hidakaの好きな事を輝かせるには、必要な時間だと感じております。

姿勢や、休憩時間、部屋の明かりには気をつけなくてはいけないのですが、この時間はとても大切にしていきたいと思っています。

では、眼を使う時間で、何を削ることができるのかと言うと・・・・それは、やっぱりテレビの時間になっていってしまいます。

我が家はテレビを流し見るということはしていなく、見たい番組を録画し、見たい時間に一つ見るという形にしております。

ですが、社交活動が苦手なhidakaには、同級生との話題というのも、これからは大切になっていくことを感じております。

ただでさえコミュニケーションが苦手なのに、共通の話題がないと、話しが続かないからです。

なので、このテレビの時間の削減というのも、悩ましいものではあるのですが、今現在、削れるものはこれになるのでしょうか。

今後もhidakaの交友関係を感じつつ、hidakaが過ごしやすいように、交友関係を大切にできるように、ただボーっとテレビ時間で癒されたい時間もあると思うので、調整しながら付き合っていこうと考えております。

 

まとめ

小学生の10%は近視であると言われている日本。

でも、その割合は、10%なんです。

我が子が近視になってみて感じますが、10人に一人のひとりになってしまったんです。

その確率は・・・・これだけ口をすっぱくして「眼が悪くなるから○○しなさい!」と気をつけていた親としてみれば、避けられたんだはないか?と感じる割合でした。

小学生1年生で視力が低下している子というのは、周囲の目から見ると、やっぱりテレビゲームのやりすぎ、姿勢が悪い、テレビを近くで見過ぎた?見せ過ぎた?という、親が作った“環境のせい”というように見えるようです。

それだけ、視力というのは、普通に過ごしていれば、そうそうに落ちるものではないのです。

眼の病院に行くと、看護師さんから少し冷たい風を感じました。

仕事ばかり忙しくしていて、子どもに構ってられず、ゲームばかりさせてしまい、こんな早い時期に子どもの視力を低下させてしまった親と見えた?のかな。。。と、少し嫌な気持ちになりました。

ですが、待合室に入るなり、検査から戻ってきてすぐに自分のカバンから分厚い辞典を取り出し、読みふけるhidakaをみて、看護師さんから吹く冷たい風は私の勘違いなのかもしれませんが、ふと軽くなり、なくなったように感じました。

「あぁ。この子はこういう子なんだ。仕方ないのかもしれない。」というように。

ゲームばかりをやらせてしまって、こんなに早期に視力が低下した訳ではないのです。

一生懸命「hidakaの眼を守りたい」と接していても、彼が持つ特性が、周囲の子とは違う日常を生み、どんなに気をつけていても、気をつけていなかったかのように、今回のような視力低下を招いたりしてしまいます。

これは、視力低下だけではありません。

日常で感じるストレスだって、こんなに気をつけているのに、爪を見るとボロボロになっていることがあります。

hidakaの“育てにくさ”というのを目の当たりにすると、一生懸命向き合っているだけに、「はぁ。。。」と、少し疲れた気持ちになるのも・・・・仕方がないのかもしれません。

でも、モヤモヤと渦巻く、子どものような自分の気持ちと折り合いをつけ、いつも思い直します。

「hidakaはどうして欲しいんだろう。」

「わたしがしてあげられることはあるんだろうか?」と。

母の気持ちです。

きっといつもいつも、好きな事を規制することをhidakaは求めていないでしょう。

好きな事をしながら、hidakaの一生物の眼をどうしたら守れるのかを考えられるのは、私しかいないのかもしれません。

今後、メガネでの矯正が必要になっていく事もあるでしょう。

視力の低下は、一生付き合っていかなければいけないのかもしれません。

ですが、「何かできることはあるか?」ということを、いつも考えていきたいと思っております。

 

お読みいただきありがとうございます。

視覚優位な特性を持ち、本が大好きな子を持つ方へ。

視力は守れるかもしれません。

参考に。

 

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