親の顔色ばかりを伺う子 何がいけなかったの?まだ間に合います!やってあげるべき事5つ

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北海道の夏休みは短く、あっという間に新学期を迎えております。

今年の夏もラジオ体操にキャンプに海、プールに新しい挑戦と、充実した日々を共に過ごしておりました。

小学1年生になったhidaka。

より一層パワフルに夏を楽しめるようになってきて、夫と「hidaka泳いでるね~。」「hidaka体力ついたね!ついていくの大変だ。」「たくさん食べるねぇ。」「こんな事始めさせてみたいな。」など、夏という特別な季節で見せてくれる成長を感じたり、hidakaの今後に夢を見て、思いを馳せたりしておりました。

 

・・・・・

その一方で、朝から晩まで一緒に過ごしている夏休み。私は少し気になる事がありました。

それは、いつもいつもhidakaから“許可を求める視線”を感じることです。

私の表情からGoサインやNoサインを読み取ろうと、些細なことでもいちいち目線を向けてきます。

「いいよ。やってごらん?」というように、向けられた視線にGoサインを送ると、ホッと安心した表情をします。

私が見守る中での挑戦です。

むむ?これは・・・・

安心安全の失敗いらず、失敗してもママが助けてくれる大丈夫保険コースです。

適度なものであれば、親との信頼関係で築きあげられたいい形のような感じもしますが、その頻度がやや過剰なような気がします。

3歳。あんなに自由奔放で、Going my wayだったhidakaが、その個性を失い、私の顔色ばかりを伺っているのです。

 

これは・・・・“親の顔色ばかりを伺う子”というワードが思い浮かびました。

 

あぁ。また立ち止まり、考えねばならない時期がきました。

大きく息を吸い、はぁ~と、大きなため息をつき、「よし。」と低く小さな声で気合を入れました。

 

親の顔色ばかりを伺う子 何がいけなかったの?まだ間に合います!やってあげるべき事5つ

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親の顔色ばかりを伺う子はどういう子?

まず、知っておいて欲しいのは、子どもというのはどの子も多かれ少なかれ、“親の顔色を伺う”ものなのです。

大人が思っているよりもずっと幼少の頃から、“いい子でありたい”“褒められたい”“愛され大切にして欲しい”、存在を認め喜んで欲しいと、私たちの顔色を伺っているのです。

ですが、今回テーマにしたいのは、“親の顔色ばかりを伺う子”という、その頻度や度合いが大人から見て目につく、気になるというように、過剰になっている状態の子どもです。

“親の顔色ばかり伺う子”というのは、自分で行動の是非を判断できない、判断しない状態になっていることが予想されます。

親の顔色ばかりを伺う子になってしまった原因

1.“親の対応のぶれ”が判断を迷わせる

親の顔色ばかりを伺う子になってしまった原因として、まず思い浮かぶのが、“親の対応のぶれ”です。

生後7カ月頃から、子どもは身の危険を守るために、何か新しい事を挑戦するとき、躊躇するようなコワいことをするときなどに、ママの顔を伺い、大丈夫かどうかを伺うという行動に出るという発達の段階があります。

性格的なものも影響してきますが、そのように親の判断を参照しながら、様々な経験を通して、生を守りながら、自分が出来る事、危険が自分に及ばない状況というのを学習していき、視野を広げていき、様々な失敗を通し問題解決能力を身につけ、今後のあらゆる事の判断基準というものを確立させていくのです

この親の判断というのを参照するという時期は、ある程度の基盤ができるまで続くのですが、その発達の段階を迎えている時に、身近な大人の対応というのが、気分によって言っている事が変わったり、同じ事をしているのに怒られる時もあれば許容されることもあるなど、一貫した対応でなかったとき、自己判断を下す時の基盤というものを上手く築くことができず、いつもいつも大人の反応を伺うという状態に陥ってしまう事があります。

例えば、道にちょっとした子どもが登れる段差があったとします。

子どもはそのような段差が大好きで、よくお母さんと手をつなぎ、その段差を歩いている姿、目に浮かぶ事と思います。

ある日、その段差に登ろうとすると、ママは「危ないからやめなさい。」と言いました。

ママはその日は大人の都合で急いでいて、十分に付き合う事が難しく、早く帰路に着きたかったかったから、そのように言ったとします。

でも、別な日に、お友達がママと一緒に段差に登り、手を繋ぎ楽しんでいるのを目にしました。

危なくないのか?と目線を向けると、「登っていいよ。」と付き合ってくれたりします。

他にも、いつも怒られない事で、急に「ちゃんとやりなさい!」と怒られたり、「ダメ。」と言っていた事が親の気分で「いいよ。」となったり。

そのようなきちんとした方針というのがなく、いつもいつも大人の気分によって変化するルールのもとで育った子どもは、判断の基準を築いていく事が難しく、いつもいつも“大人の判断”を仰ぐ癖がついていきます。

それが怒られない、注意されない、“いい子”とされるというのを敏感に感じ取っていくのです。

2.その子が持つ性格的なものも影響あります

“親の対応のぶれ”というのも大きな原因のひとつなのですが、同じように育てても、全く“親の顔色を伺わない”子もいます。極端にそのようにいつもいつも親の気分に振り回されていなかったとしても、“親の顔色ばかりを伺う子”という状態に陥ってしまう子もいるのです。

それは、その子の持つ“性格的なもの”が大きく影響を及ぼしております。

“親の顔色ばかりを伺う子”に共通してみられる“性格的な特徴”は、物事に慎重で、人の気持ちや思いというものに敏感な子というのが考えられます。

親の気持ちの変化に敏感なのです。

慎重で内向的で、人の思いや気持ちを考えすぎて、自分がどうしたいのかというのを感じ、行動に移す力が生まれつき弱いのです。

性格的にも優しく、気が弱く、幼い頃から内向的な個性を持つ子です。

そのような場合にも、親の顔色を伺い、判断を仰ぎ過ぎてしまう傾向があるようです。

“親の顔色ばかりを伺う子”は何を思っているの?

“親の顔色ばかりを伺う子”の心の根底にあるのは、“ママに嫌われたくない”という思いです。

生まれつき大人の気持ちの変化に敏感で、感受性が高い子というのは、ママのちょっとした気分の変化に大変不安を覚えたりします。

それは、まだその豊かな感受性というのが未熟で、絶対的な“愛”よりも「・・・・もしかするとママに嫌われてしまうかもしれない」という恐怖が勝り、“安心感”というものが揺らいでしまうという事なのです。

そうなると、ちょっとした判断ミスから起こる失敗で、大人が好対応をすることができないと、そこから失敗を恐れるようになり、自ら判断する事を自粛していくようになっていってしまいます。

様々な判断を“親の顔色を伺う”ということで仰ぐ事によって、見守る目を手に入れ、失敗しても助けてもらえ、責めを自分に置かないという環境を手に入れることができるのです。

そうすれば、ママの気分を害する事がなくなり、「嫌われたかもしれない」という不安にさらされることがない。

自分は“いい子”になれ、“愛される”、“存在を認めてもらえる”と感じているのです。

発達障害グレーゾーンの子の“親の顔色ばかりを伺う”行動の背景

背景1.“予期せぬことが起こる事が苦手”

発達障害グレーゾーンの子というのも、様々なタイプの子がいて、一概には言えないかもしれませんが、グレーゾーンの子で、“親の顔色ばかりを伺う”という行動が表れた場合、そこにはある特性が絡んでいるのではないかと考えます。

その特性というのは、“予期せぬことが起こる事が苦手”という、自閉症スペクトラムの特性です。

hidakaもそうなのですが、自分が予期していないことが起こるということに、とてもストレスを感じ、様々な思考が停止し、パフォーマンスが落ち、時にはパニックで思わぬ事をしてしまったり、反対にフリーズ状態に陥ります。

そのいっぱいいっぱいの状況の中で、もし責められるような事があったら、身体中に冷たい血が流れ、落ち着きを失い、「どうしようどうしよう。。。」と、頭の中はパニック状態に陥ります。

そのような状態になる事を、恐れているのです。

hidakaは、日々そのような状況に陥る事がないように、先の予定を把握したり、出掛ける前にはイメージを浮かべ、心を落ち着かせたりします。

・・・・・この“予期せぬ事が起こる事が苦手”という特性。

実はhidakaの母親である私にも、思い当たるふしがあるんです。

hidakaの“親の顔色ばかりを伺う”という行為は、もしかするとhidakaの特性だけではなく、私の持つ苦手というのも大きな影響を及ぼしてしまったような気がしてなりません。

子育てというのは、皆さんご存知の通り、“予期せぬことが起こる”ということの連続です。

朝目が覚めてから、目を閉じすやすやと眠るまで、まだ幼い子の行動というのは、予想できない事の連続。

私はhidakaが生まれてから、そのように予想できないものを常に予測し、様々な備えや心構えを毎日してきたように感じます。

でも、我が子は発達障害の特性を持つ“育てにくい子”だったのです。

さらに予測のつかない発達というものも予想しながら、一緒に暮らしてきました。

そんな中で、もしかすると、周囲の子育てよりも、私の心に余裕がなく、失敗に寛容になれなかったり、失敗を恐れ、過干渉気味になっていた日々もあったと振り返ります。

ましては、hidakaも“予期せぬことが起こる”ことが苦手で、私の気分の変化にとても敏感な面を持ち合せていたのです。

あからさまに失敗に叱責してきた訳ではありません。

周囲のお母さんたちと大差ない、もしくはそれよりも口調はずっと穏やかだったのではないか?と思うのですが、ママとして100点満点の好対応をいつもいつも出来ていた訳ではありません。

hidakaが自分の判断でやってみて、失敗をしたときに、「今度からはこうしようか。」「はぁ。気をつけてね。」「ちゃんと気をつけてくれればよかったのに。」「今度からはやってもいいか聞いてね。」「・・・・無言。」

というように、敏感なhidakaの心に「・・・嫌われてしまうかもしれない。」という不安の種を植えるような、好対応とは程遠い声掛けも、好対応しよう!と意識しなければ、あったと思い返せます。

そのような環境の中で、hidakaは変わっていきました。

Going my wayの雰囲気は影を潜め、私の意向を汲んでくれるようになり、とても過ごしやすくなった5歳。

一見上手く育てられていると感じておりました。

でも、7歳。

あらゆることの判断を、私に委ねる事により、“予期せぬことが起こる”ことを回避しているようです。

発達障害グレーゾーンの子・育てにくい子というのは、ある特定の感覚が人よりも敏感で、繊細に感じる子ども達が多いです。

そして発達障害の特性である、“予期せぬ事が起こる事が苦手”というのも、障害までは至っていませんが、個性として周囲の子どもたちよりも、その予期せぬ事が起こった時のストレスが強かったりします。

2.親の対応を一貫させる事が難しい時期がある

私はhidakaの子育ての方針について、常に一貫していることを意識して、hidakaを育ててきたつもりです。

でも、それと同時にいつもいつもhidakaの子育てにつまづいたときに、どう対応するのかというのを、立ち止まり、迷い、たくさんの意見を聞き、参考にし、“私のhidakaの育て方”として、考え決めてきました。

そういう意味では、今ではhidakaの子育てのプロですが、3歳hidakaの子育てに大きくつまづいた時期は、本当に手探り状態で、色々な事を試してみるという事もありました。

「親の対応は一貫していたのか?」という部分では、もしかすると定型の発達の子を育てている家庭よりも、発達障害グレーゾーンの子・育てにくい子の育児というのは、一般的な育児のマニュアルというものが通用せず、また親もまだ我が子の対応を探っている時期というのがあり、迷いや対応のぶれというものが、一般的な子育てよりも多いものであったのではないか?と思い返したりします。

対応が一貫できるように努力はしてきたつもりです。

でも、hidakaの発達に合わせながらの子育てというのは、一般的な月齢に合った親の対応の仕方だと、その時のhidakaの発達では難しすぎるということもあったのです。

同年齢の子と同じ事が出来るように声掛けをした後に、やっぱり発達年齢に合わせてと、hidakaの様子に合わせながら発達を促した時期もありました。

そういう意味では、「だめ!」としていたものが、「いいよ。」と感じてしまうような、“言っている事が違う”と体感したことがあったのかもしれません。

発達障害グレーゾーンの子・育てにくい子・発達に心配のある子というのは、その育てにくさから、“親の対応がぶれやすい”環境にさらされている子というのもいるのかもしれません。

何ができる?“親の顔色ばかりを伺う子”にしてあげるべきこと5つ

1.自分の判断での体験を重ねることが今一番大切

今までの育て方、生まれ持った特性、育てにくい子である事を嘆いても始まりません。

“親の顔色ばかりを伺う子”に不足しているのは、自分の判断で成功し、「自分できるんじゃん!」という体験なんです。

自分の判断で失敗した時に、「さぁ。どうしようか。」「ぼくは失敗しても大丈夫。対処できるよ。」という問題解決能力への自信も必要です。

その成功体験と、問題解決能力への揺るがない自信が、“親の顔色を伺わない”方法です。

それが分かれば、私たちの対応は決まってきます。

「さぁ!どうする?」なんです。

自分で判断する機会を増やし、成功を認め、失敗した時に問題を自分で解決できるように導いていってあげる必要があるのです。

2.最高のサポーターに・絶対的な応援団が必要なんです!

“親の顔色ばかりを伺う子”の性格的な特性で、共通しているのは、気が優しく、内向的で、人の気持ちの変化に敏感だというものがありました。

そのような子に、急に突き放すように「自分で決めなさい!」「もう小学生でしょう?」「いつまでも人の顔色ばかり伺っているんじゃないの!」と、叱咤激励すること・・・・・よく耳にする言葉なだけあって、多くの子ども達がそのような言葉に触れ、自ら立ちあがっていくという効果もあります。

ですが、発達障害グレーゾーンの子・育てにくい子・発達に心配のある子というのは、日常生活でみんなが当たり前のように取り組んでいる事で、懸命に頑張ってついていっているという面もあるのです。

やはり言葉掛けは、もう少し優しくあるべきではと、私は考えています。

応援するんです。

人よりも人の気持ちの変化に敏感で、その心に寄り添える優しい心を持っているんです。

その個性も充分に伸ばしてあげることも、その子の魅力を磨くことになります。

なので、丁寧にお話します。

自分の意見を持つ事のすばらしさを。

自分の判断で自分の人生を生きていくことを示すのです。

誰の人生でもないのです。あなたの人生です。

そんな人生を歩んでいって欲しい事を伝えるのです。

そして、誰よりも味方でいつも絶対的に見限ることなく、永遠の応援団である事、最高のサポーターである事を約束するのです。

だから安心していいのです。

3.話しを聞くと決めるんです

尊重されていない人は、自信をなくしていきます。

自分に価値を見出せなくなるのです。

子どもが成長していくと、安心感を覚え、子どもに甘えたい気持ちになる事があります。

日常の大変さの中で、“子どもの話しを聞く”という姿勢を見失う事、どうしたってママもパパもあります。

でも、忘れてはいけません。

一昔前のように、ママとパパが忙しくても、代わりにおじいさんやおばあさん、ご近所の大人達が話しを聞いてくれるという時代は終わりました。

気が付くべきなのです。

核家族化された現代では、ママとパパしか、子どもの声に、話しに、耳を傾け、楽しんでくれる人はいないのです。

自信をなくした子どもは、自分で判断していく事が難しくなります。

尊重されていない子どもは、自分の意思に価値を感じなくなります。

“親の顔色ばかりを伺う”という行動が出ている子には、その自信を、その価値を教えてください。

難しくありません。

目線を合わせるのです。

目を見て、話しを聞いてあげてください。

話したい話しを、時間の許す限り。そして、我が子の今しかない時間を、話しを一緒に“楽しむ”のです。

4.揺るがない“愛”を伝え続けて!

人が感じる感覚の中で、一番大きく、一番継続して心に残り、一度感じれば何度も何度もまるで今起こっている事のように、色褪せることなく思い返す事ができる感覚、それが、“恐怖”です。

人は誰しも、その“恐怖”を怖れ、“不安”を感じ、身を守ったりしております。

一方、“愛”というのも、なかなか強い感覚です。

ですが、その“愛”は、“恐怖”とは違い、伝えるには努力が必要です。

継続的に積み重ね、浸透させて浸透させて、ようやく強固な一枚岩になります。

“親の顔色ばかりを伺う子”というのは、“恐怖”や“不安感”というものに心が支配されております。

“愛”が負けてしまっているのです。

どうしたって、“恐怖”や“不安”というものを感じる感覚が、人よりも鋭敏なのです。

そんな子をお持ちのあなたは、ちょっとやそっとの“愛”の伝え方では、我が子には不足しているのです。

当たり前の“愛”だけでは、足りない。

“愛”を伝えるのです。

それは笑顔だったり、傍に座ることだったり、頭をなでることだったり、子どもの話しにかがみ、目線を合わせて聞くことだったり。

揺るがない“愛”を伝える方法は、言葉だけではありません。

たくさんたくさん注いで、はじめて浸透していきます。

「今日は○○が大好きな晩御飯にしたよ。」

一緒に歩く際にもさりげなく道路側はママが歩く。

あなたは“私たちの宝物”なのです。

「休日はどこに行きたい?」「今日何して過ごそうか?」

希望を尊重するのです。

金銭的な欲求や、物を買い与え心を満たす訳ではありません。

我が子がしてほしいということで、私たちが身体を使って、心を使ってしてあげられることは、いくらでもしてあげていいのです。

時間に限りはありますが、手を焼き、目を掛けることに制限はありません。

決して“甘やかし”ではないのです。

そして、いつも我が子に、“自分が自分の人生の主役であること”を感じさせてあげてください。

あなたはあなたの人生を作っているのです。あなたの人生はあなたがいつだって“主役”だということを。

5.自分の生活を見直す

「子どもにたくさんの笑顔を向けてあげられない。」

びくびくと自分の顔色を伺ってくる我が子に、大らかに接してくる事ができなかった日々を思い返し、申し訳なさを感じ、後悔でいっぱいになっている方も中にはいるかもしれません。

様々な状況が重なり、大変な時期を迎えてしまっていたという事も、私たちにはあったりするのです。

私たちだって人間なのです。

あなただけが悪かった訳ではありません。

あらゆる事で余裕がない暮らしというのは、子どもの身を守ることで精一杯な日々を生んだりします。

それだけ気を張って、一生懸命だったのです。

悪かったのは置かれている環境です。

何か小さくでも少しずつでも改善していく必要があります。

ママ自体も周囲の顔色ばかりを伺っている状況に置かれている方もいるかもしれません。

子どもにたくさんの笑顔を向けられる為であれば、時には周囲や世間の顔色ばかりを伺わないで、自分の環境の改善を考えなければならない状況の方もいるかもしれません。

まとめ

立ち止まった私は、hidakaにまた丁寧に接しはじめました。

今までがいい加減だった訳ではありませんが、上の5つの事を意識し、hidakaが自分で判断するサポートをすることにしたのです。

夏休み中の一か月、送られる目線を優しく受け止め、「どうしていこうか?」「どうする?」「どうしたい?」というように、私がhidakaに判断を仰ぎました。

そして、先を予測して口を出したくなる思いに蓋をして、「じゃあやってごらん。」と後押ししました。

失敗することもあれば、成功する事もありました。

失敗には、「○○はできたでしょ!頑張ったね!」と、自分で判断した事を称え、「こうしたら○○になったね。」とアドバイスしました。

成功は一緒に喜び、「その判断は正しかった。」と丁寧に認めました。

そのような、丁寧に接する日々を続けていると、夏休み終わりには、また一皮むけた手応えがありました。

もともとの“予測していない事が起こることが苦手”という特性を生かし、忘れ物や失くし物をしないように、自ら確認していたり、私の判断がなくても出来る事というのも増え、過剰な程の視線を感じる事がなくなっていきました。

“親が変われば子は変わる”

子どもの心は柔軟です。いつだって気が付いたときに親が変われば、子はゆっくりとかもしれませんが少しずつ本来持っている力が芽を出し、さらに水をあげ、日を浴びせ、必要な肥料を与えていけば、どんどん変わっていきます。

我が子の成長を信じて。

つまづいたときには、立ち止まるのです。

そして、私たちも自分の判断で、我が子の育てる道を決めていくのです。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

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