発達障害グレーゾーンの子の遅れてくる“みてみて攻撃” 心を満たし自主性のある子にする完全攻略法4つ

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台風がきておりましたね。

すごい雨と風、雷が遠くでゴロゴロといい、hidakaと窓の外をみて、「・・・・すごいね。。。」と見慣れない光景にビックリしておりました。

みなさんは、いかがお過ごしでしたか?

 

幼稚園の先生より台風のお話しもあったようです。

「家から出たら危ないから、明日は家で過ごそう!」と、計画好きなhidakaはワクワクと予定を立てておりました。

私「久しぶりにずっと家にいるね。明日、何がしたいかな?」と聞くと

hidaka「パン作りたい。」

「粘土したいなー。」

「あ!DVDも見たい。DVD見てもいい?」

と、“いつもと違う!”というのが、まだまだ楽しいお年頃のようです。

私もひさしぶりにお化粧することなく、ゆるい服装で、hidakaとふたりの世界。

「気を使わずのんびりできる~」と、気の緩みを期待しておりました。

衣替えの準備をしたり、気になっていたクローゼットの整理もしたいなぁ~と、家事の予定を、hidakaの予定とは別に勝手に思い浮かべておりました。

・・・・・のんびりした朝を迎え、hidakaとひきこもりな1日を過ごしていると・・・・

あら?・・・なかなか忙しないです。。。

夜になると、何やらもう限界。

私の「マイペースに過ごしたい!!」という欲求はマックスになっていて、うんざりした顔でhidakaに応えてしまうのでした。

「ねぇねぇ!みて!ママ、みて!」

「○○!みて!」

「ママ!ママ!○○?」

「○○、○○だよね。」

「ねぇねぇ!」

「ねぇねぇ!!!」

・・・・・・

最近のhidakaは、お友達のママに対しても“僕に注目して!”欲求が激しい気がします。

はて?

hidakaは、母親の無関心さに寂しさを感じている子?なのでしょうか・・・・?

それでこんなにも、「みてみて!」と感心を仰いでいるのでしょうか・・・・・?

同じ6歳の子が、同じような行動をしていたら、

「・・・もしかして、親に構われていないのかな?」

と、心配に感じてしまうかもしれません。

でも

私は、一人っ子持ちの専業主婦です。

子どもに集中している方ではないか?と感じています。

もうかれこれ6年の間、私はhidaka中心に過ごしているのです。

hidakaにそういう意味では、孤独を感じさせるスキはないのではないかと思います。

 

では、なぜ

hidakaはこんなに“関心”を求めているのでしょうか?

 

それはもしかすると、ママ友達がよく嘆いていた“みてみて攻撃”と呼ばれるものが、遅れてやってきたというところにあるのかもしれません。

 

発達障害の傾向を一部持つhidaka。

たまに「今それが来るの!?」や「もしかして、これがみんなが言っていた“○○な時期”と呼ばれるものかな?」

というような、“○○な時期”が遅れて、もうそんな話題がママ友達の間ではされなくなり、すっかり忘れさられてしまった頃にやってきたりします。

 

そんな遅れてやってくるhidakaの凹の発達。

その成長に気がつけるのは、今や私だけです。

一度立ち止まり、hidakaが何を求めているのか、今後に繋げていく対応を考えていく必要があります。

その遅れてくる凹の発達の存在に注目していないと、ついつい彼の生まれ持った“生きにくさ”の存在を忘れ、周囲のお友達に合わせた、“年相応な反応”を求め、階段を一段ずつ登ることを無視した、過剰な期待と促しをしてしまいそうになるからです。

 

発達障害グレーゾーンの子の遅れてくる“みてみて攻撃” 心を満たし自主性のある子にする完全攻略法4つ

 

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“みてみて攻撃”とは?

子どもが親や周囲の大人に対して「見て!見て!」と、自分の行動の承認や自分が関心していることを共有したいという欲求が急激に強まり、ひっきりなしに何度も「見て!見て!」と周囲に繰り返し働きかける状態のこと。

発達の早い子だと1歳半くらいからみられ、3歳くらいにピークを迎えると言われております。

大きく分けると、この“みてみて攻撃”で満たしたい心は、2つに分けれます。

①承認の欲求

・・・できていることやがんばったことを認めて欲しい、褒めて欲しいとき。または心配して欲しいときもこれに当たります。「よくがんばったね。」「えらい!」「すごいね。」「大丈夫?」「泣かなくてえらかったね。」「我慢したんだね。」と言って欲しいというもので、自分の行動や気持ちを承認してもらいたいというものです。

②安全の欲求

・・・信頼している大人に、自分の身の安全を見守って欲しいと思うときに使う「見てて!」というものです。承認の欲求と繋がっていることもあります。

発達障害グレーゾーンの子の“みてみて攻撃”

定型の発達の子は、この“みてみて攻撃”により、「親といつも一緒である」や、「親と同じ感覚を持っている」という、“親との一体感”を3歳をピークに確認し、いつもいつも確認しなくても、いつもいつも共感を促さなくても、安心している状態に成長していきます。

一方、発達障害グレーゾーンの子というのは、その発達の凸凹により、その“親との一体感”を確認する時期というのが通常よりも遅れたり、その子が持つ特性により、“親との一体感”が不十分な状態で年齢を重ねてきてしまったりすることがあります。

その事により、定型の発達の子が落ち着いてくる5歳や6歳~8歳頃まで、この“みてみて攻撃”を親や周囲の大人に働きかけてくることがあります。

また、この“みてみて攻撃”と言われる程の、注目して欲しいという働きかけは、別な要因とも絡んでいる事があります。

それは、ワーキングメモリの不足です。

ワーキングメモリとは、短い時間に心の中で情報を保ち、同時に処理する能力のことを指します。

発達障害グレーゾーンの子の一部の特性として、考えていた事を頭の中に長く留めておくことが難しいというタイプの子がいます。

思い立ったらすぐに聞いたり言ったりしないと、

「あれ?何を言いたかったのか?何か言いたかったのに・・・!」

と、心がモヤモヤすることがあり、

考えている事を「忘れぬうちに言っておこう。」

と、「考えている事を、すぐに言葉で表現しよう!」「聞いておこう。」「話しかけておこう。」と思ってしまい、周囲のリズムとは別に、ポンポンと次々思っていることを口にしてしまう状態に陥ることがあります。

その相手の状況をみれずに働きかける様子もまた、定型の発達の子が3歳でピークを迎える“みてみて攻撃”の状態に近いものがあるようです。

心を満たし自主性のある子にする“みてみて攻撃”の完全攻略法4つ

1.“みてみて攻撃”の時期が来たという事を知る

“みてみて攻撃”の目的は、“親との一体感”の確認なんです。

何らかの発達の凸凹や持っている特性により、“親との一体感”が不十分な状態なのです。

この“親との一体感”が、今後の成長をしていく為に必要になってきたとも言えます。

定型の発達の子を育てるお母さんたちは、この引っ切り無しに発せられ、こちらの事情お構いなしの容赦ない我が子の「見て!見て!」にそれぞれの形はあるにしろ、応えてきた歴史があります。

その事により、絆を深め、揺るがない“親子の一体感”を築き、今という平穏な日々を迎えているのです。

私たちも、大人への道を辿る我が子に、揺るがない“親との一体感”の確認をしっかり行ってもらい、「いつも気持ちは一緒だ」「わたしは親と同じ感覚を持っている」という安心感で包み込む必要性が出てきたということなのです。

その“親子の一体感”により作られた強い心は、気持ちをスッキリとさせ、自ら考え、たくさんの知力を吸収していく原動力になります。

エネルギーで満たされることによって、自ら行動出来る子になるのです。

“親との一体感”を確認する事により、心はめきめきと成長していきます。

2.共感の方法を決める

“親との一体感”の確認の重要性はわかったとしても・・・・・本当に子どもの“みてみて攻撃”に直面すると、その本来の目的を忘れてしまうくらいに、“うんざり”してしまうという気持ちも・・・・また仕方がないと感じます。

年齢も5歳、6歳~8歳となると、2~3歳の子と違って、落ち着きのなさを感じ、幼く感じ、煩わしく感じてしまうかもしれません。

なんせ・・・・“みてみて”の攻撃なのですから。。。。

でも、もし我が子のその「見て!見て!」という働きかけにうんざりしてしまい、「うるさい!静かにして!」「後にして!」「知らない!」と、拒絶してしまうと、心はぽつんと一人ぼっちになります。

我が子の胸の中に、小さな我が子がいるのを想像してみてください。

ぽつんと暗い表情で下を向き、「ぼくの気持ちはひとりぼっちだ。・・・・ママはぼくと気持ちが違う。。。」「ぼくは・・・・いないほうがいいのかもしれない。。。。」と、自己を否定するようになってしまうかもしれません。

そんな悲しいことはありません。

我が子が人を信頼し、自分に自信を持ち、思いやりがある、人から好かれる子にしたいのです。

ならば、何よりも優先するべきなのは、この“みてみて攻撃”の完全攻略です。

どんな事情があるときでも、その「見て!見て!」という欲求に応えられるように、対応を決めておくことをおすすめします。

大切なのは、気持ちが一緒であるという“共感”を感じてもらう事です。

私は、まずhidakaが「見て!見て!」と言ってきたとき、彼の目を見ることにしています。

そして、3つ共感の言葉を言います。

最低3つと決めております。

「○○なんだ!」と○○は我が子の言葉を繰り返します。

そして、「すごいね!」や「がんばったんだね。」という共感の言葉を続けます。

「ほんとだね~。」というのも使えます。

余裕があるときには、自分の気持ちを伝えたりします。

余裕があるときはいいのです。

気持ちを入れる事が出来るでしょう。

問題なのは余裕がない時や、正直・・・うんざりしてしまっているとき・・・・。

ママも人間なのです。100%いいママを出来ないときもあるのです。

そんな時も、目を合わせ、共感の言葉を3つ言うと心に決めるのです。

10秒もあれば、十分に“親との一体感”が、そんなときでも伝わることでしょう。

対応を決めておく事により、主観を抑え、「共感してあげたい。」という気持ちで接する事ができます。

我が子の心は、何度求めても、ママはいつも応えてくれるという“安心”と、自分の考えを承認してもらえたという“喜び”で満たされるに違いないのです。

3.周囲に協力してもらう

5歳・6歳~8歳で迎える“見て見て攻撃”。

発達には凸の部分もあります。

その事により、母親だけの承認では満足しない可能性があります。

特に、父親が忙しかったり、近くにおじいさん・おばあさんという、心を許せる甘えられる身近な人がいない場合。

その満たされない思いは、ママ友達や周囲の大人に向けられる事があるかもしれません。

5歳・6歳~8歳での“みてみて攻撃”というのは、子どもの“寂しさ”というのを感じてしまう大人も多々います。

「母親は普段いったい何をしているんだろう。」

「母親が十分に気持ちに応えてあげなかったから、外で注目を欲求するような子になってしまうんだよ。」

と、我が子の“みてみて攻撃”に耐え、十分に努力をしてきたママ達に、批判的に見られてしまうのも・・・・わかるような気がします。

でも、そんな冷たい視線は・・・・“育てにくい子”を持った私たちは、「もう我が子が健やかに成長してくれれば、私の事は誤解されてもいいんだ!」と、覚悟を決めるしかありません。

でも・・・正直、冷たい目にさらされるのは、避けたいのですよね。。。。

冷たくさらされた心は、気持ちを固くし、育児を“楽しい”と感じる余裕がなくなります。

そんな心では、子どもの心を温かく受け入れ、まっすぐに育てるというのは、並々ならぬ強い心が必要になります。

普通の家庭で育ったママに、それほどの強い心を持ち合せた方は、少ないのではないでしょうか?

“育てにくい子”を育てるママだって、何かしら承認されたいという気持ちを持っております。

その承認が、大変な育児に立ち向かえる力になります。

なので、可能な限りしか難しいですが、「そんなママだから、子どもがこんなだ!」と思われるような振る舞いは、外では控えるように心掛ける必要があると私は思っております。

気を抜いて、子どもが安全な時に、スマホをいじったりして、自宅に帰った時に、向き合えるように息抜きしたいという気持ちもあるかもしれません。

気を抜いて、少し考え事でもして、無表情でぼーっとしたいと思うときも、あるかもしれません。

でも、“育てにくい子”というのは、その子が持つ特性により、目立つ事があります。

そんなとき、周囲の大人はどうしてもママに注目してしまうものなのです。

気を張るというのは、大変ですが、ニコニコと愛想をよくすることにより、子どもを守れるというのも、社会の中では一理あると私は感じております。

自分を偽るというものではなく、我が子の事で一生懸命になるのと同じくらい、周囲への働きかけも一生懸命である必要があると思うのです。

ひとりで“育てにくい子”をまっすぐに育てる事は出来ないのです。

「誰にも迷惑を掛けられない。」と、ひとり孤独に感じ、頑張っていたときもありましたが、今は、周囲の人に甘え、手を掛けてもらって、助けてもらおうと考えております。

それが、我が子の為なのです。

周囲の人たちの存在を大切にして、“育てにくい子”の子育てを助けてもらい、協力してもらうのです。

そんなあなたの一生懸命な姿をみて、周囲の人は我が子に手を掛けてくれます。

hidakaも、忙しいパパの代わりに、周囲のママにこの“見て見て攻撃”を繰り広げる事があります。

私はなかなか一生懸命、ママ友達との関係を大切にしております。

hidakaのお友達の事も、大切に親以外の大人としてのポジションですが、一緒に育てている気持ちで接しております。

その気持ちがあってか、ママ友達はhidakaの“見て見て攻撃”に、丁寧に応えてくれます。

もちろん「いつもありがとう。助かります。」という気持ちで、周囲に感謝の気持ちを向けることを、忘れてはおりません。

4.先を見越した働きかけを丁寧にする

発達障害グレーゾーンの子の場合には、ワーキングメモリの不足や、相手の状況を感じとれないという、発達の凸凹が原因で、“見て見て攻撃”という風に見えてしまっているということも考えられます。

その場合には、その子の凹の発達を補う対処法を教えていく必要があります。

ワーキングメモリの不足の場合には、話したい事を我慢させるというのでは、解決することは難しく、忘れる前に話したいという欲求を、子どものうちは叶えてあげる方が、心の成長には良いような気がします。

一言、「今いいかな?」という相手のタイミングを伺う言葉があると、その受ける印象は全く異なるのではないでしょうか?

親しい間柄でも、その一言があれば、すんなりと子どもの言葉を受け入れる準備ができます。

相手の状況を感じとれないという面に弱さがある場合には、相手の状況を伝えるということが必要になってきます。

hidakaも、お友達がママに何かを話している時に、上からかぶせて自分の言いたい事をママ友達に訴えたりすることがあります。

そんなときには、hidakaの話しを一度止め、「今、○○ちゃんがお話しているでしょ?」と、状況を伝えます。

「○○ちゃんのお話が終わってから聞いてもらおうか。」というように、話したい欲求をつぶすことなく、どうしていくのが良いのかを教えていく機会として、丁寧に接する時間を大切にしております。

まとめ

私の子育てに教科書はありません。

誰も我が子の遅れてくる発達の事を、教えてくれる人はおりませんでした。

 

療育に通っていたときも、児童精神科に通っていたときも、決して我が子の発達の道筋を、予測し、順序立てて教えてくれるという事は一度もありませんでした。

児童精神科の先生も、臨床心理の先生も

「その時期がきた。」

「その行動は、こういう可能性がある。」

「こういうときはこうしていきましょう。」

という、“今”現段階がどうなのか?というのを診て、診察するものでした。

「どういう対処が良いのか」というプロの見立てやアドバイスは受けられます。

でも、母親ができることというのは、やっぱり母にしかできないのです。

療育に通っていたときに、担当の臨床心理士さんにhidakaの日常を伝えていたノートがあります。

そこには、私にしか気が付けないhidakaの成長が綴られておりました。

臨床心理の先生は、その気付きを「こういうことなのかもしれませんね。」や「こうしていくといいかもしれませんね。」とアドバイスしてくれることはありました。

でも、hidakaを診ているのは関わっているその時間だけ。

hidakaの存在もまた、他にも多く担当している子がいる中の、“患者さんのひとり”というものなのです。

その事を知り、専門家を活用するというのは大切ですが、何もかもお任せ状態で依存することなく、一人の子を育てる親として、我が子の方向性を見失うことなく、我が子の“育ち”を感じ、親として自分の考えを持ち、自立していることが大切だと、私は感じております。

それが、子どもを自立させていくことに繋がっていくのではないでしょうか?

 

私ができることをできるだけ。

それが誰にも代わりができない、私の子育てです。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

“親子で一緒に”という時間が、私の今の子育ての要になっております。

hidakaと築いてきた時間が、たくさんの母としての“気づき”に繋がっております。

“育てにく子”の“親子で一緒”というのが難しい時期のツールとして。

(→発達に心配のある子にいったい家庭では何をしてあげればいいの?「親子で一緒」が大切なんです!幼児ポピーを利用したレビュー



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