言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳8カ月 気になる行動

hidaka 3歳|2016/12/30 posted.
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ご訪問いただきありがとうございます。

 

hidakaは春になったら6歳になります。

幼稚園でも、お友達と“闘いごっこ”など、関わって遊び、「○○くん、○○くんとあそんだー」など、楽しく過ごしている様子です。

幼稚園生活も、適応しており、個別に対応していることはないと聞いております。

幼稚園の先生にも「今日は○○くんのお家に遊びにいくんだー♡」や「パパ今日早くかえってくるんだー♡」など、嬉しい事があると、すすんでお話するらしく、嬉しい気持ちを先生に伝えたい!という気持ちを感じると、教えていただきました。

周囲へhidakaのゆっくりな発達の理解を促したおかげで、周りから温かく見守られ、“ありのままのhidaka”が認められ、周りの大人を信頼しているいい状況になっております。

 

そんなhidaka。

来年度は年長さんです。

先日、お友達のお家に遊びに行っていて、気になることがありました。

お友達には、まだ3歳になったばかりの弟がいたのです。

その弟くんと、対等におもちゃの取り合いをしようとしているのです。

“どういう対応をしたらいいのか・・・”正直迷いました。

自分より年が下の子を保護するという思いは、まだhidakaには早いような気もしたのです。

ましては、一人っ子のhidaka。急にお兄ちゃんになることは難しいでしょう。

でも、母親の気持ちとは、またやっかいなもので、こんなに“ありのままのあなたでいい”という事を、意識して認めていこうとしているのに、節目節目で、“年相応の事ができないか”と、躍起になってしまうものなのです。

 

言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳8カ月 気になる行動

 

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▼抵抗には意味がある

hidakaを後ろに乗せていた親子自転車が、パンクしてしまい、パパとふたりで直しに、自転車屋さんに行ってもらいました。

帰ってきて、パパが私に「ひだかが、自転車から降ろそうとしたら、泣いて抵抗して大変だった!」と聞きました。

自転車を心配して不安に思い泣いたのか、まだ乗っていたくて泣いて抵抗したのか・・・

まだまだ、「自転車がパンクをしてしまって、修理してもらう。」ということを、わかりやすいように説明したつもりだったけれど、hidakaには想像できなく、それ以前の問題でつまづいてしまったのか・・・と、夫婦で寂しい気持ちになってしまいました・・・。

そんな結果だったのですが、

なんと、後日、自転車に乗るときに、hidakaからこんな話が出てきたのです!

hidaka「ひだか パンク なおしてきたー」

私「! ありがとねー♡助かったよ。」

hidaka「ひだか ないたー」

私「!? ひだか泣いたんだねー。・・・どうして泣いたの?」

hidaka「ヘルメット・・・」

私「???ヘルメットがどうしたの?」

hidaka「・・・・」

パパに聴いてみました。

すると、「ヘルメットをとらないで降ろしたかも??」と言っておりました。

私の記憶が確かならば、hidakaが出来事を話したのは、これが初めてです。

泣いたのには、パパとママが想像している方向ではない、理由があったことを、「伝えたい!」という気持ちが生まれたんだと、この時は感じましたが、もしかすると・・・思っていることを、伝える事が言葉でできるようになった瞬間だったのではないかと、今は思います。

もっと前から、伝えたい気持ちはいつもhidakaの心の中にあったはずなのです。

それを、伝える言葉がわからず、何も伝えられず思いが消えていったり、「どうしても伝えたい!」と、泣いて抵抗したり、駄々をこねて、心の内を伝えようとしていたんですよね。

▼自然な言葉が難しい

言葉はどんどん増えてきておりました。文章のような言葉を練習しているときもあります。

でも・・・どこか、不自然なんです。

話し言葉の感じがしなくて、この頃、特に心配に思っておりました。

臨床心理士の先生に相談すると、「hidakaくんの場合は、「ごめんね~」や「だいじょうぶ!」「できたよ!」など、自然に自分の言葉になってきている言葉もあるので、少しずつ変わっていくと思いますよ。」と、特に心配していない様子でした。

周囲の子の自然な言い回しの言葉を聴いていると、きっと難なく、自然と言葉を周囲の人の話し言葉から、吸収して、自分の言葉にしているという過程を感じました。

hidakaの言葉の習得方法は、周囲の子と、少し過程が違ったのだと思います。

私たちが、学生の頃に英語を習得する感じと、hidakaの日本語の習得方法は似ているように感じます。

単語を覚えていって、動詞を覚えて、形容詞を覚えて、助詞を知り、文の接続詞を練習して・・・というように、文法のようなものを模索しているような習得過程だったのです。

(→ハイパーレクシア!熱心に教えたわけではないのにいつのまにか読めるようになっていた文字や数字 それは症状なのでしょうか?

▼自分よりも小さい子とのやりとり

この頃、私の発達障害の理解はまだまだ浅く、様々な発達障害の傾向が併発する可能性は極めて高いものであるという認識でした。

hidakaは、自閉症的な傾向が強く出ていたのですが、ADHDのような、衝動性を抑えきれないという特性も、成長と共に表れる可能性があると、思っていたのです。

療育に通っていても、児童精神科に通っていても、それだけでは、発達障害への理解は、深く広がる訳ではないのです。

我が子のことは、客観的な話を、児童精神科の先生や臨床心理士さんに聴くことにより、理解が広がってきます。

ですが、全体的に発達障害を深く理解するための、講義のようなものはありませんし、我が子以外のことを、話題として広げる機会もありませんでした。

そのせいか、発達障害の傾向のなかでも、目立ってしまう、“衝動性をコントロールできない”という特性が、いつ表れてしまうのか・・・という間違った理解で、不安に悩まされたりすることもあったのです。

私の予測のなかでは、その“衝動性をコントロールできない”という特性は、hidakaの自尊心が育ち、自分に自信をつけてきた時、突如、“自分の思い通りにしたい”という気持ちをコントロールできなくなり、自分より小さい子など、力づくでどうにかできると感じる相手に、ボンと押したり、叩いてしまったり、強く出てしまい、ケガをさせたりすることがあるのではないか・・・?と、本気で不安に思っていたのです。

幼稚園でも、もしかすると、追い詰められて、言葉を使った対処ができずに、自分の力を使って、思い通りにしようとしたり、自分を守ろうとして、他の子にケガをさせたりすることがあるかもしれない・・・と。

発達障害の傾向というのは、様々な特性が絡むことはあるのかもしれませんが、基本的には、その子が持っている特性は、生まれつきのもので変わらないと、今は感じております。

目立たなかった特性が、成長と共に目立ってくるということはあっても、突然、持っていなかった特性が湧いてくるということはないのです。

hidakaは、自分より小さい子に、衝動性をコントロールすることができず、他害に走ることはありませんでした。

そして、幼稚園生活の中でも、誰かに故意にケガをさせるということは、「絶対にないでしょう。」と言いきれるほど、もともと生まれつき持っている穏やかな性格は、変わることはありませんでした。

▼与えるおもちゃは考えるべき?

今年のhidakaのクリスマスプレゼントは、仮面ライダーエグゼイドのゲームドライバー(変身ベルト)でした。

実は、戦隊物や仮面ライダーに目覚めたのは、今年の夏からなのです。

戦隊物や仮面ライダーを通らない子もいるので、何とも言えませんが、通る子の中では、遅いスタートなのではないかと、周囲と比べると感じております。

幼稚園の年中になり、周囲のお友達の影響をようやく受けるようになり、興味が湧いたのです。

3歳8カ月のhidakaは、おままごと遊びが好きになり始めていた頃で、男の子が好きな戦隊物や仮面ライダー、トミカやプラレールというものには、全く興味を示しませんでした。

なので、3歳のクリスマスプレゼントというのは、本当にすごく迷いました。

男の子らしいプレゼントを渡し、世界を広げてあげたい!という気持ちが、私の中にあったのです。

要するに、「年相応のプレゼントを渡して、年相応らしく喜んで遊んでくれないか?」という気持ちがあったんだな。。。と、今は思います。

でも、その気持ちは、やっぱり親都合のもので、hidakaに合わせたものではないのです。

男の子、特有のおもちゃというのは、私のように女の子の遊びしか知らない母親には、「どうやって一緒に遊んだらいいのかわからない。」なのです。

肝心なのは、“一緒に楽しむ”なんです。

hidaka3歳のクリスマスプレゼントは、hidakaと一緒に相談をして、“アンパンマンのコンビニ”という、おままごとをして、やりとり遊びがしやすいおもちゃにしました。

とても喜んでくれて、私も一緒に遊ぶことに困ることもなく、コミュニケーションを高める関わりの、いいツールとしてたくさん利用しました。

 

まとめ

いつも忘れそうになります。

「もうすぐ3歳だから・・・4歳だから・・・5歳だから・・・6歳だから・・・・」と、年相応の事ができていないと、何か不足しているような気分になるのです。

でも、立ち止まって考える必要があるのです。

我が子の本当の“発達年齢”を意識してあげる必要が、私たちにはあるのです。

外の社会では、そういう訳にはいかず、冷たい風にあたることもあるかもしれません。

でも、家庭の中でも、わざわざ冷たい風を吹かせることはないのです。

それは、決して“甘やかし”ではないのです。

これからも、幾度となく、“年相応”を、知らず知らず求めてしまう事があるでしょう。

でも、温かい気持ちで“我が子に合った導き”というのを丁寧にやっていくことができれば、知らず知らずのうちに「“年相応”の成長を見せてくれるのではないか・・・。」と思ったりしております。

 

hidaka。

お友達の3歳の弟くんとの関わり。

どのように考えているのか、聴いてみると、「○○くん(3歳の弟くん)とひだかは一緒。」と言っておりました。

自分よりも小さい子を保護するという気持ちは、育っていないようです。

当たり前です。そのような環境がなかったのですから。

では、“仕方がない”と対等に扱うべきでしょうか?

お友達のママにもhidakaの発達の遅れを理解してもらっているから、それも出来なくもなかったと思います。

でも・・・少し疑問に感じました。

せっかくの機会です。自分より小さい子との関わりを学習する機会なのです。

ゆっくりと温かくhidakaの気持ちを受け入れ、“自分より小さい子にはどうしてあげるとみんなが気持ちがいいのか”を丁寧に話してみました。

「・・・・」と、そんなに響いていないのかな?という様子でした。

 

でも、そんなことはないのです。

後日、一緒にその3歳の弟くんと遊ぶ機会がありました。

hidakaは変わっておりました。

「○○くんに、このおもちゃ貸してあげるんだ。」と、しっかりとお兄ちゃんをするhidakaの姿がありました。

お友達のお母さんと、私で、「お兄ちゃんしてくれて、ありがとう!」と伝えると、満足そうに微笑んでおりました。

こうして、hidakaはまたひとつ成長しました。

 

自分で年相応に考えて、「どうすればよいのか?」ということを、考える力は正直弱いと思います。

でも、「どうしてそんな事もわからないの?こうすべきでしょ?ちょっと考えたらわかるでしょ?」と、その子の自尊心を傷つけ、「あなたはダメね。」と持って行ってしまう事。

発達障害グレーゾーンの子・発達に心配のある子・育てにくい子を育てるお母さんは、特に気を付けなくてはなりません。

そういう場面が、定型の発達の子よりも多すぎるのです。

生き生きとした、自分で自分の道を切り開いていける人に育てたいのならば、絶対にしてはいけないことなのです。

お母さんができることは、周囲の大人と協力して、「年相応にできなくてもいい。どうしたら、みんなが気持ちよく感じる事ができるのだろうか?という事を、学習していくという形でいいんだよ。」という、環境を提供できるように、人間関係を築いていくということなのではないでしょうか。

我が子の“年相応”が気になっている方の、参考になれば幸いです。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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