“比べる病”はどうすればいいの?発達障害の特性を持つ我が子と健常の子を比べてしまう時に気がつくべきこと4つ

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12月も半ばを超えた頃、カレンダーが大好きなhidakaは、「あと3日でクリスマスだね!」と頬を赤らめ、こぼれそうな笑顔で言っておりました。

実年齢より幼さがあるhidaka。

クリスマス=サンタさんからプレゼントがあって、家族で特別な料理やケーキを食べられる、スペシャルで美味しい日だということに気がついたのは、4歳を過ぎて迎えたクリスマスだったと記憶しております。

幼稚園でクリスマスの演出があったからでしょうか?

「よい子にしていると、サンタさんからプレゼントをもらえるんだよ。」

という幼稚園の先生からのお話も、親以外から聞くと、とても信憑性を増し、印象的に心に刻まれるものになることを、私も覚えがあります。

「ひだか、いい子にしているよね?」

と、hidakaは目をキラキラ輝かせ、自信満々のいい顔で聞いてきます。

「そうだね。いつもいい子だね。」

と優しく応えると、とても嬉しそうに、ワクワクと頭はサンタさんからもらえる、スペシャルなプレゼントの事でいっぱいのようです。

今日、クリスマスの朝、目を覚まし、ツリーに駆け寄る真剣な表情。

ツリーの下に置いてあるサンタさんからの大きなプレゼントの袋を見つけ

「サンタさん!来たんだ!!(ね?そうなんだよね?)」と目を見開き、こちらに視線を向けてきました。

「来たんだね~」と応えると、次の興味はプレゼントの中身のようで、すぐさまプレゼントの元へ。

大きな袋のリボンを解き、のぞき込む姿、その表情。

この瞬間が見たくて、私たちは頑張っているのかもしれません。

子どものはちきれるばかりの嬉しそうな笑顔を期待し、その様子を見守る私たち。

心は満たされ、温かい“幸せ”を感じるのでした。

 

今日は、発達障害の傾向を持つ子を育てる親、誰もが一度は・・・

いえ。一度という事はないと思います。

どんなに志を高く持ち、我が子の母としての自信を強く持ち直したとしても、時には小さく、時には打ちひしがれるように大きく、何度も何度も波のように襲ってくる“比べる病”について、語ってみようと思います。

辛く悲しい“比べる病”、どうすればこの病から解放されるのでしょうか?

 

“比べる病”はどうすればいいの?発達障害の特性を持つ我が子と健常の子を比べてしまう時に気がつくべきこと4つ

 

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“比べる病”とは?

親が我が子とよその子もしくは他の兄弟と、性格・性質・発達・知能・運動能力・容姿・言動などを比べてしまい、我が子の至らないところにばかり目を向け、「どうしてこの子はこうなんだろう。。。」と情けなく思い、気分が落ち込む状態のこと。

気分が落ち込んだ親は、子どもが変わるように働きかけようと考え、過剰に干渉したり、厳しく叱ってしまったり、そのような状態にならないように行動を制限をしたり、「○○くんはこうなのに、どうしてできないの?」というように子どもを否定してしまったり、最悪な場合は我が子を可愛く思えなくなったりしてしまうことがあります。

そのような心境の親に変わるように過剰な干渉で働き掛け続けられると、子どもは自己肯定感を失い、「どうせ、僕は(わたしは)ダメなんだ。」と、あらゆることに無気力な状態に陥ってしまうことが多いと言われております。

発達障害グレーゾーンの子を持つ親の“比べる病”

発達障害グレーゾーンの子というのは、発達障害という特性を持ちつつも、その程度が障害に至るのか様子見であったり、障害まで至っていないという診断で、障害の診断が降りていない状態の子ども達です。

発達障害グレーゾーンの子というのは、多くは特別に配慮された環境下での教育や保育ではなく、通常の教室や保育の現場での、健常の子ども達と同じ環境下で、教育や保育を受ける事を選択する親が多いようです。

発達障害グレーゾーンの子というのは、集団の中で目立ってしまう発達障害の特性を持っています。

ということは、健常の子ども達と比べてしまう機会というのは、健常の子ども達の中で生活していくことになるので、必然ととても多くなってしまいます。

発達障害グレーゾーンであるということ自体を知るきっかけというのも、また「他の子達と比べると、うちの子はちょっと・・・・変わっている?」という健常の子ども達と比べることによる“気づき”からくるものなのです。

発達障害の特性が、我が子が持つ生まれながらの脳の造りからきているもので、育て方やしつけ、環境や本人の意思とは無関係なものだという事に気が付いていたとしても、発達障害グレーゾーンの子を持つ親というのは、根本的な性質の部分で、子どもは変えることはできないとわかってはいるのですが、その集団で目立ってしまう特性のせいで、健常の子ども達と我が子を比較してしまい、苦しみます。

障害までは至っていないという状況が、逆に周囲の「親の育て方やしつけ、環境のせいなのではないか?」という冷たい目にさらされてしまうというのも、要因のひとつです。

そして、頭では仕方がないことだとわかっているのですが、“比べる病”に掛かってしまうと、我が子を情けなく思ってしまったり、可愛いと一時的に感じられなくなってしまう事に、罪悪感を感じ苦しむ事もあります。

子どもを否定しないように、子どもを変えようと過剰な干渉をしないように自分を律していくこと、“比べる病”に掛かりやすい環境に身を置いている発達障害グレーゾーンの子の親は、意識して過ごす事が必要となります。

“比べる病”に特効薬はあるの?発達障害の特性を持つ我が子と健常の子を比べてしまう時に気がつくべきこと4つ

1.羨ましい・妬ましいという負の感情を消すのではなく受け入れることが大切

羨ましい・妬ましいという思いを抱えると、大抵の人は罪悪感を感じます。

「こんな思い、カッコが悪い。消してしまわなくては。誰にも知られたくない。」というように、羨ましい・妬ましい気持ちを抑え、消してしまおうとするのです。

でも、羨ましい・妬ましい気持ちは、そうすればそうするほど、どんどん増殖し、膨れ上がっていくものなんです。

“比べる病”の特効薬は、誰もが心ではわかっております。

自分の気持ちの本元を理解し、コントロールすること。それだけのことなのです。

「そんなことわかっている。それができれば苦労しないわ。」と、心が凍りつくような冷たい目にさらされ、孤独を感じてしまうと、そのどうにもならないことに苦しみに、身を委ねていってしまうという気持ちになることがあります。

そんなときは、その羨ましい・妬ましいという気持ちを、内に悶々と抱えるというのではなく、できるだけ身近でその負の気持ちを聞いてもらえる方に、ただただ静かに聞いてもらってください。

自分の“ありのままの気持ち”を、受け入れてもらうんです。

「こうしたら気持ちが晴れるんじゃない?」や「そんなこと言ったってしょうがないでしょ?」「いつまでもそんなこと言ってないで立ち上がりなさい。」「子どもが可哀そうだよ。」「いいところいっぱいあるじゃない。」

など、アドバイス・叱咤激励・視点を変える勧めなど、この段階ではいりません。

一言、「そう思ってしまうのも仕方がない。うんうん。そうだったんだね。羨ましく感じたんだね。辛いね。苦しいね。」という受け入れをしてくれる人に聞いてもらうのです。

夫でもパートナーでも、自分の親や義理の親、ママ友達、専門家、そのような人がすぐに思い浮かぶ方はいいと思うのですが、もしうまく受け入れてもらえず、話していて苦しくなるようでしたら、別な方がいいかもしれません。

人に言われて変われる時と変われない時があります。

人に言われて苦しくなるときは、自分の心が立ち直っていない時。

自分の心が立ち直ると、人は自然と自分で変わりたくなります。

その時がまだ来ていない時には、話しを聞いてもらう前に、一言「自分の至らない思いをただただ聞いて欲しい。」と話してみてもいいかもしれません。

その一言があれば、心置きなく“羨ましい・妬ましい”の気持ちを、自分の中で処理していけるように、気持ちを向かせていくことができるかもしれません。

“羨ましく妬ましい”という気持ちは、自分の心の中に発生したものなのです。

2.“あるもの”探しの達人である事に気がつく

羨ましく妬ましいという気持ちを受け入れてもらい、自分でそんなこと言ってても仕方がないよな。よし。この“比べる病”を治したい!と思った時、あなたは変われます。

その時に気がついて欲しいのが、「あなたは“あるもの探し”の達人である」ということなのです。

そうです。自分がスペシャルな人である事に気がついて下さい。

・・・・・どうして私がそう思うのかと言うと

あなたが発達障害グレーゾーンの子の親であるからなのです。

「神様が決めた事だから」ということを言いたいのではありません。

私は複数の記事で、発達障害の傾向や特性は、遺伝からきていることを否定することができないと感じていると書いております。

(→カサンドラ症候群にならない為に 発達障害グレーゾーンの子を持つ夫婦だって危ない!気をつけていること6つ

そう思っているのです。

突然ですが、あなたのパートナーは、“完璧な人”ですか?

ここで言う“完璧な人”とは、社交的で人当たりが上手で、社会的に対人的にも器用な人という意味です。

学校生活でいうと、クラスのリーダー的な存在で、異性に人気があり、誰がみても輝き、万人受けの惹きつけられる明らかな魅力を持っている人でしょうか?

・・・・受け取り方によっては、とても失礼な話になってしまうのですが、もしかするとあなたのパートナーはそのようなタイプの人ではない可能性が高いのでは?と。

そのような失礼な意味ではなく、誰もが気がつく魅力を持っているのではなく、分かる人にはその良さが分かる魅力がある方なのです。

あなたは、そのような花で例えると、バラのような人ではなく、可憐に咲く小さな花に可愛らしさを感じたり、すごく希少な花を何年に一度咲かせるということに魅力を感じたり、一本気で不器用に咲く花に心を打たれたりするタイプの人なのではないでしょうか?

一目見てすぐわかる魅力ではなく、もしかするとあなたしか気がつかないところにも、魅力があり、あなたは人生のパートナーとして選んだという側面もあるのではないか?と思うのです。

欠点もあったと思います。

でも、そんな欠点よりも何よりもパートナーの“いいところ”に魅力を感じ、「あぁ。この人とだったら家族を作っていきたいかも。」と、未来を感じ、家庭を築いてきたのです。

もしくは、逆のパターンもあるかもしれません。

自分の欠点を受け入れてもらい、“いいところ”をたくさん見つけてもらって、愛してもらっているのかもしれません。

お互いにということもあるかもしれません。

パートナーとは離縁していたとしても、この部分は変わりません。

“いいところ”に惹かれたのです。

どんな欠点も見えなくなるほど、あなたは人の“いいところ”をみつける才能があるのです。

この事に関しては、絶対に謙遜や妥協はいりません。

「私は人の“いいところ”をみつける天才だ。」と信じ、この能力を生涯かけて、伸ばしていくことを考えてください。

本当に、この人の“いいところ”をみつける才能の芽に関しては、他の誰よりも素質があるのです。

この自信が“比べる病”に負けない心を育て、発達障害グレーゾーンの子を育てる自信に繋がります。

3.子どもを育てる親は人間力を高めていく必要があるのです

子どもを育てているのです。

かつて、好きな人に自分を好きになって欲しいと感じたとき、自分の魅力を磨こうと、人間力を高めていこうと考えたのではないでしょうか?

それと同じくらい、もしくはそれ以上に、人を魅力的で、人間力の高い人に育てたいと思うのであれば、自分も魅力的であり、人間力を今よりも高めていくという気持ちが必要となります。

 

では、あなたが感じる“魅力的な人”とはどのような人でしょうか?

 

私が感じる魅力的な人は、“喜びがある人”です。

 

どんな小さな事にも、喜び、感謝し、生き生きとしている人です。

子どものことだってそうです。

「○○できるようになった。」「可愛い。」「ありがたい。」「感動した。」「○○できて嬉しかった。」

というように、我が子の小さな事にも“喜び”を感じ、感動している人は、“かわいらしいな”と感じます。

謙遜する必要はないのです。

自慢げに話し散らすというものではありません。

我が子の事に“喜び”を感じている魅力ある親というのは、幸福感に溢れ、黙っていてもにじみ出るものがあります。

そのように、夫や身内の方、比較されない場面で、大いに“喜んで”いいんです。

 

反対に、比較される場面での“喜び”は鼻につきます。

そのような比較される対象がいる場面では、日本人の古き良き“慎む”が大切になってきます。

 

そして、もうひとつ魅力ある人と感じるのは、人の“いいところ”に気がつき、認め、称賛出来る人です。

 

この事に関しては、2でも書きましたが、あなたは天才レベルまで才能があります。

大いにその才能を伸ばして下さい。

そして、「すごい!」「素敵。」「魅力的だ。」「私はすばらしいと思う。」と、我が子だけではなく、他の人、子ども達を称え、自信を持たせる事こそがあなたが伸ばすべき人間力です。

4.本当の選択肢に気がつく

“比べる病”に掛かっているとき、あなたの心の中には、我が子の陰に、我が子ではない別の我が子が想像で生まれたりします。

あたかも、そのような選択肢があったかのように、生き生きと空想上で動いたりします。

空想上の我が子は、羨ましいと比べている子達と同じように“できている”のです。

そして、そのような我が子という選択肢が“選択”できたかのように、感じてしまったりするのです。

「手に入るべきものが手に入らなかった。」

「手に入りそうだったものが手に入らなかった。」

だから、羨ましく、妬ましいのです。

では、本当に“手に入るもの”だったのでしょうか?

本当はそんな“選択肢”はないのです。

当たり前のことなのですが、その別な子という“選択”はないのです。

我が子の特性を持っていない子というのは、もはや“別の子”です。

そのような“選択”はないのです。

あった選択肢というのは、“子どもを持たない”という選択だったのです。

そのことに気がつく必要も、“比べる病”からの脱却には、厳しいですが必要です。

我が子と比べる事ができるのは、我が子がいなかった暮らしとしか比べることはできないのです。

・・・・“比べる病”の深い闇・・・・

心が疲れているときがあります。

そんなときは、持ち前の才能も明るみに出ず、いつもいつも羨ましく、妬ましく、罪悪感でいっぱいの気持ちで苦しくなる事があります。

(→“うつ”の波にのまれるな!発達障害グレーゾーンの子の親 自分を知り自分を生かす子育てをする8つの方法

それだけ頑張ってきたのです。

なのに、自分も身近な人に他の人と比べられてしまっていたり、“いいところ”を全く見てもらえず、評価されないということが続くと・・・・どんなママも、どんなに立ち直ろうと心を張っても、心はモヤモヤと晴れず、頑張れません。

もしも、それがパートナーであるならば、一度じっくり話し合う必要があります。

発達障害グレーゾーンの子を抱え、一緒に家庭を築いていくのならば、絶対に力になってもらわなくてはならないのです。

パートナーの理解がなければ、本当に頑張れません。本当に頑張れないのです。

その深刻さは、とても深く、ママの心か子どもの心が壊れてしまう可能性があることを知っておいてもらいたい。

私はそう思っております。

そして、ママも決して諦めずに“助け”を求めて欲しいのです。

あなたが本気で“助け”を求めれば、必ず“比べる病”から救ってくれる方が現れます。

あなたも、子どもも、心の病気になってからでは遅いのです。

 

まとめ

今通っている幼稚園ではないのですが、幼稚園探しをしているときにある幼稚園で、園長先生との面談がありました。

(→発達障害グレーゾーンの子の幼稚園選び 幼稚園選びは何を基準にしていますか?受け入れてくれるだけではなくよくみてほしいところ5つ

その幼稚園では、園長先生が面談をし、入園前提のプレに通う許可を出すという仕組みでした。

hidaka3歳。

発達障害の疑いがあり、児童精神科に掛かり、療育を受けておりました。

たくさんの子ども達をみてきた幼稚園の園長先生との面談。

hidakaに向けられたその視線が、何もかもを見通しているような気がして、私はとても緊張するものでした。

園長先生の問いかけに一切答えず、目を合わす事もなく自分勝手におままごとのおもちゃに夢中になるhidaka。

私は息が詰まるような思いで、そんなhidakaと園長先生のやりとりを見ておりました。

そして、視線を落としたあと、園長先生は私の前に座りました。

静かに話しだす園長先生。

私はその言葉に息が止まりました。

「ひだかくんは、我が園には合っていないと思います。」

一瞬、頭が真っ白になりました。

児童精神科に掛かってから、hidakaの就園については、ある程度覚悟もしておりました。

自閉症の診断が出なかった事から、支援がある幼稚園ではなく、普通の幼稚園でグレーな子どもを引き受けてもらえるところを探さなくてはいけなかったからです。

幼稚園の入園。

本当に健常の子であれば、どこもWELLCOMなんです。

「ぜひ、我が園へ!ようこそ!」なんです。

でも、発達障害グレーゾーンの子というのは・・・・

比較したくなくても、その対応は厳しい差があると感じずには負えません。

発達障害の疑いがある、グレーゾーンという看板を背負い、幼稚園探しをするという辛い現実に、胸が苦しくなるほど、「手が掛かる子です。でも、どうか我が子を受け入れてもらえませんか?どうかお願いします。」なんです。

この園は幼児期の“遊び”を大切にしている幼稚園で、この方針なら、hidakaを受け入れてもらえるかもしれないと期待を持ち訪れた先での、この一言に、私は雷に打たれたかのようなショックを受け、現実の厳しさを感じるものでした。

でも、たくさんの子ども達をみてきている園長先生。

「・・・・そうですか。」と肩を落とし、帰る事もできたのですが、私は話しを聞いてもらう事にしました。

児童精神科に掛かっていて、診断が出ていない事。

言語と社会性の発達が、他の発達よりも極端に遅れている事。

その発達の遅れを伸ばす為に、療育に通っている事。

他にも幼稚園のプレに通っている事。hidakaに合う幼稚園を本気で探している事。

入園までの1年間で、出来る限り色々な経験をさせ、発達を伸ばし、見極めていきたい事。

その私の気持ちが伝わってなのか、園長先生は私の話しを「うん。うん。」と頷き、親身に聞いてくれ、また静かに口を開きました。

「療育に通っているのならば、うちの幼稚園のプレに通ってみますか?いいですよ。」

「試してみなさい。」と、温かく応援するかのように、優しく言ってくれました。

そして、園長先生は続けてこう言いました。

「他の幼稚園も見学に行きなさい。比べてもらって構いませんから。ひだかくんの為に、合うと思う幼稚園を探しなさい。」

と。

そして、たくさんの子をみてきた園長先生は、今後のhidakaの事で、アドバイスをくれました。

「言葉の遅れだけだと思う。他の子と比べてはいけないよ。

 

園長先生のこの言葉は、その後、幾度となく訪れる“比べる病”の波から、救ってくれるものでした。

他の子と比べてはいけないよ。

今でも、hidakaが持っていない、周囲の子の魅力を目の当たりにすると、「・・・羨ましい。どうしたら・・・」と考えてしまう事があります。

でも、心に響くのです。

「他の子と比べてはいけない。hidakaには、たくさんの魅力がある。私はその魅力をたくさん知っているし、伸ばしていくべきなのはその魅力。」

 

 

「もっともっと…」

「追いついてほしい…」

「目立ちたくない…」

「知られたくない…」

「発達障害の特性が消えて欲しい…」

 

そんな思いが湧いてくるというのも、仕方がないのです。

でも、「他の子と比べてはいけないよ。」です。

「その“比べる病”と、どうすれば上手に付き合っていけるのか?」

ということを考えて、出来る事をして、上手に付き合っていくのです。

いつか、心の闇は明けるでしょう。

また闇に包まれる事もあるかもしれません。

でも、大丈夫。

あなたならば抜け出す事ができるのです。

一生懸命、我が子と向き合っていこうという気持ちがあるのですから。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

“比べる病”に苦しんでいる方の、参考になれば幸いです。

 

 

 

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