ご訪問いただきありがとうございます。 hidakaは幼少期、“泣かない子”でした。 一部の自閉症 […]
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hidakaは幼少期、“泣かない子”でした。
一部の自閉症や発達障害を抱える子に見られる、“全く泣かない”というものではありません。
「この子・・・泣かない子だな。」と感じたのは、初めての予防注射のときです。
hidakaは周囲の子ども達がギャン泣きしているなか、きょとんとして泣きませんでした。
赤ちゃんの頃は、空腹感が満たされれば泣きやみ、オムツなどの不快感がなくなれば泣きやみ、他の同じ月齢の子を持つママ友達の話しを聞くとビックリするほど、赤ちゃんとはそういうものだと思っていたのです。
生理的な欲求や不快でしか、泣かなかったhidaka。
この頃よく言われたのが、「ひだかくんは、おっとりさんだよね。羨ましい。」というものでした。
過敏というものからは無縁で、その大人しく大らかな雰囲気は、私をとても安心させるもので、抱っこ紐で抱っこしていれば、どこに連れていくのも抵抗はありませんでした。
今から考えると、hidakaの心の内で、感情というものを認識したり、表現するという能力がこの頃まだ、乏しかったんだと思います。
夜泣きはあったと記憶しておりますが、「眠りにつけずに泣いている」という印象で、「なんでこんなに泣いているの!?」と悩まされることなく、短い期間付き合いしておりました。
1歳、歩きはじめるようになり、転んだりしても泣きません。
すぐに立ち上がり、興味関心の赴くままに対象に向かっていく後ろ姿、目を閉じれば浮かびます。
泣きながら私に助けを求める姿というのが全くなかった訳ではありません。
でも、その姿というのは、3歳頃の印象が強く、“母を頼る”という力をつけようと意識し、働きかけるようになってからの印象が強く残っております。
・・・・・・
そんな“泣かない子”だったhidaka。
7歳を迎えたhidakaは、“泣き虫”と呼べるくらい、ちょっとしたことでこらえる涙が、涙腺を脱してポロポロと、周囲の子ども達に比べると、「そんなことで泣いちゃうの!?」というくらい、繊細ボーイが際立っております。
そうなんです。
1年生の子ども達というのは、ちょっとしたことではもう泣かないのです。
周囲から浮いているhidakaを目の当たりにし、
「これは・・・どうしたものか・・・。。。。」
と、考えさせられております。
hidakaは、どうしてこんなに涙をポロポロと抑える事ができず、泣いているのでしょうか?
そんな“泣き虫”の芽を開花させたhidakaに、何をしてあげられるのでしょうか?
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どうして泣いているの?“泣き虫さん”の心理
▼原因その1
思ったようにならない。
上手くいかない。
気に入らない。
できなくて悔しい。
冷たくされて悲しい。
寂しい。
厳しいのが嫌だ。
大きく分類すると、“泣き虫さん”はこのような感情がモヤモヤと心に広がり、そのモヤモヤで不快な気持ちに支配され、上手に感情を処理することができず、涙で身体が悲鳴をあげているという状態です。
つまり、“問題解決能力”が年相応よりも低く、上手く感情をコントロールすることができていないのです。
では、どうして“問題解決能力”が年相応に育っていないのでしょうか?
考えられるのは、“経験値の不足”です。
学校でもこのhidakaの“泣き虫”な一面は先生の目に留まるようで、個人懇談で先生に言われました。
「お母さん、先回りして、子どもに失敗させないように手を回し過ぎてはいけません。」
「思ったようにならない。上手くいかない。では、どうしていこうか?ということを、自分で考えていける子にしていくことが大切。自分で考えて成功していく体験が、ひだかくんには、必要です。」と。
もう少し、オブラートに包んでおりましたが、先生は私にそのような事を伝えたいと考えていたようです。
「なるほど。そうかもしれません。失敗させないように動き過ぎている部分も思い当たります。。」
応えました。
うん。何だか過保護な母と言われたようで、恥ずかしく感じましたが、hidakaの“問題処理能力”が育っていない原因として、この“経験値の不足”というのは、納得するものがありました。
確かに、hidakaには、“直面した問題を自分で解決していく”という経験値が不足しています。
一人っ子なので、兄弟に揉まれることは皆無です。
母親は専業主婦で、子供中心、いつも傍にいます。
ましては、“発達に心配があった子”です。
自己肯定感を育てるために、何事もまずは成功体験としてきました。
助言したり手を加えたり、“自信”や“楽しさ”という経験を積ませることを優先して育ててきたのです。
全く“問題解決能力”が育ちにくい環境であったと言っても過言ではないような気がします。
成功体験を積ませる育児で、“発達に偏りのある子”に自信をつけさせ、何事も“挑戦する!”“ぼくはできるようになる!”という自己肯定感は、今のhidakaを見て、確実に育ってきたと感じています。
でも、発達障害グレーゾーンの子・発達に心配のある子・育てにくい子の子育ては、いつだって“育ちにくい部分を育てた”という事に称賛はいきません。
“育っていない”ところに注目がいってしまい、いつだって“どうしていくべきなのか?”という事を考えさせられます。
時には難しい育児を理解してもらえず、至らないところばかり注目され、苦しく感じることもありますが・・・・
でも、hidakaの“問題処理能力”が育っていない原因は、やっぱりそこにあるのです。
▼原因その2
どうして、モヤモヤとした気持ちを、涙でしか表現できないのでしょうか?
それは、その気持ちを“言葉”で伝えられないからなのです。
言葉の遅れでずっとずっと悩まされ続けて、ようやく「うん。hidaka、言葉使えるようになったね。」と、言葉に関し悩まされることは少なくなってきておりましたが、根本的にhidakaは、“言葉”での表現というのを、教えられることなく自然と身につけていくのは難しく、目に見えない気持ちを表現するというのは、彼のもっとも苦手とすることなのです。
何とも納得です。
hidakaが7歳を迎え、“泣き虫”になっている原因は、この2つに間違いがありません。
必見!!泣き虫さんをたくましく優しい子に育てる6の方法
1.涙は“いいもの”なんです!
涙をすぐ流す我が子に、親が掛ける声というのは、どのようなものが思い浮かびますか?
「すぐ泣かないの!」「また泣いたー。なんで泣いてるの!?」「そんなんじゃ世の中渡っていけないよ!」「女々しい。。。」「しっかりしなさい!」
涙というのは、“弱さの象徴”なのです。
その繊細で傷つきやすい我が子を心配に思い、親なら誰でも叱咤激励したくなり
“このままではいけない”
強い精神力を鍛えなくては!と、自ら厳しく接してしまいがちです。
そんな言葉にさらされた子どもというのは、“涙=罪悪感・恥じらい”という方程式が完成し、すぐ涙を流してしまう自分に“情けなさ”という否定的な感情を抱きます。
確かに、現代の世の中は、感情を表に出さない事を、社会的に◎と評価している節があります。
ですが、そもそも“涙”はそんなに恥じるべきものなのでしょうか?
まだ精神的にも未熟な子供に、そんなに罪悪感を与える必要があるのでしょうか?
“涙”は“いいもの”なのです。
その浄化作用は、“涙”を流した事がある人であれば、誰もが体感しているはずです。
“泣いたらスッキリして楽になった”
“涙”を流した後は、モヤモヤとぼやけて見えなかった気持ちを洗い流し、本来の“心”の姿が見られるようにしてくれたりします。
その“心”こそ、向き合い大切にするべきものなのです。
そのように“涙”は“いいもの”とすると、私たちの声掛けも変わってきます。
「泣いていいんだよ。」「○○な気持ちだね。」「心のモヤモヤはどうしたら小さくなるかな?一緒に考えようか。」
「泣いてもいいから言いたい事、言ってみようか?」「泣いてもいいから最後まで頑張ろう!」
心を強くしたいのであれば、“涙”は利用するべきなのです。
2.涙には種類があります!
子どもの涙には、種類があります。“泣く”というものを、ひとくくりにして対応するのでは、理解されない思いに苦しむ事になるかもしれません。
“涙”の種類をひも解き、一貫した対応をとることができれば、たくましく優しく心は育っていきます。
では、どのような種類があるのでしょうか?
▽他者とコミュニケーションの苦手で流す“涙”
被っていた帽子をパッととる遊びをしていました。最初はキャッキャと楽しそうに「返して~!」と追いかけ、笑い遊んでおりました。でも、相手の子がなかなかすばしっこく、帽子をとり返す事ができません。追いかけている顔がだんだん必死になってきます。やっととり返す事ができました。ホッとして被ると、またパッと取られて、笑いながら逃げていきました。「返してよ~。。。涙。。。。」
このような涙は、他者とのコミュニケーションの苦手と言えるものです。他には、ちょっとしたからかいや嫌がらせで泣くというのも、これに当たります。
気持ちが“楽しくなくなる”というほどのものに発展した時に、はっきりと「やめて!」「もうやめよう。」「嫌だ!」と、言えるコミュニケーションが必要なのです。
そのようなもので“涙”している時には、相手に嫌だということを分からせる“言葉”を教える必要があります。
自分の心が“楽しくない”としているのです。「やめて!嫌なんだ!」と、自分で自分を守る方法を教えてあげましょう。
▽自分の気持ちの受け入れがされなかった“涙”
「仲間に入れて!」と言い、「○○くんはダメ!」と入れてもらえませんでした。涙。。。。というものです。
実は、この場合は高度なコミュニケーションが必要になるのです。
“どれだけ相手の気持ちを汲めるか”なんです。
自分の気持ちを受け入れてもらえなかった寂しい思いを慰め、気持ちが前を向いてきた頃に、相手がどんな気持ちだったのか?というのを、一緒に考えてあげると、これからのコミュニケーションに深みが出てきて、人を思いやれる優しい気持ちが育っていきます。
▽痛くて。。。。“涙”
これは、泣いていいんです。「男の子なんだから、メソメソしないの!!」と、言いたいところですが、痛いんですもの。大きな怪我に繋がらないように、ぜひ涙を流し、経験から学んでいって欲しいものです。
▽高すぎる自意識からの“涙”
クラスで発表する場面がありました。前に出て、しゃべりだすと緊張で言葉が突っかかってしまいました。クラスのみんなからちょっと笑われてしまうという場面がありました。涙。。。。。というものです。
“高すぎる自意識”は、そのままにしておくと、あがり症に発展したり、被害妄想や対人恐怖症、自意識過剰という生きにくいものとなってしまったりします。
そのような“高すぎる自意識”を持っている子どもには、“できるようになったこと”や“恵まれている事”に注目してあげ、よく言葉にしたり話題に出したりすると、気持ちが自分の内の気持ちばかりでなく、周囲の事に視野が広がるようになってきます。
そして、周囲の人たちもまた、自分の事を中心に考えているもので、みんな同じように緊張したり、間違ったりするものだという事を教えてあげましょう。
「ママも昔そうだったよ。」「周りの子たちも緊張していたね。」というように、自分ばかりにいっていた目を、周囲にも向けられるように促すとよいです。
そうして、“みんなそうなんだ”という視点が開けてきたときに、スポーツをやらせてみたり、人前に出る機会がある習い事で練習してみたり、無理のないように意識を他に持っていく事ができるように、経験を積むとよいです。
▽完璧主義による“涙”
ひらがなの練習をしていました。ちょっと格好がとれていない字があったので、「こうしてみたら?」と教えてみました。そうすると、他の字も注意されないかと気にし出すようになり、何度も何度も消しゴムで消し、書き直しております。涙。。。。というものです。
完璧主義なのです。“指摘される”ということで、“完璧を求めなければ”というものにスイッチが入り、本来の目的を見失い、「指摘されないように・・・完璧に・・・・」と意識や緊張が高まり、楽しくなくなり流す涙です。
これは、“本当の目的”を感じてもらわなければなりません。
今回の場合であれば、ひらがなの練習というのは、“ひらがながキレイに書けるようになる”というのが、目的です。
まだまだ練習中なのですから、完璧にできなくてもよいのです。
キレイに書けるように意識して練習する事が、上達の近道ではありますが、ママは完璧を求めている訳ではありません。
このように、完璧主義な一面というので、本来の目的を見失ってしまい、涙することがあるのです。
完璧主義があらゆる事のじゃまにならないように、“本来の目的”を感じ取り組む事ができるように、意識して伝えていく事が必要です。
▽悔し“涙”
悔し涙は、“いいもの”だと私は考えております。
悔し涙は“がんばり”の原動力になります。逃げださず、向かってくる“できない”という不満と闘っているのです。
“涙”を流す事により、悔しい気持ちを消化し、再び立ち上がり、“できない”ものを“できるもの”にしようという活力が湧いてくるのです。
“涙”は、時に適度なガス抜きになり、バイタリティーや心のバランスをとるために一役かってくれることもあります。
――――――――
以上、代表的な涙の種類と対応法の提案でした。
どの“涙”の種類の場合にも、許容される“涙”以外は、“涙”ではない他の表現へ導いていってあげる必要があります。
3.問題解決能力を育てる時期がきました!
hidakaの“問題解決能力”が育っていなかったと気がつき、今までの子育てに後悔があったかというと?
私の心はそのような“後悔”で波風立つことなく、穏やかに落ち着いております。
今までの“自己肯定感を育てる”という目的で行っていた、成功体験をとにかく積ませるというもので、手に入れたhidakaの心は、安定し“自信に溢れている”からです。
これはこれで、“よかった”と感じているからです。
私は“次の階段を登る時期が来た”と捉えました。
“問題解決能力”を育てる時期がきたのです。
子どもの心は柔軟で、気が付いたときに“親が変わる”ことで、多くの事を身につけていく事ができます。
アンテナをしっかり張り、素直な気持ちで子どもと向き合っていれば、“間に合わない”ということはないのです。
“問題解決能力”を育てる為には、“自分で考えさせる経験”が必要です。
様々な場所に機会があれば、様々な人に触れさせてみましょう。そのような機会を大切にするのです。
地域の子ども会のようなものに参加してみる。親子でできる自然体験に申し込む。実験教室や山登りもいいです。
仲良しのお友達関係の中で、大人がフォローできる環境で揉まれる練習をしてみたり、一人っ子であればお友達の兄弟と家族ぐるみで遊んでみるという経験も、いいものにしていくことができるかもしれません。
そのような環境を作り、“問題”と呼べるものに直面したら、「○○だね。どうしていこうか?」と、“自分で問題を解決させる”スイッチを入れる言葉掛けをします。
最初からサクサクとはいかないでしょう。
涙を流し、助けを求められる事も多いでしょう。
ですが、泣いてもその事は気にしないのです。泣きやむまで見守り、“自分で解決策を考える”手助けをするのです。
何かに自信を付けさせるというものも、諦めずに自分で考えようという自信に繋がっていきます。
“問題解決能力”を育てたいのであれば、“自分で考える”という機会を多く持つ環境と、“ぼくは解決できる”という自信が必要なのです。
家庭の中だけでは、どうしても刺激が少ないというのも考えられます。
気持ちが安定しているのであれば、多く外の環境に触れさせていき、様々な経験を重ね、自分で問題を解決させたという成功体験が、何よりも“問題解決能力”を身につける近道です。
4.今時は新しい男性像です!
“泣き虫”さんが男の子だった場合、その繊細でよわよわしい姿に、「将来どんな大人になってしまうんだろう。」と、頼りない様子に心配になってしまう。。。。というのも、とてもよくわかります。
ですが、私たち世代や一昔前の“男性像”をイメージしてはいませんか?
今時は、“新しい男性像”という見方もあるんです!
感情を表に出さず、一人寡黙に踏ん張り。。。。頑固で融通がきかないという“頑固おやじ”的な男性像ではありません。
「よく泣き、よく笑い、よくしゃべる」
適度にストレスを発散し、しなやかにしぶとく生き抜くという姿が、実はこれからの社会には必要な男性像なのかもしれません。
それは、私たちが考える男性像とは、少し雰囲気が違います。
少し前から耳にする“草食系男子”という言葉があるとおり、今その波は確実にきているのです。
“新しい男性像”を知る事により、我が子の“泣き虫”というのも、気にならなくなり、別の大きな志で育てていく事ができるかもしれません。
5.心身の安定がやっぱりすべて?
感情が揺れ動きやすいときというのは、自分でも知らず知らずに蓄積した“疲労”がある可能性が高いです。
この“疲労”は、身体的なものかもしれません。もちろん精神的な“疲労”は、それだけで大人でもちょっとしたことで「もうダメだ。。。。」と、“涙”が流れる事があります。
特に発達障害グレーゾーンの子・発達に偏りのある子・育てにくい子というのは、周囲と同じ事をすることだけでも、苦労していてストレスが過多になってしまっていることがあるのです。
よくよく気をつけてあげたいのです。
勉強や習い事、お友達活動にお手伝い、「もっともっと」と求め、1日盛りだくさんで過ごしていませんか?
自由気ままに“好きな事”に没頭する時間、大切にしてあげていますか?
6.何で勝負する!?
以前、hidakaにタブレット学習を始めるきっかけになった時の事を記事にしました。
(→スマイルゼミ入会しました!発達障害グレーゾーンの子の“タブレット学習”を考える)
そこにも記載したのですが、hidakaには生涯得意になることはない“苦手”があります。
どんなにその“苦手”に働きかけても、“得意”になることはなく、その“苦手”に注目し続ける育児ほど、hidakaにとっても私にとっても辛い育児はないと考えております。
なので、始めたんです。
“タブレット学習”
あらゆる脅威もありました。あらゆる心配事もありました。「そんなに勉強ばかりさせる前にやるべきことがあるでしょ?」と言われると、不安になる気持ちも0ではありません。
でも、私はhidakaは“知力で勝負”と考えております。
夫もよく口にします。
「好きな事を好きなように、思いっきり伸ばしてあげたらいい。hidakaには“好きな事”をたくさんやらせてあげよう!」と。
私たちがhidakaにとって“いい”と思うもので、hidakaが好きな事というのは、制限なく取り組める環境を意識して作っております。
苦手な事に一生懸命にならなくていいんです。
一生懸命であるべきことは、“得意な事”なんです。
みんなそれぞれ得意な事や苦手な事があります。
苦手なことは放っておくという訳ではありませんが、彼が勝負するところは“そこではない”んです。
我が子の勝負するところ、一生懸命“みてあげてますか?”
まとめ
発達障害グレーゾーンの子・発達に偏りのある子・育てにくい子を育てていると、周囲の人たちから「○○くんはこういうところがあるね。こうしていった方がいいんじゃない?」と意見されることがあります。
「あぁ。確かにそうだ。今までの育て方を間違ったのかもしれない。。。」と、感じてしまう事があるのです。
それだけ発達障害グレーゾーンの子・発達に偏りのある子・育てにくい子の育児というのは、自然と育っていく部分が周囲の同じ年の子どもたちよりも育ちにくく、何か特別育て方に至らない部分があって、そのように育ってしまっているのではないか?と感じさせてしまうことがあり、多くの定型発達の子を見ている人達には理解されることが難しいのです。
そして、育てている私たち親だって、絶対の自信があって育てている訳ではないのです。
我が子に“育っていない”部分があれば、「もっとこうしてあげればよかったのか・・・・どうなんだろう・・・・・私が間違っていたんだろうか・・・・?」と、我が子の事を思えば思うほど不安になるのです。
でも、忘れないでください。
あなたはいつだって“正解”を探し、子どもの今を、明日を、未来を考え、誰よりも真剣に向き合い、誰よりも我が子の傍で助け、励まし、「大きく!素直に!優しく、幸せになれ!」と育ててきたのです。
見えなくなっていたものに気が付かせてくれるアドバイスもあります。
アドバイスによって、行き詰っていた道が開かれる事もあります。
でも、根本的に周囲のアドバイスは、私たちの育児の“参考にする”なんです。
周囲の言葉や評価に惑わされる必要はないのです。
小学校に通うようになると、集団での我が子の事を他の定型の発達の子と比べる機会が増え、これから考えられる心配や困りごとというのを、担任の先生は話しがちです。
その我が子の未来の姿の予測に、大きな不安を感じ、我が子の育児のテーマを見失い、翻弄されてしまうという事があるかもしれません。
でも、その姿は本当に我が子の姿なのでしょうか?
全く参考にしないという話しではないのですが、翻弄されてはいけないのです。
よくよく“本当は何に気が付くべきなのか?”ということを感じなくてはなりません。
何かに“気が付くことができれば”、我が子の未来にいい影響を与えられるかもしれません。
そして、時には“参考にしない”という選択も、“私たちにはできる”。
そういう選択ができるくらい、自分も我が子の育児について勉強しているんだという自信を持っていたいです。
お読みいただきありがとうございます。
hidakaは、スマイルゼミで“タブレット学習”始めております。
学校では泣き虫な一面もありますが、授業などでは手を挙げ発表したり、積極的な姿勢が見られているようです。
“知力への自信”が彼の魅力になりますように・・・・。
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