ご訪問いただきありがとうございます。 親から見ても、何か不思議な雰囲気があるな・・・と思うhid […]
ご訪問いただきありがとうございます。
親から見ても、何か不思議な雰囲気があるな・・・と思うhidakaですが、
周囲の方から見るhidakaの印象というのは、よく言われるのですが、“穏やかで大人しい”という表現をされることが多いです。
大きな声をあげることもなく、慣れない環境では口数も少なく、公共の乗り物では、模範の子どものように、きっちり座り、静かに外を眺めております。
マイペースなhidakaは、自分の好きなことで、もくもくと遊ぶ姿が6歳を目前に控えた今でも見られます。
1~2歳のころから比べると、親への働きかけは格段に増えましたが、ひとりで絵本や漫画を読む・文字や数字カレンダーや信号機の世界に夢中になるなど、手が掛からない時間も他の子よりも多いのではないかと、感じております。
毎日、hidaka中心に過ごしていた3歳児健診より前は、言葉の遅れこそ気にはなりましたが、その他の心配ごとは、気にならない程度という表現がぴったりでした。
感覚の過敏も目立つものはなく、癇癪も私とhidakaの生活のなかでは、目立たなく、私たちはお互いのマイペースな性格を尊重し合い、穏やかな生活をゆるりと過ごしておりました。
3歳児健診で、hidakaの発達が尋常じゃないほど遅れてしまっていることを知った私は、hidakaにたくさんの働きかけをしました。
そうすると・・・ひとたびこちらの要求通りのことをさせようとしたり・・・「思い描いている子どもの姿に持っていきたい!」と、期待を込めたとき・・・これはもう途方もなく遠い道なのではないか??と思うくらい、難しかったです。
この3年間で、日常のやらなければならないこと、hidakaの気持ちをコントロールすることは、私も上手になり、難なくできることが増え、困る事は少なくなってきておりますが、hidakaの“やる気”という部分は・・・少ないものを増やすことはできますが、ないものを湧かせるようなことは・・・
未だにできないです。。。
hidakaの母として、6年たくさんの努力をしてきた私でも、本人の関心のないことへ“やる気”を湧かせることは、お手上げ状態なのです。
彼の気持ちが、“その苦手を乗り越えたい”という方向に動かない限り、私たちは手も足もでません。
諦めない心を育てたい!発達障害グレーゾーンの子諦めない事が可能性を広げる!ガッツを身につける6つの方法
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発達のつまづきと諦めの心
hidakaが発達につまづいた時に、彼の発達障害の傾向を知りました。
「定型の発達の子が無理なくできることが、hidakaには難しいことがある。」それを知ったのです。
そして、その彼が苦手としている事を、無理に克服させようとする働きかけが、発達障害の傾向を持つ子の心の負担になり、2次障害という、私たちがもっとも恐れている結果を引き起こす事がある事を知ったのです。
それから、hidakaの苦手としていることは、基本的には“あなたはあなたらしくでいい”“ありのままのあなたが大好き”として、その中で、社会に適応できるように、少しずつ少しずつ導いてきたつもりです。
そして、“苦手なものは苦手でいい”ということも、また受容してきたつもりです。
でも・・・hidakaの苦手は、障害の域まで達していないという結論を出した今は、その“苦手なものは苦手でいい”という部分も、一度しっかり方向性を決めていかなければいけないと、考えておりました。
“苦手なことは苦手でいい”という家庭での姿勢は、支援を受けないという選択をした社会を歩んでいくと、メリットとデメリットがあるのです。
考えられるメリットは、家庭では“本来の自分でいられる”という事。
それは、家庭の中が、hidakaにとって、装う事もなく、無理をする訳でもなく、リラックスした、本来の自分でいられる場所になります。そういう場を、支援を受けない道を選ぶと、外の社会では、なかなか手に入れる事が難しく、心の拠り所を作るのが難しいので、家庭で提供してあげたいという気持ちがあります。
でも、デメリットとして考えられるのは、家庭では“苦手なものを苦手と諦める”という一面もあります。
どうして、諦める事になるのかと言うと、外の社会では、hidakaひとりで苦手と向き合っていかなければならないからです。“苦手なことは苦手でいい”と家庭でしていると、自分から試練の場に身を投じる事も、もしかすると回避して、少なくなる可能性があります。“それでもいい”ということなんです。それは、“苦手なものは苦手と諦める”ことになりうる可能性もあるのです。
そのデメリットとしての“苦手を諦める”という作用は、長い年月をかけ、子どもに浸透していきます。
苦手を克服しようとする気持ちは、ストレスが掛かります。過度なストレスは人をダメにしますが、適度なストレスは、人を成長させるのです。
発達障害の傾向を持つ子は、社会の中では生きにくく、普通にしているだけで、定型の発達の子どもより、たくさんのストレスにさらされております。
それを考慮して、苦手な事でも多くのストレスを掛けると、ストレス過多になるというのは、理解しております。
でも、その社会から受けるストレスの量も、その子の持つ発達障害の傾向によって、度合いは変わってくるものなのではないでしょうか?
全く、みんな一様に、発達につまづきのある子は、苦手なことへのプレッシャーを家庭では掛けないというのも・・・やはり、みんな同じにするというのがいい訳ではないのです。
我が子が発達につまづいたとき、子を想う親は、子どもの事を調べる中で、発達障害のこと、様々な適切な対応について勉強していくことになると思います。その中で、“子どものありのままを受容しましょう。”という考えを基本に持つ事に、共感を持つ方は多いのではないでしょうか?
時には、専門家の方から、障害の受容の関係で、厳しく夢や将来についての過度な期待をしないように、アドバイスされることもあるかもしれません。
優しめの目標設定をすることによって、子どもに負担が掛からないように、と考える専門家のほうが、今の日本の発達障害への対応では、浸透しているのではないでしょうか?
その一面も知り、目の前の我が子を冷静に知り、どの程度の期待を掛けていくのか、というのを選択するのも、また親の責任なのです。
どんなことへも、“諦める心”を育てるという方向が、発達障害の傾向を持つ子の子育てとして“我が子に良い”とは、とてもじゃないけれど、言えないと思っております。
発達障害グレーゾーンの子諦めない事が可能性を広げる!ガッツを身につける4つの方法
1.我が子をよく知る
発達障害の傾向を持つ子に、通常考えられる、厳しく接することによるガッツの身につけ方は危険です。
自己肯定感が上手く育っていない場合は、さらに自己肯定感を下げ、「・・・自分はダメ人間だ・・・」と自分を諦める方向へ気持ちが進んでいってしまう可能性があります。
どんな子にも効く、万能なマニュアルはありません。
でも、必ずどんな子にも、“その子の特性や性格だからこそ伸びる接し方”というのはあるのです。
それを知る為には、まず子どもの特性や性格を、他の誰よりも知らなければいけません。
我が子が一番“やる気が出る”接し方を、まずは親が勉強するのです。
hidakaは、厳しすぎる環境は、委縮してしまうのでhidakaの良さがでません。
まずは、できるかもしれないという気持ちを育て、優しく励まされ、応援される環境が、一番伸び伸びと本来の自分の良さを出し、“やる気に満ち溢れる”という結果を生む傾向があります。
でも、甘えが前面に出て、「だめだ。ダメだから~」とふにゃふにゃ自信をなくし、甘え切っている時には、少しピリリと辛口に接すると、ひと踏ん張り頑張る傾向があります。ひと踏ん張りによって生まれた成功を褒めると、自信をつけ、しばらく前向きな姿勢が見られます。
2.気持ちが向くまで待つ
発達にクセがある子というのは、頑固で融通の効かない一面がある子が多いのではないでしょうか?
でも、その分、自分の決めた事は最後までやり遂げる、強い集中力と精神力を持つ子が多いように感じます。
すべては、“気持ち”次第なのです。
その“気持ちの種”が腐らないように、日を当て、水を与え、励まし、上手に上手に育ててください。
そして、“気持ちの芽”が出た時には、絶対に枯らさないように、日を当て、水を与え、励まし育てるのです。
“気持ちの芽”が出てからの勝負になりますが、決して種をこじ開け、芽を引っ張り出し、成長を促しても上手くいきません。
手を掛け、目を掛け、気持ちを持って接し、諦めずに働きかける必要があります。
3.甘える場所をつくりながら応援する
発達障害の傾向がある子の子育てというのは、時にひとりで接するには、荷が重い事が多いです。
人はやはりプレッシャーが掛かった時が一番成長するのです。そのプレッシャーの逃げ道を自分で作り出すことが、情緒が不器用な発達障害の傾向がある子には難しいです。
なので、できれば、最低でもふたりで関わりを持ちます。
自分のパートナーの夫が一番良いですが、おじいちゃんおばあちゃん、先生や気を許したママ友でもいいです。
“やる気の芽”が出た時、ひとりは、一貫して諦めない路線の強い愛溢れるコーチ役を。
もうひとりは、ただただ子どもの気持ちを代弁して、「そうだね。そうだね。辛いね。よしよし。」と優しく受け入れ見守る役をします。
その受け入れてもらえる自分の気持ちがあれば、厳しい姿勢のコーチの愛に応え、もうひと踏ん張りできるのです。
hidakaに、何かを乗り越えさせようと思った時、私一人で対応していると、必ず“ケンカ”になってしまいます。
すぐにくじけるhidakaの気持ちを、受け入れながら厳しくするなんて、どんな人も難しいのではないでしょうか?「どうしてすぐ諦めるの?そんなんじゃ○○だよ!」と、言ってはいけない一言も、もうどうしてもどうしても出掛かってしまいます。
それくらい、なよなよで、へなへなな気持ちで、“やる気の芽”を引っこめようとする我が子に、「もうどうしてそんなになっちゃうの!?」と、自分の気持ちを何処に持っていけばよいのかがわからなくなります。
まだ、hidakaは“やる気の芽”をひとりでは育てられないのです。
そんなときは、夫とふたりで対応します。
夫が愛溢れる厳しいコーチ役で、私はとにかくhidakaの気持ちを代弁して優しく受け入れます。場合によっては、入れ替わったり、夫婦でhidakaへの対応は一貫して、二つの面を持つように意識して接しております。
4.スモールステップでのアプローチ
何か叶えたい目標があるときには、その過程を小さく区切り、少しずつ達成感を感じながら、ステップアップしていくのが有効です。
そしてその過程は、紙に書きだしたり、目に見えるものにすると、子どもにとっても何を目指しているかがわかりやすいし、親も主観ではなく、客観視した一貫した対応をとることが容易になります。
hidakaも、毎月小さな目標を作ったりしております。
今月は幼稚園へ持っていく、ティッシュとハンカチを自分で制服に入れるなど。幼稚園でも頑張っている時期なので、毎月、負担なくできるものを目標にし、1年経つと、難なく、幼稚園の準備を自分でできるようになる。という大きな目標を掲げたりしております。
5.応援歌を使う
歌の力は偉大です。
私も仕事をしていたときには、いつも音楽を聴き、自分の気持ちを高めて仕事に臨んだりしておりました。夫は仕事が大変で身も心もボロボロになってくると、ドリカムの「何度でも」を聴きます。
♪~何度でも何度でも何度でも 立ちあがり呼ぶよ きみの名前 声が涸れるまで
悔しくても苦しくてもがんばってもどうしようもない時も きみを思い出すよ
10000回だめで へとへとになっても
10001回目は 何か 変わるかもしれない~♪
私には、少しハードなのですが、彼のハートには響くらしいです。
みんなそれぞれ、心に響く音楽は違うのかもしれませんが、子どもにも響く応援歌があります!
時には、心を盛り上げ、「諦めずに立ち向かう自分に酔いしれる」という演出も、必要なことがあります。
6.親が諦めない
最後は、私たちが要です。
親が諦めれば、そこで終了です。
それ以上“やる気の芽”は育つ事は難しいでしょう。
それだけ、発達障害の傾向を持つ子というのは、“やる気の芽”を育てることが、何の助けもない場合には、難しいことが多いと私は感じております。
でも、“やる気の芽”を一度、きちんと育てることができたならば・・・それは、人生において掛け替えのない成功例になります。
“ゆるぎない自信”になることに、間違いはないのです。
その経験が、たった1回のその成功体験が、これからどれ程の“成功”の花を咲かせるかは図りしれません。
まとめ
hidakaは、その発達の凸凹により、まだ5歳ですが、私たちの知らないところで、自分の苦手な分野があることで、様々な挫折を感じてきていたのかもしれません。
その経験からか、hidakaは、はじめから負けるとわかっている試合は好んでしない傾向にあります。
運動会の徒競走。お友達とのかるたやオセロ。縄跳びに英語。
自分に自信のないものに出くわすと・・・hidakaからこぼれる言葉は、「ひだかできない。だめだー。」そして、本気で取り組むことはなく、苦手なものは苦手と逃げ、好きな事をすることで、悔しい気持ちを紛らわしているのです。
はたして、それが苦手を受け入れ、ありのままの我が子をそのままでいいとすることなのでしょうか?
hidakaの苦手とは、それほどまでに“しょうがない”ことではないと、感じております。
無理に負担を掛けて、「その気持ちの持っていき様を、自分で何とかしなさい!」という接し方を推奨している訳ではありません。
本当に手はないのでしょうか?
発達障害の傾向が一因の様々な挫折が、その様子を生んでしまっている・・・と諦めなくてはいけないのでしょうか?
よく我が子を見てください。必ずその子ならではの、“やる気へのアプローチの仕方”が見えてくるに違いありません。
諦めない心を育てたいと思ったのは、hidakaの発達にいいのではないかと、パパが買ってきた“けん玉”に出会った時でした。
けん玉は知育玩具としても、今は使われているというのを、知り合いから聞いた夫が、hidakaに買ってきたのです。
けん玉が上手な夫は、hidakaにやってみせました。
私も練習して、大皿とお尻を交互に、「もしもしかめよ~♪」と歌う“もしかめ”という技ができるようになり、hidakaの“やる気の種”をふたりで育てていました。
運動会の徒競走も、まっすぐ走って参加できれば◎とし、「1番になりたい!」という気持ちは、「まだ早いかもしれないね。」と、育てようと働きかけませんでした。
お友達とのオセロやかるたを、負ける前から「できない・・・負けた・・・。」と辞めてしまうhidaka。「まだ、負けるという自分の負の部分を受け入れることができないんだな。」と、お友達との勝負は、まだ情緒の年齢が追いついていないということで、「やらない」という選択を受け入れました。
縄跳びや英語も、苦手なことがあってもいいじゃないと、“やる気”にならないhidakaへ働きかける術もなく、アプローチしませんでした。
けん玉も、もしかしたら“やる気の芽”はでないかもしれないなぁ・・・と、半ば諦めのような気持ちもあったかもしれません。でも、目の前にけん玉があったので、アプローチし続けておりました。
すると、ある日、突然「ひだか、けん玉できるようになりたい!」と“やる気の芽”が出たのです!
できないことを、最初から本気で取り組もうとしない傾向にあったhidaka。
これは、またひとつ成長するチャンスかもしれないと、この“やる気の芽”を大切にしようと関わっておりました。
しかし、道のりは険しく、1日ほんの2~3回練習すると、すぐ「ひだか、できない~。。。」と辞めてしまう日が続き、夫と二人、どうすれば“諦めない心”を育てることができるのか、思考錯誤しておりました。
もう一歩のところで、自分の気持ちを諦めない方向に持っていけないhidaka。
・・・・
私たちは、それまでの受容の気持ちから、一歩踏み超えて、夫にコーチのように厳しめに対応してもらいました。
hidakaに「絶対に諦めないんだ!」という姿勢を教えたのです。
ドリカムの「何度でも」の曲をBGMに、練習を促しました。
hidakaの大好きな仮面ライダーエグゼイドのテーマソング「EXCITE」も掛け、盛り上げました。
3時間くらい練習したでしょうか。あともう少しという瞬間もあり、私たちも粘ってしまいました。
頑張りに頑張りましたが・・・
その日は結局大皿に乗せることはできず、成功体験をさせてあげることができなかったことに、私たちもがっかりしましたが、「よく頑張った!!」と称え、その日はぐっすり眠りました。
次の日の朝、hidakaは、自分から“けん玉”を手に取り、何と練習しだしたのです。
テーマソングも掛けてあげると・・・なんと!!ついに!!
大皿に乗ったのです!!
「ママー!!のった!!のった!!」と、玉を落とさないように、喜ぶ姿、嬉しそうな顔が忘れられません。
その一回の経験が、hidakaに響き、「諦めずに頑張る。そうすれば、変わる。」という合言葉ができました。
定型の発達の子の子育てでは、何ともない成長の経過でよくあることかもしれません。
でも、発達につまづきがある子の子育ては、苦手な事を苦手と受け入れることを美徳としている一面があります。
特に、発達障害がある場合には、早期の障害受容を促すことによって、子どもの過度な夢や将来像を期待しすぎないように、牽制するような動きもあるのではないでしょうか?
どれも、子どもの2次障害を防ぐために、重要な意味があるものであることもわかっております。
でも、本当に子どもの夢や将来を諦めることが、その子の人生を輝かせることになるのでしょうか?
“あなたのありのままが大好き”という基盤があり、その子に合わせた、夢や希望を持つ事が、どの子にも“いい人生”にしていくには、大切なことなのではないかと、可能性を広げることになるのではないかと、私は思うのです。
お読みいただきありがとうございます。
hidakaは大空の青色の玉で練習しております。今は赤玉だけではないのですね。
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hidakaの大好きなEXCITE!カッコいい曲調で、朝や車の中でも聴き、盛り上げております。
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hidakaには、ガシャット付のこちらを。喜んでいました。
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