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ご訪問いただきありがとうございます!
hidakaの発達記録。
hidakaが3歳、発達の心配をするようになってから、3冊のノートに、1か月ごと言葉・遊び・気になる行動とまとめておりました。
言葉の遅れが目立つ子が、どのように言葉を増やしていったのか、どのような遊びをして関わってきたのかということを今まで公開してきました。
そして、言葉の遅れの根底にあったのは、やはり彼が持つ発達障害の特性によるもので、その部分は“気になる行動”というところで紹介しております。
hidakaの発達の記録は、カテゴリーよりhidaka 3歳、hidaka 4歳と選んでいただくと、その時々のhidakaの発達状況を感じていただけると思います。
久しぶりにノートを見返していると、もうひとつhidakaの事で記録していることがありました。
それが“生活”です。
言葉の遅れが目立ち、発達障害の疑いがあったhidakaと、はじめての子どもが特別な関わりを必要としている“育てにくい子”であった母。
すれ違う人、出先で出会う人には私たちの“生活”は、どのように映っていたのでしょうか?
私たちが過ごしてきた“生活”を、覗いてみたいと思います。
言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳1カ月 生活
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▼あいさつをよくする
「こんにちはー」「ばいばい」「おはよー」
というような、定番のあいさつをよくするようになりました。
でも、仲の良いお友達やそのママ、hidakaのおじいちゃんおばあちゃんという身近な人に積極的にコミュニケーションをとるという種類のものではなく、お店の人や、病院の受付の人という、少し距離のある関係性の人達に、とても気楽な感じであいさつをしてました。
あいさつをすると、相手は幼い子が急に社交的なあいさつをしてくるので、少しビックリします。
予想外の反応という感じです。
そして頬笑み、「こんにちは!」「ばいばい(手を振る)」「おはよう(にっこり)」というように、返事を返してくれます。
最初は“あいさつを気持ち良くする社交的な子”という一面もあるのか?
と、嬉しく感じもしましたが、しばらくすると少し違和感を感じました。
共通して言えるのが、それ以上コミュニケーションをとってこない少し距離のある関係性の中で・・・という感じだったからです。
そう感じてしまうと、我が子の社交的な一面は見せかけと思ってしまい、積極的にあいさつを仕掛ける我が子に、苦笑いを浮かべるのでした。
・・・・この頃は、ただただ我が子の不器用な一面をみつけると、発達障害の特性と繋げ、不安に思ったりしておりました。
ですが、今成長した我が子を目の当たりにしている私は、別な事を感じています。
hidakaはこの頃から、hidakaなりに自分の苦手と向き合い、自分の出来る事からやってみるというのを実践していたのです。
▼お友達の名前を呼ぶ
3歳になり、お友達の名前を呼ぶようになってきました。
言葉の発達の遅い子は、自分の名前やお友達の名前を呼ぶようになるのが遅れる傾向があるようです。
hidakaの場合は、耳で聴いている言葉を、すぐに発語しないタイプの子で、お友達の名前が自分の中で、かなり確実になってからの発語であったように感じます。
なので、名前を間違ったりする事・・・・考えてみると今の一度もないように感じます。
間違うという事を、ひどく嫌っているのです。
誰かに間違いを指摘され、バカにされ、深く傷ついた経験があるわけではありません。
その傾向は今もあり、間違いや失敗を指摘される事にひどく敏感です。
“プライドが高い”という見方もあるかもしれません。
否定される事にとても敏感です。
そのせいか、名前だけではなく、意味のあるものの発語も、何でも慎重で、自分の中でかなり確実になってからしか言いませんでした。
▼トイレの申告を言葉で言うように
「といれー」「うんちー」というように、私に申告があり、連れていくという事ができるようになってきました。
hidakaのトイレトレーニングはとても順調で、周囲の子ども達に比べると、あまり苦労した記憶がありません。
(→トイレトレーニングは2歳から?言葉が遅くてもたったこれだけの方法で発達障害グレーゾーンの子でも2歳の夏にオムツはずれました!)
ルールがあるものを浸透させたり、習慣にすると、hidakaは驚くほど“育てやすい”という一面もありました。
今でも習慣にしているものはたくさんあります。
積み重ねてきたものです。
小学校生活でも、その特技が生きていて、宿題や明日の準備は言われなくてもサクサクとこなします。
読書から始まり、ピアノにスマイルゼミのタブレット学習と、毎日の習慣は、時間が経つと大きな力に変わっていっています。
(→スマイルゼミ入会しました!発達障害グレーゾーンの子の“タブレット学習”を考える)
▼よく目が合うようになってきました!
hidakaは目が合いにくい子でした。定型の発達の子を育てるお母さんは、目が合わないと感じる程だと思います。
(→「目が合いにくい子」=「自閉症」なのでしょうか?間違いなく言えるのは生まれつきコミュニケーション能力が低い子なんです!)
彼の目をのぞきこむと、母親である私でも、プイっと違うところを見てしまいます。
私の目をじーっとのぞきこむことなんてありません。(「ママの目をみて!」とお願いをして、目玉を見詰められた事はありますが・・・)
hidakaは母乳育児でしたが、おっぱいをあげているときに、赤ちゃんと見つめ合い、お母さんは至福の時間を味わえますという育児書の一文を目にしたことがあったのですが、思い返してみると、hidakaの目はいつもふせていて、その至福の時間は味わった事がありません。
上から覗き込んで、hidakaと見つめ合った事・・・・んん。やっぱり思い出せません。
そんなhidakaと、3歳を迎え、意識した言葉掛けをはじめたこの頃は「・・・・あら?目が合うなぁ。」と感じるようになっていました。
よく目が合い、共感を求める感じがあるのです。
この共感を求める眼差し・・・・最近は過剰のような気がするのですが。。。。
また、記事にしたいと思います。
▼「おはよー」「おやすみ」言えるように!
・・・・「おはよう」「おやすみ」この基本的な挨拶をhidakaに教えるのは、相当苦労しました。
朝、目覚めた我が子に「おはよう」を言うと、そのキャッチボールの球は、完全に行き場を失い、ぽんぽんと床にはね、壁に向かい転がっていきます。
その手応えのない感じに、声を掛ける気を失い、途方に暮れました。
でも、我が子は言葉の遅れが目立つ“育てにくい子”なのです。
諦める訳にはいきません。
hidakaが何を見て、何を感じ、何を考えているのか、彼の目線で考えようと思い立ちました。
そうすると見えてきた事があるのです。
どうやらコミュニケーション力が乏しい我が子には、どう反応すれば“正解”なのかが見えず、そのままにしているという様子だったのです。
なので、まずはhidakaのお気に入りのぬいぐるみに「おはよう」と言って、ぬいぐるみに「おはよう!」と言わせ、コミュニケーションの型を見せました。
そして、hidakaにも、「おはよう・は?」と促す事にしたのです。
しばらく続けると、基本の挨拶の型が定着したのか、難なく「おはよう~」と言えるように。
「おはよう」を教える必要があるとは・・・・!気が付きませんでした。
「おやすみ」も同様な働きかけをすると、浸透していきました。
▼絵本を読んで欲しい!
hidakaは3歳の頃はすでに、ひらがなをスラスラと読む事ができるようになっておりました。
私は読み聞かせのような、ママと子の温かい時間に憧れていたので、hidakaにたくさん絵本を読んであげたいと妊婦の頃から張り切っていました。
でも、文字というものに異常な興味があったhidakaは、物語を読んでもらうというよりも、文字が気になり、読み聞かせという母と子のコミュニケーションというものは・・・・全然好きではありませんでした。
読んであげようと、絵本を読み始めると、ページをめくられてしまったり、いなくなってしまったり、とてもじゃないけれど、母と子の温かい時間というものとは無縁だったのです。
そんな“いいかたち”ができないということが続くと、私も絵本を読み聞かせるということに意欲がなくなり、いつしか読み聞かせをしなくなりました。
ですが、3歳を迎えたこの頃、「よんでー!」と絵本をよく持ってくるようになりました。
親子で一緒という時間を大切にしていくという経験の中で、一緒に読むと楽しいと感じるようになってきたのでしょうか?
憧れの読み聞かせを、嫌という言うほど(笑)できるようになりました。
▼水遊びで服が脱げるようになった!
3歳健診のときに、hidakaは身体測定で服が脱げず、泣き叫び大変な思いをしました。
(→3歳児健診で言葉の遅れがある子は“発達障害の疑い”からは逃げられない!?言葉の遅れが目立つ子を持った私の体験談)
この服を鎧のように身につけるようになったのは、2歳後半からはじまったと記憶しております。
本人が不安を感じている時、新しい場所、新しい人、新しい環境というあらゆる場面で、身につけているものを脱ぐ事が出来なくなるのです。
2歳の冬は、この脱げないかもしれないという恐怖で、室内で着ててもおかしくないパーカーのようなもので防寒したり、一枚多く着せていって、脱がせやすいコートなどで気づかれないようにサッと脱がせたり、気を揉んでおりました。
そんなhidakaにとって、すべての衣服を脱ぎ、海水パンツひとつになるというのは・・・・非常に難しく、プールで服を脱がせようとして、虐待のように泣き叫ばれた記憶は、私のhidaka子育て苦労のワースト1,2を争うような思い出になっております。
hidakaにとって過酷な環境で、何とか克服させようとトライしていたときもありましたが、こんなときはやっぱり小さな階段でアプローチが一番です。
まずはリラックスしている環境で、苦手をクリアしたら楽しい事がすぐ待っているという場を準備しました。
それが、公園の水遊びです。
頑なに抵抗していたhidakaですが、仲の良いお友達と一緒に、熱い日差しの中、脱げたらすぐ入れるひんやりプールで。
何度か通うと、だんだんスムーズに脱げるようになっていきました。
まとめ
現在、7歳のhidakaは、個性的な部分もありますが、対話ができないかもしれないと思わせられるほど未熟だったコミュニケーション能力も、今では親子間のものとしては、何ら不安も不満もなく、穏やかに一緒に過ごしております。
過ぎてしまった時間は、記憶がうすれ、この穏やかな時間ははじめからそこにあったもののように感じますが、私とhidakaの間には途方もなくゆっくり感じる時間がありました。
それがhidaka発達記録の“生活”です。
最近はhidakaと私の時間はあっという間に1か月が過ぎ、3カ月、半年、春が来たと思ったら、いつのまにか夏、そしてすぐ秋になり、冬を迎えるというように流れていきます。
でも、途方もなくゆっくり、永遠に続くかのような時間があったのです。
「いったいいつになったら・・・・・。」「ずーっとこの時が続くのではないか?」と感じていました。
発達がゆっくりな子を育てていると、そのように感じ、時の流れが途方もなくゆっくりに感じ、ずっとこの時間が続き、「この子を育て上げる事ができるだろうか・・・・?」と不安に感じたりすることがあります。
でも、時は流れます。
ノートを書き始める事になったこの頃、臨床心理の先生に言われました。
「いつかこのノートをみて、こんな時もあったなぁと懐かしく思う時がきますよ。必ず来るんです。」と。
あの頃は「そうですか!」と、楽しみだなぁ~という様子で、明るく振る舞っておりましたが、本当はよくわかりませんでした。
「そうなったらいいけどね・・・。」と、誰にバトンタッチ出来る訳でもない責任を背負い、ちょっとの気だるさと、それでも小さく灯る密かな期待を胸に、そう思っていたのです。
・・・・・・・・・
懐かしく思う日がきています。
本当に懐かしく思います。
今の時の流れは、あの頃私が思っていたよりもずっと速く、感覚は麻痺し、たくさんの成長を見逃す勢いで流れていきます。
ふと立ち止まり、その時を感じております。
お読みいただきありがとうございました。
途方もなくゆっくりと流れる時間の中で、私たちは“幼児ポピー”を利用していました。
私たちの“母と子の温かい時間”の為に、一役かってもらっていたのです。
発達に心配のある子にいったい家庭では何をしてあげればいいの?「親子で一緒」が大切なんです!幼児ポピーを利用したレビュー
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