ご訪問いただきありがとうございます。 久しぶりの更新になってしまいました。 我が家は風邪が大ピー […]
ご訪問いただきありがとうございます。
久しぶりの更新になってしまいました。
我が家は風邪が大ピークを迎えてしまい、hidakaからはじまり、私も寝込んでおりました。
もうよくなり、hidakaはうきうき♪と幼稚園へ行きました。
熱が出ると、いつも以上に無口になるhidaka。
元気になると、何やらいつもよりおしゃべりに感じます。
そして、一言多いような・・・!
これは・・・「バージョンUPしたね。」と、夫と笑いあいました。
皆さんは風邪、大丈夫ですか?
hidakaは来年度はいよいよ年長さん。
“小学生”という就学が迫ってきて、最近はまたまた「hidakaは“大丈夫”なのか・・・。」ということに、考えを巡らせたりしております。
発達障害の疑い どこからが“大丈夫”なの?“大丈夫”という言葉に翻弄される前に 気がつくべきこと
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“大丈夫”
あぶなげがなく安心できる様子。強くてしっかりしている様子。まちがいがなくて確かな様子。
発達の遅れと“大丈夫”という言葉
“大丈夫”という言葉。hidakaの発達に心配が生まれてから、私たちは深く関わっております。
「大丈夫だろうか?」「大丈夫だった。」「大丈夫?」「大丈夫。大丈夫。」「大丈夫だよ。心配いらないよ。」「大丈夫!」
“大丈夫”という言葉、安易に使われる事を、嫌いに思うという人もいるかとは思うのですが、私は、「だいじょうぶ だいじょうぶ。」とおまじないのようにして、使うことも時としていいのではないかと、思っております。
というのも、
hidakaが3歳を迎え、発達障害を意識して、“大丈夫にしたい”という思いはなく、“この子が生きやすくなるにはどうすればいいのだろう?”という思いを抱え、療育に通い、熱心に関わり始め、半年くらい経った頃、どんどん伸びるhidakaの成長を実際に目の当たりにして、「・・・この子は大丈夫なんだろうか?」という思いがふと湧き、その考えを、何順も何順も巡らせることが多くなっていきました。
“大丈夫”とは、発達障害という診断を必要としないところまで、成長できるか?どうか?の基準です。
先の事を予測出来るほど、知識もなく、児童精神科の先生に助けを求めたこともあります。
先生はこう言いました。
「今のひだかくんは、このような状況です。この苦手なことが、成長と共に目立たなくなるかもしれないですし、目立つようになり、生活に困るかもしれない。目立たなくなるように、今、療育に通ったり、苦手なことへの対処法を考え、接していくのがいいと思いますよ。」
もやもやは、消える事はありませんでした。
ハッキリならないことを、無理にハッキリさせる訳にもいかず、とぼとぼ帰りました。
予測をする為の専門家なんて、どこにもいないのです。ハッキリしていないのに予測することなんて、責任も持てないのに出来る訳がないのです。
今の現状を診断してもらい、悪い方向へ進まないように、考えていくのが、児童精神科の先生の役割なんです。
安易に“大丈夫”なんて、発達障害グレーゾーンの子・発達に心配のある子・育てにくい子を育てる親に、声を掛ける人なんて、専門の仕事をしている方で、誰もいないのです。
“だいじょうぶ だいじょうぶ。”
誰も掛けてくれない“大丈夫”という言葉。
発達障害グレーゾーンの子を抱え、不安はピークに達してしまいました。私は日常的に、幼稚園に入った時のhidakaを想像し、「適応できなかったら・・・。」「私の選択は間違っているのかもしれない・・・。」ということばかりに思いを巡らせ、目の前にいるhidakaに気持ちがいかなくなってきました。
hidakaのことを大切に思っているのです。可愛い我が子の環境の選択に、間違いがあり、失敗してはいけないと思っていたのです。
それだけ、hidakaの一番近くで、成長を感じ、将来を思い、責任を持ち選択しているのは、間違いなく母親なのです。誰も代わりをやってくれません。任せられる訳でもないのです。
そんな私を傍で見ていて、夫がひとつの本を買ってきてくれました。
“だいじょうぶ だいじょうぶ。”
小さな男の子と、おじいさんのお話です。
小さな男の子は、毎日、おじいさんとお散歩にでかけます。
おじいさんとのお散歩は、家族のお出掛けとは違い、ごくありふれた日常を巡るというものでした。
小さな男の子は、パパやママが教えてくれない、おじいさんの自然、日常への温かい目線に刺激を受け、“ぼうけん”と表現し、楽しんでおりました。
でも、男の子は、そのおじいさんとのお散歩を通して、新しい発見や楽しい出会いと同じくらい、困ったことや、怖い事があることに気がつくのです。
今の自分の力では、どうしたらよいのかわからない困ったこと、世の中には自分の力ではどうしようもない恐ろしい事もあります。
男の子が、「このまま おおきく なれそうにない」・・・と途方にくれた時、おじいさんは、男の子の手をそっと握り、「だいじょうぶ だいじょうぶ。」とつぶやくのです。
男の子は「だいじょうぶ だいじょうぶ。」というおじいさんのおまじないを、胸にどんどん成長していきます。たくましく、大きくなっていくのです。
自分に自信を持ち、将来を悲観するのではなく、可能性を信じ、夢を持って。
そうして男の子は、誰かを励ます事ができるまでに、成長していくことができました。
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」
というお話です。
読み終え、私は、涙が止まりませんでした。
誰もこのおじいさんのように、私の手を取り、「だいじょうぶ だいじょうぶ。」と言ってくれる人がいなかったのです。
私は、自分がこの小さな男の子のように感じました。
私は、そっと自分の中にいる、怯え小さくなっている心に、「だいじょうぶ だいじょうぶ。」と繰り返し言ってあげました。
まとめ
子どもの発達について、相談される事も多い私。
育てにくい子を育てている親としての、見解を聞かれる事が多いような気がしております。
「大丈夫。」という言葉を、かけて欲しいと思っているお友達に、「大丈夫。」という言葉を掛ける事。
「○○くん・○○ちゃんは(発達を心配する必要はないよ。安心して育てて)大丈夫。」と言う意味で、安易に使うのはやはり抵抗があります。
でも、私は「だいじょうぶ。」という言葉、掛けてあげたいなぁと、思うのです。
励ましとしての“だいじょうぶ”です。
あなたが母親なら、子どもは“だいじょうぶ”。
そして、「私が母親なら、我が子は“だいじょうぶ”。」
そういう風に、自分も考えを巡らせることができれば良いと思っています。
そう思える親に、自分がなっていけばいいのです。
子どもを心配に思い、注意深くみている。そして、子どもが直面した困難に気付いた時には、「我が子にとって、何が必要なのか。」「ベストの環境は何だろうか?」と、時には環境も選択して、いつも支えてあげることができる。
そんな母親がいれば、子どもは“だいじょうぶ”なんです。
子どもの事に関して、母としてゆるぎない自信があれば、ゆったり大らかな気持ちで見守り、必要な時に必要な分の支援を考えていくことができるのです。
先の事を予測し、まだ起こってもいない事に、不安になり、子どもの可能性をつぶす必要はないのです。
我が子が“大丈夫”か気になっているあなたは、親として“だいじょうぶ”でしょうか?
“だいじょうぶ”ならば、“大丈夫”なのです。
お読みいただきありがとうございました。
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」の絵本
hidakaも幼稚園に通い始めてから、愛読しております。
たまに引っ張り出してきて、読んでいるので、「何か不安なことでもあったのかな?」と、サインになったりもしております。
挿絵もやわらかく、すーっと心癒されます。
絵本に出てくるおじいさんのような存在、憧れます。
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