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いつもご訪問いただきありがとうございます!
本日は、発達に偏りを抱えている子を育てている中で、かねてより気になっていた“ワーキングメモリ”についてです。
朝、着替えをしているhidakaに
「パジャマ洗濯かごにいれてねー。あ!ハンカチとティッシュポケットに入れるの忘れないでね!そうそう、今日、学校の図書館の本も返す日だったね?本、ランドセルに入れていく?それともトートバッグに入れる?本持っていくの忘れないようにね!」
hidakaが学校で生き生きと、自分の良さを伸ばすことに集中し過ごせるために、特に“忘れ物をしないこと”や“基本的な生活習慣をきちんと身につける事”を意識して、家庭では接しております。
・・・・
ですが、この“忘れ物をしないこと”、実は私自身が持っている苦手というので、hidakaのペースに合わせるということが難しく、何だか余裕がないような気が・・・・最近しております。
私の頭に浮かんだ“もの”というのは、“結構すぐに消えてしまう”のです。
「あとで言おうかな。」なんて思った日には、その“言いたい事”はふわふわと頭の中から消えてしまい、どこへやら。。。
目の前からいなくなってしまいます。
「いってらっしゃい!」と見送りをしてから、ふぅーと息をしていると・・・・
「・・・ん?何かあったな。。。んー。忘れてる。。。何だっただろうか・・・・モヤモヤする。」
しばらくモヤモヤが続き「・・・・あっ!!!」というように、姿を現します。
そんな感じで手遅れになってしまい、「どうして忘れちゃったんだろう。。。」と自己嫌悪に陥るのです。
何度かそのような失敗を繰り返すと、
「よし。気が付いたことはやっぱりすぐ言わないとだね!」と。
今までの“私のやり方”を思い出すのでした。
さぁ。そんな“思い立ったら今!”というのは、“育てにくい子”の子育てでは通用するのでしょうか?
発達に偏りのある発達障害グレーゾーンの子の子育てでは・・・・このようになってしまいます。
「ひだか!食べたら食器片付けてね!今日先生に渡して欲しいプリント、机にあげておいたからランドセルに入れてね。えんぴつ短くなっていたね。新しいの出しておいたから、削ってふでいれに入れていってね。」
朝食を今食べ終わろうとしているhidakaに、“思い立ったら今!”を実行し、声を掛ける私。
hidakaは、まだ寝ぼけているのか、目も合わなく反応が鈍いです。
家事をこなしながら様子を伺っていると、hidakaはご飯を食べ終え、手を洗いに席を立ちました。
そのまま手を洗うと、机に向かっていき、思いついたかのようにお気に入りの本を手にしました。
何一つとして私が伝えた事に取り組むことなく、ソファにゆったりと腰をおろし、黙々と本の世界に入っていくのでした。
えー!!!?
私の特効薬である“思い立ったら今!”は、hidakaには通用しないようです。
「もう!ママの話し聞いてた?食器下げてねって言ったでしょ?はい、下げてきて!」と急かし、戻ってきたhidakaに「机の上みた?先生に渡して欲しいプリント、大事だから、もうランドセル入れておいてね!」
その姿を確認し、「新しいえんぴつ机にあったでしょ?削って短いのと交換してね!はぁー。」
と、“口うるさく”なるのでした。
でも、私ずっとこれはhidakaの“マイペースな特性”のせいだと思っていたのです。
人のペースに乗る事を拒み、リラックスしているのかと感じておりました。
気が長い私は、特に深く考えず、「繰り返しやっていれば、“ママの言ってることはすぐやらないと”と、習慣になるわよね~。」と空回りする問題に取り組むことなく、いつもの朝を繰り返していました。
そんないつもの朝を迎えていたある日、hidakaが感じていた“もやもや”としたものの答えがみつかったのか、なんとこの空回りする一連の流れの“本当の原因”を教えてもらう事になりました。
hidaka「ママ!そんなにたくさん言われても、ぼくはわからないよ。ぼくには“ひとつずつ”にして。」
と。
私「・・・・・!え?そうだったの?ひだかには“ひとつずつ”なの!?」
よく見ていたつもりの我が子に、日常に紛れ見えなくなっていた本当の彼の苦手を教えられました。
しかも対処法まで。
問題はマイペースさではなく、短期記憶つまり“ワーキングメモリ”の問題だったのです。
ワーキングメモリの低い子 ワーキングメモリは鍛えるべき?本当にやるべき事3つ
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1.ワーキングメモリを知る
▼ワーキングメモリとは?
ワーキングメモリとは、作業や動作に必要な情報を、一時的に記憶し、同時に処理する能力のことをいいます。
ワーキングメモリは私たちの日常には欠かせない能力で、人とコミュニケーションをとる時、本を読んだり文章を書いたりする時、身体を動かしスポーツする時、生活する時、計算などの学習をする時、あらゆる作業や動作をする時に、ワーキングメモリを使い、情報の整理や判断というのを瞬時に行い、作業をしております。
ワーキングメモリは、言語的短期記憶 (音韻ループ)・視空間的短期記憶 (視空間スケッチパッド)の2つの場所で情報を一時的に保持し、中央実行系という場所が中心となり、保持した情報を制御したり、情報処理を行い、活動に生かしております。
言語的短期記憶(音韻ループ)では、音声で表現される情報 、例えば数や単語、文章などを保持し、視空間的短期記憶(視空間スケッチパッド)では、イメージしたもの、絵や画像や映像、位置情報など、言語化できないものを保持します。
中央実行系と言語的短期記憶(音韻ループ)が相互に作用したものを“言語性ワーキングメモリ”、中央実行系と視空間的短期記憶(視空間スケッチパッド)が相互に作用したものを“視空間ワーキングメモリ”と分けて呼んでおります。
▼ワーキングメモリは一般的にはどのくらいの容量があるの?
人が短期記憶できる量の塊を「チャンク」という単位で表します。
一般的には人間が一度にワーキングメモリを使い、短期記憶できる数は、7が基準になっていて、7から+2-2と個人差があります。
ですが、昨今、記憶するものの種類によっても量に変化があり、数字なら約7個、文字なら約6個、単語なら約5個、仕事や勉強日常の処理というものでは約3つが限界ということがわかってきました。
単語を知っているかどうかや、脳の伝達速度、集中の度合いなど、影響する要因がたくさん考えられるため、人間のワーキングメモリや短期記憶のチャンク数を具体的にいくつと定量化することは難しいようです。
若年成人の純粋な短期記憶容量は約4チャンクと言われていて、脳の発達が未熟な子どもはこれよりも少なく、成熟とともに短期記憶容量は増えていくと考えられています。逆に加齢による衰えもあり、高齢者では成人よりも短期記憶容量は減っていくことが知られています。
▼ワーキングメモリをもう少しわかりやすくイメージしたい!
ワーキングメモリはよく“机の上”とイメージされます。
頭の中に机があり、そこに小さな自分が座っている事を想像してください。
言語化できる情報や、視覚イメージ化された情報を机の上に並べ、情報を操作したり思考したり整理をし、本棚という長期記憶に保存したり、ゴミ箱にポイと捨てるイメージで頭の中から削除したり、ワーキングメモリは机の上のようなもので、そこで作業や動作に必要になる情報の処理が行われ、そこから判断されて身体を動かしたり、思考を巡らせたりしております。
この机の上の大きさには個人差があり、大きな机でたくさんの情報を一度に広げる事ができ、座っている人もテキパキと優秀だった場合、あらゆる判断力や理解力、行動力に違いが現れ、“頭の切れる人”という人物が出来上がります。
逆にこの机の上が小さく、限られた情報しかのせる事ができず、情報が多すぎると机にすべて広げる事ができず、こぼれ落ち、注意散漫になったり、的確な判断ができなかったり、思考を多くの事に巡らせる事ができず、判断力に欠けたり、理解力が乏しくなったりという人物が出来上がったりします。さらにひどい時には、情報の多さに軽いパニック状態に陥り、忙しくなると落ち着かなく興奮し、いつもできることができなくなりミスをするという“おっちょこちょい”な人というのも、ワーキングメモリの容量の小ささというのが原因のひとつとして考えられます。
机の大きさだけではなく、その机に座る人が優秀かどうかも人物像に影響があります。
机に座る人しだいで、たくさんの情報を並べる事ができたとしても判断力に欠けたり、理解力に乏しくなったり、行動力にも影響があります。
逆に机が小さくても、その机に座る人が優秀であれば、てきぱきと作業を進め、頭はすっきりと滞りなく様々な事に思いを巡らせ、多くの事を理解していくことは可能です。
・・・・
この机の大きさ。自分はどうなのか?とイメージすると、私の机はどう考えても小さそうです。
人よりも同時にこなせることが少なく、多くの事を一度にこなそうとしても、机が小さいので忙しく処理しないといけないのか疲労感で押しつぶされそうになります。
これは、以前記事にした“シングルフォーカス”という部分とも繋がってくる事なのかもしれませんが、情報が過多になると、ポロポロと掴み取る事ができず、もやもやと形をなくしていって、その掴み切れない何かを感じるのか、とても落ち着きません。
そんな時、私の小さな机に座っている情報処理担当者は、長年の経験から情報をなくしてしまうくらいなら、長期記憶を利用する事に決めたようです。
それで、あとで「何かあったな・・・」と考えていると、本棚の奥から取り出す事ができ、“思い出す”という風になっているのでしょう。
それなら“言いたい事”を“思い立ったときに”すぐ言わないと、容易に取り出す事ができなくなってしまうのも納得です。
このように、人それぞれワーキングメモリの大きさには個人差があり、自分が一番パフォーマンスが高くなる情報の量というのも決まっているのかもしれません。
大人は何となく経験からこの自分のワーキングメモリの容量を感じ、“私はこのくらいがいいんだよね”というように、情報を制御したり、“物忘れ”や“うっかりミス”を防ごうと工夫をして、無意識に環境を整え、調整しているのかもしれません。
(→シングルフォーカスを生かす!たった4つの方法で発達障害グレーゾーンの子を生き生きと活躍できる子に育てる!)
2.何が苦手なの?本当の苦手な部分を知る
発達障害とこのワーキングメモリの弱さというのは、密接に関係があると考えられているようです。
特にADHD(注意欠陥・多動性障害)・LD(学習障害)では、不注意な行動や忘れ物の多さ、今目の前にある数字や文字から得られる情報を正しく記憶できないというように、情報を一時的に記憶したり整理することが苦手なことが要因で、そのような困難を抱えてしまっているのではないかと考えられています。
記憶の削除が苦手な場合も、発達障害児によくある気持ちの切り替えや場面の切り替えの難しさという困難に影響があるように感じます。短期記憶の削除が苦手だと、新しい情報を取り入れにくく、行動の切り替えやキャッチボールのように円滑に会話をやりとりすることが難しくなります。
では、ワーキングメモリに苦手を抱えている子どもというのは、一様にワーキングメモリの4つの機能すべてに問題があるのでしょうか?
すべてに問題がある場合もあるかもしれませんが、発達障害グレーゾーンの子・発達に心配がある子・育てにくい子という発達障害の診断が降りていません。
つまり社会には適応しているのです。
そのような子の場合には、ワーキングメモリの4つの機能のうち、ひとつやふたつに発達の遅れや苦手を抱えている子が多いようです。
その子の日常を楽にしてあげたいのであれば、発達の遅れがあったり苦手を抱えているワーキングメモリの機能を知り、機能しているワーキングメモリに働きかけてあげるのが有効です。
ワーキングメモリには上に挙げたように、言語的短期記憶 (音韻ループ)・視空間的短期記憶 (視空間スケッチパッド)という2つの情報を保持する部分があります。
それぞれの機能に苦手があるかどうか知る必要があります。
言語的短期記憶 (音韻ループ)が苦手だった場合は、親や先生の指示をすぐに忘れたり、国語の読みのミスが多くなったりします。他には九九というように声に出しながら覚えていくようなものがなかなか覚えられなかったり、英語などの外国語という耳慣れない言葉を真似して繰り返すことが苦手だったりします。
視空間的短期記憶 (視空間スケッチパッド)が苦手だった場合は、黒板の文字をノートに書き写すのに、何度も何度も見ては書きという風に遅くなってしまったり、時計で時間をみて何時何分というのを導き出すのに時間がかかったり、算数では三角形や四角形というような形をみて性質を学ぶようなものが理解しにくいという形で現れます。絵や模様などを描き写すことが苦手で、写生やスケッチというものも苦手になります。
そしてワーキングメモリの中心的な機関である“中央実行系”の機能が上手く働いているかのチェックも必要です。
中央実行系と言語的短期記憶(音韻ループ)が相互に作用したものを“言語性ワーキングメモリ”、中央実行系と視空間的短期記憶(視空間スケッチパッド)が相互に作用したものを“視空間ワーキングメモリ”と呼ぶのですが、
言語性ワーキングメモリの機能が上手く働いていない場合、話し合いというものが苦手で、ポンポンと言葉を交わしながら話を広げていく事が苦手で、話についていけなかったりします。作文や日記というものも難しく、考えを巡らせながら書くというのが苦手です。国語や算数では、特に読解問題や文章問題ににつまずく姿が目立ちます。
視空間ワーキングメモリの機能が上手く働いていない場合はどうでしょうか?ラジオ体操やダンス等の一連の動作を何度見てもなかなか覚えられない、人よりも苦手というのが、視空間ワーキングメモリが上手く働いていない時に起きる事です。道をなかなか覚えられなかったり、地図が読めないというのも、視空間ワーキングメモリの弱さが考えられます。図形の展開図というのをイメージしにくいのもこれにあたります。目で見た物を頭の中で動かしたり、記憶したりすることが難しいのです。
ワーキングメモリのどの部分が苦手なのでしょうか?どの部分はちゃんと機能しているのでしょうか?
ただただやみくもにワーキングメモリを鍛える為に、機能していないところに繰り返し働き掛けるというのでは、道具がないのに、道具がある人と同じように作業できるように鍛えている事と同じ事なのです。
3.重要なのはその子の“方略”を考える事
ワーキングメモリ知りました。我が子が苦手としているワーキングメモリの機能を知りました。
次にするべきことは、その子ならではの“方略”つまり“やり方”“その子のパターン”を考えることにあります。
これが“教育”です。
生きやすいように学習しやすいように導いてあげることなんです。
これが苦手を抱えている子の“支援”になります。
生活の方略、学習の方略、人付き合いの方略、“自分を知り自分を生かす”のです。
発達に偏りがあり、苦手が大きい未熟な子どもに、これを自分で経験し、学習し、自ら自然と身につけさせることはとても難しいです。
もちろん多くの定型の発達の子に有効な“方略”という、一般的な接し方で十分なはずはないのです。
発達障害グレーゾーンの子・発達に心配のある子・育てにくい子には、必要な“支援”があります。
かつて幼い私が、自分の苦手を知り、“思い立ったらすぐ!”という自分のパターンを造り出したように、hidakaにも“彼のパターン”を造り出してあげられれば、ワーキングメモリに苦手があったとしても社会で活躍していくことはできるのです。
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▼hidakaの場合
hidakaは、言語的短期記憶 (音韻ループ)・視空間的短期記憶 (視空間スケッチパッド)・言語性ワーキングメモリ・視空間ワーキングメモリの4つの機能の中で、言語性ワーキングメモリに苦手を抱えているようです。
hidakaとの会話というのは、こちらから発信したもので長く続くことは・・・・なかなか難しく、ポンポンと続かない会話に話しているこっちも辛くなり、あまり長い会話を頑張ることはありません。
一問一答はいけると感じるのですが、私が話した事を踏まえ、話しを広げるということがないからです。
彼は多くの事を話すと、私の言葉をしっかりと掴んでいる手応えがないのです。それなのに、話しは広がらないのです。
お友達との会話でも、その苦手は表れているように感じます。なんせ共通の話題で話しが広がりを見せ、盛り上がるということからからは無縁な感じがします。年齢的な事もあるかもしれませんが、周囲はそのhidakaの苦手を今のところ“hidakaくんはこういう子”というので受け入れてくれ、別な魅力を感じお付き合いしてくれていますが、その部分での苦手は傍で見ていて他の子よりも際立っているように感じております。
作文や日記というものは、書かせてみると意外に書けたりします。オリジナルで独創的な文章を書いたりはありませんが、出来事や楽しかった事や嬉しかった事というのを書くというパターンを知れば、文字を書くことが大好きなので、さらさら型にはまったような文章を書いたりします。
スマイルゼミで国語の読解問題や算数の文章問題を解いたりする機会を作っているのですが、漢字の暗記や計算問題の飛び抜けた能力に比べると・・・・「ひだか、読解力ないよね~」と夫婦で噂をしてしまうくらい、苦手と言えるのではないかと感じます。
「ママ!教えて~」と、些細なところでつまづき、イメージできず助けを呼びます。
hidakaは言語化できる情報を保持し、操作することが苦手なのです。
私は彼の苦手な部分を知り、それを踏まえて“hidakaの方略”を考えました。
hidakaには、視覚に訴える事が大切です。
絵や文字にするだけでなく、多くの経験を映像として残していく事も必要です。
それが、言語化できる情報をできるだけイメージに直し、その言葉を聞いただけで、視空間スケッチパッドに映像として出てくるようにする事が目標です。
そうすれば、上手く機能している視空間ワーキングメモリに働きかける事ができ、情報を操作したり、思考を巡らせていく事が素早くできるのです。
また言語性短期記憶(音韻ループ)に苦手を抱えていないという事に気が付く事も大切でした。
言語化できる情報を保持することはできるのです。でも、その情報をそのまま言語性ワーキングメモリで操作することが難しいのです。
たくさんの事に一度に思いを巡らせたりすることが苦手なのも、この言語性ワーキングメモリの容量不足によるものなのかもしれません。
機能が全くないという訳ではないので、視覚に訴える事やイメージで苦手を補足できるようにする事、習慣化してワーキングメモリに負担を掛けない事、メモや長期記憶への移行をスムーズにできるようにしていくことでも、負担は軽くできるかもしれません。
このような“方略”を考えながら、私自身のワーキングメモリはどうなのかな?ということを考えておりました。
そうすると、“hidakaの苦手”は私にも通じるところがあり、私の“方略”というのも、なかなか参考になるものでした。
身近に同じような例があったのです。
多くの事を器用にこなすことはできません。でも、自分の力量を知り、自分を生かせば、夢を叶えていくことはできるのです。
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まとめ
見えないところでも苦手を抱えています。
周囲の子ども達と同じように見え、同じような事をこなし、同じように成長しているように感じております。
そう見えているのです。
でも、hidakaは私たちが“社会性”を求めるようになってからずっと、自分の苦手を感じ、ずっと“どうしていけばよいのか”をひとり探り、考えてきたんだと思います。
「ママ、そんなにたくさん言われても、ぼくはわからないよ。ぼくには“ひとつずつ”にして。」
hidakaに自分で自分の苦手を感じ、その“こうして欲しい”を口にされたのは、これが初めてでした。
私がかつて自分の苦手に気が付き、“思い立ったら今!”という対処法を編み出したように、hidakaもまた自分の苦手を感じ、どうすれば良いのか・・・ということに、自分で思いを巡らせていく事ができていることを感じました。
でも、それには“自分は自分らしくでいい”という揺るがない自己肯定感と、“自分の可能性を信じる”自信が必要なのです。
そんなhidakaの成長を感じ、頼もしく感じるのでした。
器用ではありません。
ワーキングメモリに関しては、言語性ワーキングメモリが人よりも容量が小さく、少ない領域で賄っていかなくてはならず、苦労することもあるでしょう。
でも、りっぱな視空間性ワーキングメモリと欠けることない言語性短期記憶(音韻ループ)と視空間的短期記憶 (視空間スケッチパッド)を持っております。
自分を知り、自分の持っているものを生かすことで、多くの可能性を伸ばしていくことはできるのです。
人を羨ましく思う事、あります。
持っていないものを持っている事、出来ないものが出来る事、手に入れられないものを手に入れられる事、本当に羨ましく、妬ましく感じてしまう事、誰しもあるのではないでしょうか?
でも、それでは“自分の人生を生きる”ことはできないのです。
人を羨まず、自分を知り、自分を生かす事、その事に“楽しさ”を見出す事が、“自分の人生を生きる”ことです。
hidakaが自分というハードを使いこなし、生き生きと自分の人生を“楽しみ”、可能性を広げていってくれればと感じております。
まずは、親として、私が“自分の人生を生きる”ということを、傍で見せていければいいなぁと感じるのでした。
お読みいただきありがとうございました。
hidakaのワーキングメモリの苦手。
学習にも影響があるように感じております。
たくさんの事をイメージできるようになるように、絵本にたくさん触れさせております。
学校の学習の対策としては、スマイルゼミのタブレット学習を使っております。
タブレット学習は視覚に訴えるものが多く、hidakaはとても気に入っております。
国語の読解問題や算数の文章問題も、初めは「何の事言ってるのかわからない。。。」と不安げでしたが、イメージが膨らむような声掛けを繰り返していると、文字から映像が広がる練習になっているように感じます。
似たような問題であれば、一度イメージできると、スラスラと解いていきます。
経験が後の力になります。
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