「何の障害があるんだろう?」言葉の遅れにより療育センターを勧められ通う中で陥る負のスパイラル 療育センターの役割とは?

Pocket

ご訪問いただきありがとうございます。

3歳児健診で、言葉の遅れを指摘され、児童精神科を紹介された私たち。

「ひだかは自閉症なのかもしれない。」とネットの情報から推測し、診断を覚悟したあの日。

児童精神科の先生は、発達検査の結果を診て「言葉の発達が遅れています。よかったら、療育に通いませんか?」と“自閉症”という言葉を使う事なく、勧めてくれました。

「自閉症ではなかったんだ。」と安心した私たち。

でも、hidakaをどのように育てていけばいいのか、全然見えませんでした。

そんな私たちにとって療育とは、最初は“hidakaの言葉の発達をサポートしてくれる場”という認識でした。

「ぜひ!通います!」と二つ返事で通う事にし、hidakaの言葉の発達への期待が高まったことを覚えております。

 

・・・でも、言葉の発達を訓練するのが療育と思っていたのですが、hidakaは毎回心理の先生と遊んでおります。あれ?テーブルに座って、絵カードなどを使って、言葉の訓練をするのでは??「いつから訓練するのかな?」と。

しばらく療育に通ったある日、思ったのです。

「ひだかは自閉症ではないと思っていたけれど、療育は言葉の発達を訓練するところではないんだな。言葉の遅れというのは表面化してきたものであって、その根底には何かが潜んでいて、普通の関わりでは育たない。だから、療育に通っているんだ。療育とはそういうものだ。」というのを感じました。ということは・・・何か生まれながらに持った発達する事のない障害が潜んでいるからなのかもしれない・・・

「その障害は何なのか。いつ頃になったらわかるのか。」ということに、思いを馳せるようになりました。

 

「何の障害があるんだろう?」言葉の遅れにより療育センターを勧められ通う中で陥る負のスパイラル 療育センターの役割とは?

 

スポンサーリンク

療育センターとは?

“療育”とは、発達障害や自閉症・肢体不自由など障害を持つ子どもが、社会的に自立できるように行われる医療や教育・保育のことを指します。療育センターとは療育を行う場所です。

その規模は様々ですが、現在では、発達障害や自閉症を診療できる病院と、療育センターが併設されているところが多くなってきています。発達障害や自閉症だけではなく、肢体不自由な障害を持つ子どもの診療部門と、リハビリテーション部門を持つ大きな総合療育センターもあります。病院が併設されていると、診療部で診察してから、その診断結果をもとに療育内容を考え、はじめていくという流れです。

療育センターに通っているのはどんな子?

障害がハッキリわかり診断名が出ている子だけではありません。滑舌のわるい子・発達遅延気味の子・発達障害グレーゾーンの子・育てにくい子・発達に凸凹があり心配のある子など、診断名がなくても、療育センターに通う事はできます。

その時必要になるのが、障害児通所支援受給者証です。

障害児通所支援受給者証とは 障害児通所支援受給者証を取得してみて思うところ

また、療育センターによってもその雰囲気はまちまちで、診断名が出ているなど、どちらかというと重度な子が中心な規模の大きな療育センターや、規模が小さく、グレーゾーンの子を多く扱っている療育センター、身体的な発達の遅れの子を多く扱っている療育施設など、療育センターの数も増えてきていますが、それぞれ強みも違うようです。

療育の種類

▼TEACCH・ティーチ

視覚的な効果を活用して、時間、空間、手順を区切って、障害児が理解しやすくする療育方法。時間や空間、手順を区切り、構造化することにより、過ごしやすくします。

▼ABA・応用行動分析

その子の行動を観察して、いい行動を増やし、悪い行動を減らしていく療育方法。
いい行動ができたときは、褒めたり、ご褒美をあげたりして、そのいい行動が定着するように促します。

▼感覚統合療法

感覚が偏った子どもに、遊びや運動で刺激を与え、いろいろ感覚を正しく働かせるように促す療育方法。日常生活に適応させていきます。

▼PECS

絵カード交換式コミュニケーションシステムといい、言葉や会話が苦手な子どもに、絵カードを使ってコミュニケーションを自発的に促す療育方法。

療育の“言葉の発達”へのアプローチ

その子と周りの人たちのコミュニケーションを取りやすくするという視点で、ことばの育ちをサポートします。そして、1人1人の子について、ことばの遅れのみではなく、身体・運動面の発達、対人的コミュニケーション能力の発達について、専門家たちが総合的に判断し、個別の支援プログラムを立て、連携してサポートしていくということをしてくれます。

○声をかけながらのふれ合い遊び、身体を使った遊びで、楽しいという気持ちや周囲への関心を引き出す

○手遊びなどの楽しさを伝え、“まね”をする経験を多く持たせる

○ボールの転がし合いなど、“やりとり”をする遊びの楽しさを伝える

“始めと終わり”を知らせる遊びを取り入れる

子どもが理解しやすい表現、タイミングでの声がけ

○「ボール」(名詞)→「あかい ボール」(形容詞+名詞)→「あかい ボール とぶ」(形容詞+名詞+動詞)というように、ことばを広げていく

○ままごとなどのごっこ遊びで、想像力に働きかけ、コミュニケーションの場を提供する

○決まった場所におもちゃを片付けるなど、生活上の習慣やルールとことばを結び付ける

療育を運営している人たち

療育センターは医師、保育士、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、言語療法士、臨床心理士、児童指導員、介護福祉士など専門家の指示をもとに、お子さんの状況に合わせたリハビリを考えていきます。

hidakaが通っていた療育センターでは、集団の療育では、臨床心理士、児童指導員の方が毎回の実施してくれました。医師も療育の最中の子どもたちも観に、教室に入ってくる事もありました。

言葉の遅れが気になり療育を活用するときの心構え

言葉の遅れが気になるのは何歳頃でしょうか?

1歳半健診で指摘され、2歳になっても言葉が増えなかった。2歳様子見していて3歳児健診で、児童精神科を紹介された。言葉の遅れが気になり、療育を利用するという場合は、早くて2歳過ぎたころから3歳になる前後が多いようです。

“言葉の遅れが気になり”療育に通う場合は、“発達障害の疑い”で療育に通うのとは、少し違う心構えが必要なのではないかと思うのです。

言葉の遅れが発達障害の傾向からきていることも少なからずあるのですが、発達障害への道に続いているとは限らないからです。

言葉遅れが目立つ子は間違いなく、“育てにくい子”に分類されます。

“育てにくい子”は親の手だけで育てるのはとても大変です。

進んで“親以外の人の手を借り”、子どもの育ちにくさをサポートする必要があります。その為に、療育を利用するのです。

そして、言葉の遅れだけではなく、身体・運動面の発達、対人的コミュニケーション能力の発達について、専門の人に総合的に全体を見てもらう機会を持つ、という意識で療育に参加しましょう。

療育を通うということは、障害があるという事の前に、楽しく暮らしていけるように専門家の知恵を借りるという行為なのです。

 

まとめ

いろいろなタイプの子がいます。

その子の個性が日常生活で困難を感じさせる可能性が出てきた時に、必要になるのが療育なのです。

その子に合った療育の方法を見つけ、教えてくれる場所が療育センターです。

言葉の遅れというのは、聴覚や口のどの器官の問題でなければ、脳の発達の遅れか障害のどちらかになります。発達の遅れであれば、発達を促す働きかけを。障害なのであれば、その障害を補う別の方法を考えていくという働きかけをするのが療育というものなのです。

そのどちらであるのかということはもちろんですが、その発達障害の傾向を補い切れるのかというのも、発達障害グレーゾーンの子や発達遅延気味の子は、月日をかけて診ていくということが必要なんです。

誰にも、発達障害グレーゾーンの子や発達遅延気味な子がどの領域まで育っていくのか、確実な予想をすることはできないのです。

 

・・・療育に通って半年くらい経った頃、幼稚園の入園を前に、面談や相談の場で、hidakaの現状をどのように伝えていったらよいのか見えなくなっている時期がありました。

なぜかというと、「何の障害の可能性があって療育に通っているのか」わからなかったからです。

信頼している心理の先生に、その事を相談をしてみると「診断を受けた方がいいのかもしれませんね。」と言われたことがありました。

心理の先生が「hidakaは診断名がつくレベルだ!」と思って、そう言ったのか、「お母さんがハッキリした答えを求めている。今こそ診断の機会なのではないか?」と思ったのかはわかりません。

でも、その「診断受けた方がいいのでは?」というアドバイスを聞いて、私は戸惑いました。

「今の幼稚園という小さな社会に出ていない段階で、診断を受ける事によって、そこから受ける私の心理的な影響がとても大きすぎるのではないかと思うんです。療育に通うという事実でさえ、もう一般の幼稚園には通えないと思い、特別な支援がある幼稚園の情報を探したりしました。でも、一般の幼稚園のプレに“ダメだったら止めればいいじゃない”というママ友達の意見を受け、参加させるなかで、hidakaの成長はこの1年間伸びたと感じました。診断は幼稚園に入って、その適応能力をみてからでも遅くはないのではないかと思うんです。そのくらい、親にとって診断名とは重いんです。」と。

受身の私にしては、はじめて自分主導で決断しました。

そうすると、ベテランの心理の先生は3児のママでもあったのですが。「私も児童臨床心理士という職業ではなく、ひとりの母親として考えると、kanoさんと同じようにすると思います。」と、ひとりの子を思うお母さんとしての意見を言ってくれ、“診断は必要になってから”という私の決断に賛同してもらいました。

結果。hidakaは幼稚園に適応し、診断名を必要としなかったのです。

あのとき、診断を必要として、診断名をつけてもらわなくて私はよかったと思っております。

診断名を必要としていたのは、先の状況が見えないことに耐え切れず、ハッキリさせたい私であって、hidakaではなかったのです。

 

ハッキリした診断名や傾向がわからず、言葉の遅れなど、療育を受けると伸びるであろう困難があり、療育に通うとなったとき、もしかすると、「何の為に療育に通っているんだろう。行く価値はあるのだろうか。成果はあるのだろうか?」と目的が見えなくなり、「障害があるのかもしれない」と療育に通うということを理由付けしたくなる日がくるかもしれません。

でも、それは本当に我が子の現状をみつめたものなのでしょうか?

将来像に心奪われていくという負のスパイラルに陥ることがあるかもしれません。

療育は利用するのです。活用するのです。よく目的を感じてください。よく我が子を見てください。決してその専門機関という波に呑まれ流されて翻弄されてはいけないのです。

 

療育を利用するなかで、私が感じた事です。同じようなタイプの子を持ち、療育を利用しようと思った方の参考になれば幸いです。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

Pocket

スポンサーリンク


スポンサーリンク


Difficult children 人気記事