言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳1カ月 気になる行動

hidaka 3歳|2016/04/26 posted.
Pocket

最近お友達の二人目の子の発達が気になります。

 

何にも知らなかったあの頃とは違うんですね。冷静にみてしまいます。

もしかすると、心のどこかで“ふたり目”欲しいと思っているのかな・・・

手が離れ、平穏な暮らしを楽しみつつ、少し3人家族という寂しさもあるのでしょうか。

 

言葉の遅れが目立ったhidakaももう5歳 お友達の二人目の子もふたつ差であればそろそろ2歳後半。

hidakaのこの頃はどんな感じだったのかな・・・

 

こんなに話さなかったな。こんなにコミュニケーションとれなかったな。

トイレトレーニングは始めていたな。hidakaはオムツがとれたのは早かったな。

言葉の遅れが気になっている子はなかなか近いものがあるかも。よく笑ったけれど、幼く、だからこそ可愛かったのかもなぁ。

この子は目が合いにくいなぁ・・・こんな感じだったのかな・・・

 

ほんとに勝手なんですが、hidakaのあの頃と比較してしまっている!!!

 

ただただ可愛いだけではなく、その子それぞれの色がでてくるのもこの頃なのではないでしょうか?

そして言葉の遅れが目立ってくるのもこの頃・・・気になる行動に頭を悩ませるのもこの頃。

冷静にみれる反面、この次の頃の不安感を思い出し、怖くなることもあります。

 

もう一度同じことができるか? 本当に一点の曇りもなくもう一度見守り導くことができるか?

どうしても二人目を考えることが今はできません。

そんな気持ちの整理もしたくてこのブログに想いを綴り、奮闘しているママを応援しているのかもしれません。

 

hidaka3歳1か月の気になった行動

▼お店の床で横たわる

興味の範囲が広がり、お店の中で自分の興味で行動するように。私とふたりのときは割とhidakaに合わせながら行動するのでパニックになることなく買い物は行ける。

私と旦那さんとhidaka3人でお店に行くと、私の行動に旦那さんが抱きかかえたりしてhidakaを合わせようとするので、そのたびに仰向けになりこんにゃくみたいに力を抜き、無表情で抵抗する。これが周りの目も気になるしなかなか大変。もう重たいし、持ち上げようものなら泣きわめく。

▼TVへの執着がすごい

家ではTVを見せなくなっていたのですが、お店でよく宣伝なんかを流しているミニTVがあるといつまででも動かない。食い入るようにみて話しかけても聞こえてない様子。

▼私への執着がすごい

試着室に入るだけで、泣きわめき探す。カーテン一枚だけれど、カーテンの中にいるということがイメージできない。私のトイレも一緒にいかないと不安で泣きわめく。

▼宇宙語が多い

興奮すると増える。嬉しいとき。公園で会った知らないママさんに宇宙語で話しかける。

▼数字・ひらがなへの執着がすごい

みつけると必ず言う。絶対に言う。話しかけられる大半が数字や文字のこと・・・車のナンバーを覚えたりする。車のナンバーのひらがなを言いながら公園まで向かう。

▼食事中目が合いにくい

以前からだけれども「おいしいねー」や「これ何かな?」などあらゆる言葉に無反応

▼お友達に「おはよー」や「ばいばい」できない

その仕組みがよくわからないようす。会ったときは他に意識を取られ、帰りはただただ黙って見えなくなるのをみる。促してもあまり響いている感じがしない。

▼子どもがいっぱいのところが苦手

公園に子どもがいっぱいになると人がいない方に逃げる。プレ幼稚園でみんなで集まって何かしましょうの時間になるとその場にいられず、人のいないところでマイペースに過ごしたがる

▼対話が難しい

対話しようとすると、目を合わせたりそらしたり落ち着きなくなり、ソワソワしながらジャンプしたり動き回る。好きな食べ物を聞くと名前を言う練習をしていたせいか「ヒダカ」と答える。

▼集中力がすごい

集中すると一切声を発しない。集中しやすい。絵本を一緒に楽しめないときもある。ひとり絵本の世界に入り、話しかけても反応がない。

▼模倣が苦手

プレで先生の踊りをマネしない。母親が踊ったりするのを嫌がり「だめー!!」と制止する。

▼まわりがみえていない

児童館などでかたづけの時間になってもみんなと一緒にかたづけできず、ひとりで遊び続ける。促してもまわりが見えていないようす。

 

全般的に言えるのは、社会性が育っていないんです。

1歳半の子と同じような認識しかなく、体は大きいし3歳なんですが、1歳半のまだ赤ちゃんなんです。

赤ちゃんに他の3歳の子と同じようにふるまうことを強要する親がどこにいるでしょうか?

そんなことを強要して、できないことを“あなたはできない子”とすることに何の意味があるのでしょうか。

この頃のわたしは甘やかしている親にみられても構わないと覚悟しました。

 

1歳半の子に接するように我が子に接していました。

丁寧にまわりの状況を伝え、今何をすべきか根気よく優しく教えました。

できなくてもいいんです。無理にやらせることはありません。様子を見ながらタイミングをみて声を掛けます。耳を貸すようになってきたら少し手を取ったり、身体を正しい方向に持っていきます。でもこの頃のhidakaはまだ好きにやりたい感が強く、手を取ったり、身体を持っていくにはまだ早い感じがしました。

あのお母さんは子どもに甘い。やるべきことができていなくてもいいとしている。

そう思われてもしょうがないような状況だったと思います。家の子には怒ってでもやらせているのにルールを守れないならその場にこなきゃいいのに・・・と思われてもしかたがないかなとも思いました。

周囲の目は優しく見守ってくれる人もいれば、“甘い親”とみる厳しい人もいます。

でも、逃げるわけにはいきません。そういうルールがある場でルールを人一倍感じる機会に触れさせ、私が丁寧に教える。それが私にできること。私の手から離れいっぱいの子の中に入って“できない子”になる前に一対一で出来るだけ感じることができるようになるように。そう思い、強い心で児童館やプレ幼稚園に通っていました。

私が悪く言われることはしょうがない。この子が傷つくことがないように守りたい。

怒ってやらせることもできました。正直怒らないでhidakaに合わせることは大変で児童館やプレ幼稚園でニコニコ頑張り、家に帰り泣いたこともありました。

でも恐怖でやるべきことをやらせて何になるでしょうか?

本当の意味でやるべきことを理解することはできるのでしょうか?

怒る人がいなかったらできない子になってほしくない。

誰がこの子の事をわかってあげられず、“できない子”にしてしまうんでしょうか?

“できない”のではないのです。“まだわからない”なのです。

“まだわからない”子には教えてあげるんです。それが育てるということなのではないのかと思います。

 

理解してやらない子には時には厳しく接することも必要だと思います。でも怒ってやらせる前に、本当に理解しているのでしょうか?

今一度考えていただければと思います。

今でも「kanoさんは怒ったりしないでしょ?イメージつかない!」とママ友達に言われたりします。決してそれがいいね!という意味ではないことは感じています。

でも、いいんです。hidakaにはいいんです。

身体は大きくても、社会性はゆっくり成長しているんです。その年齢に合わせて接しているから実年齢の子と同じことができなくても怒らなくていいんです。「そんなことないよー怒る時もあるよ」と返しながら、怒るよりも育てることを私はしているんだと心で思い、甘い親と思われている寂しい気持ちを慰めたりすることもあります。

成長がゆっくりな子は少し丁寧に接するだけで、するすると竹のようにまっすぐのびていくのではないでしょうか?

今のhidakaをみているとそんなことを思ったりしています。

 

お読みいただきありがとうございます。

Pocket

スポンサーリンク


スポンサーリンク


Difficult children 人気記事