久しぶりの更新になってしまいました。 今年の夏休みはhidakaの為にわたしのすべての時間を使おうと思っており […]
久しぶりの更新になってしまいました。
今年の夏休みはhidakaの為にわたしのすべての時間を使おうと思っておりました。幼稚園で日々多くの刺激を受け成長してきたhidaka。最近は自分に自信をつけて自分のことを「おれ」と呼び、「泳げるようになりたい!」や「○○してみたい!」と新しい事に意欲的です。
もう少しかもしれない・・・
ありのままのあなたでいいんだよ。そのままのあなたが大好き。としてきましたが、ゆっくり発達していることをそのままでいいと思っている訳ではないのです。
就学前に追いつくことを目標に焦らず接してきました。
5歳の夏休み、hidakaの成長を後押しできるのは私だけです。
夏休みは来週まで続きますが、今日は少し時間が出来たので思いを綴ろうと思っております。
グレーは白にはならないのでしょうか?療育は習い事のようなものなんですか!?心理士と親の間にある温度差の本当の原因
先日、児童精神科の先生に勧められ発達検査を受けてきました。
新版K式検査と言われるもので[姿勢-運動][認知-適応][言語-社会]の3分野で発達を評価する検査です。平均を100とした発達指数で算出され、その数字に基づき発達年齢を割り出します。3分野の数字をまとめその子の発達年齢を全領域で出します。
その検査が終わった時に、検査をしてくれた心理の先生からお話がありました。
「hidakaくん、運動の方の療育は考えていませんか?」
とてもビックリしたんです。認知や適応、言語社会性の発達の心配はしていましたが、姿勢はともかく運動の心配は全くしていなかったからです。
話しをよく聞いてみると、どうやら新版K式検査の最後の項目に片足立ちして“けんけん”をするという内容があったのです。
私はその場にはいなかったのですが、させてみると確かにふらふら。
できないわけではないのですが、おっとっとというように安定した“けんけん”とは言えませんでした。
・・・え?これは障害になるレベルなんですか?・・・とは聞きませんでした。
そうではないことが目に見えてわかっているからです。
走りが遅かったり走り方が変だということもないし、遊具で遊びづらそうにしたりすることもないです。三輪車も自転車も年相応にできます。自転車は補助輪もはずしているくらいなので、バランス感覚が悪いという事もなさそうです。幼稚園でも特別な対応をしてもらうこともないし、家でも運動面で困っていることはありません。
確かに姿勢が崩れやすかったり、踊りがすごく上手というわけではありませんが、幼稚園で特別目立って困っている訳ではないんですが・・・
とお話したのですが、
「身体の使い方がもしかすると苦手なのかもしれません。まず専門の先生の検査を受けてみませんか?」と言われました。
・・・
「主人と病院の先生に相談してみます。アドバイスありがとうございます。」
何とも言えないモヤモヤした気持ちになりました。
療育と言うのは習い事のように勧めていいものなのでしょうか?
確かに療育に通えば丁寧に身体の使い方を専門の人に教えてもらう事ができてhidakaにとって悪いものではないと思います。心理の先生も療育の内容に自信があり、少し専門の人が関われば運動の能力も伸びるという見解があったに違いないと思います。
でも同時にいつまでたっても白になれないんです。
ずっと気にかけていた認知や適応、言語社会性の発達が追いついてきたなぁと感じていたら、次は運動面の発達が心配ですよ!と旗をあげられる。
一度その世界に足を踏み入れるともう離してもらえないのかといつになく面白くない思いでいっぱいになったのです。
わかっているんです。親である自分が決める事なんだと。
その心理の先生は臨床発達心理士というお仕事をされているだけなんです。専門知識や技術をもって親子だから気付きにくいものを感じとってhidakaにとって何がいいのかを考えてくれているのです。
でもその考えは育児とは違うものなんです。
hidakaという子どもにとって何が今を充実させて将来の為にいいのかは親である自分が感じとって決めていくのです。
その考えを自分の責任で選択していかなければならないのです。
親子だから気が付けなかったhidakaの運動能力の鈍さ。気がつかせてもらいました。
それから思い直し、私が出来る事と思い短期のスイミングと毎日片足立ちでどっちが長く立っていられるかというのをゲーム感覚で楽しく練習し、昔ながらの“けんけんぱ”を道路に○を描いて代わる代わるやってみたりしてみました。
夏休みの終わりにはぐっと逞しく“けんけん”できるようになってきました。
児童精神科の先生に新版K式検査の結果をフィードバッグしてもらったのですが、[姿勢・運動]の分野は心配しなくていいと言われました。
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まとめ
臨床発達心理士と親の間で起こる気持ちの温度差。たまに耳にしたりします。実際自分も憤りを感じてしまいました。
でも本来の役割が違うんです。視点が違うんです。
臨床発達心理士はその子の発達という部分に視点を持って考えてくれます。私たち親はその子の将来を視点に考えています。
それが感じる気持ちの温度差の原因です。
意見が合わない事もあるでしょう。でもそれぞれ間違っていないんです。私たち親は専門家である臨床発達心理士さんの意見にも耳を傾けて、我が子に合った最良の選択をしていけばいいだけなんです。
臨床発達心理士さんの意見だけではその子の今の充実や将来を見据えた時に訓練という形が過剰なこともあると思います。
法律の改正によりこれからどんどん臨床発達心理士の活躍の場が増えていくことと思います。
発達の遅れを早期発見・早期療育の流れは今よりももっと広まっていくことと思います。
臨床発達心理士はまだまだ人手不足と言われておりますので、これから若い人がどんどん取得し発達に心配のある子を持つ親と接していくことでしょう。
臨床心理士もお医者さんや教師と一緒で「人が人に直接かかわり、そのかかわる人に影響を与える専門家」です。
でも医師や教師と違って発達に心配のある子どもやその親、家族にある多種多様な価値観を尊重し、その子どもの自己実現をお手伝いしてくれる専門家であるということを忘れないでいただければと思っております。
発達に心配のある子が心配がなくなることを目指し、子どもの今と将来を充実したものにしていくことこそが一番大切なことなのではないかと思ったりしております。
お読みいただきありがとうございました。
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