言葉の遅れ hidaka発達記録 4歳1カ月遊び~男らしさの芽生え~
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今日も洗濯をグワングワン回し、掃除機をくるくる、hidakaの習い事の準備に、細々と行き場を見失い散らかされた物たちをあるべき場所に収め、習い事から帰ったらすぐに夕飯と出来るよう下準備を終え、「ふぅー」と一息つき、コーヒーを淹れました。
かぐわしい香りの中で、パソコンに向かっております。
ふと、hidakaの机の上を見てみると、昨晩慌ただしく寝る準備を進め、ベッドに入る前に没頭していた“テスト”が数枚散らばっておりました。
“テスト”・・・・?
数字好きのhidakaは、“テスト”という数字で点数が付けられるというものに、並々ならぬ憧れを抱いているようなのです。
“テスト”という存在をドラえもんの物語で知り、その関心が高まり過ぎて、最近では自作のテストを作成し、自分で問題を作り、自分で解き、自分で採点をするという、何とも理解しがたい“遊び”に興じております。
自分で作る問題なので、もちろん正解がわかるもので作るのですが、芸が細かく、わざと引っかけ問題のようなものを作り、その引っかけにわざと引っかかるというようなアレンジを加えています。
そうです。“遊び”なのです。
たまたま興味関心が、“テスト”というものに行き、それを遊びの題材に使っているんです。
そんなhidaka作の“テスト”。
どんな問題を作ってるのかな?と、目を通してみると・・・・
いつのまにか、教えていない掛け算の筆算が題材になっておりました。
たまたま出勤時間が遅かったパパがまだ居たので、見せ聞いてみました。
私「hidakaに掛け算の筆算教えたの?」
パパ「・・・!いや。教えてないよ?」
とても不思議です。
言葉の遅れ hidaka発達記録 4歳1カ月遊び~男らしさの芽生え~
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▼“スリルが楽しい”に目覚める
hidakaは、幼稚園に入園する前、女の子のお友達と遊ぶ機会を持つ事が多かったです。
そうしようと思っていた訳ではなかったのですが、自然とそのようになっていたように感じます。
それは、hidakaの発達の遅れが、男女の差としてとらえられる事が多く、意識してそうしていた訳ではなかったのですが、私自身も“比べる病”にかかりにくいということがあったのかもしれないかな?と、今は感じています。
(→“比べる病”はどうすればいいの?発達障害の特性を持つ我が子と健常の子を比べてしまう時に気がつくべきこと4つ)
hidakaも、闘いごっこに代表されるような“男の子遊び”にはまだ目覚めていなく、同年齢の男の子と共通した遊びで盛り上がるというのは、その頃“難しかった”と感じます。
hidakaは、“おままごと”というような、わかりやすくパターンがある遊びからまだ抜け出す事は難しく、お友達と相互的な関わりを持って遊ぶという姿は見られていなく、言葉を使ったやりとりを大人と一緒に遊ぶということで、“学習中”という段階でした。
その幼さや、女の子遊び中心の遊び、繊細な様子、女の子と遊ぶ機会が多いという環境から、hidakaからは“男らしさ”というものを感じませんでした。
「もしかすると、hidakaは少し中性的な男の子になるかもしれない?」
と、私は彼の成長像を想像しておりました。
でも、4歳が近づいてきたhidakaは、これまでの様子とは変わり、“男の子”を感じるようになってきました。
イベントなどで登場する高さが50mもあるような、急なエアスライダーを
当然、嫌がるだろうと、面白半分に「ひだか、これすごいね!やってみる?」なんて軽い気持ちで誘うと
「・・・・ひだか、やりたい!」と言い出しました。
つい最近まで、小さなウォータースライダーでさえ、「ママいっしょー(涙)」と泣き叫び、「せっかく来たのにね~」と困り果てていたくらい慎重だったのにです。
「!!?え!?本当に?ん~・・・上に行ってから、やめたはできないんだよ?大丈夫???」
と、私の方がビビってしまい、どうにかその無謀なチャレンジを回避しようと、やんわり(少し必死)言ってみましたが、hidakaの気持ちは変わることなく、1回シューと降りるだけで500円くらいした気がしますが、hidakaに手を取られ、上まで連れて行かれてしまいました。
上に着くと、hidakaもさすがに少し緊張している様子でした。
でも、そこには以前のような“逃げ”の気持ちはなく、それを“挑戦”することのワクワクさというのも秘められていました。
私も心を決め、ふたりで「えい!」っと滑ってみると・・・・
「キャー!!!!」・・・・かなりの迫力でした。
あまりドキドキすることが得意ではない私は、「もぅ。やってみてわかったでしょ?」と、そのスリルに当然hidakaも震えあがっているだろうと顔を見たら・・・
高揚した満面の笑みで、「もう一回!」と言うのでした。
他にも雪国ならではの、チューブスライダーをやっている場所に訪れてみたのですが、何とも長時間一緒に並び、ひとりでチューブにまたがり、係の人の指示に従い、シューと滑っていきました。
それまでの私べったりの生活が、嘘のように、hidakaは変わったのです。
その滑っていく後ろ姿を見て、
「あぁ。新しい風が吹くな。」と、少し寂しく、頼もしく思うのでした。
▼同時処理もできるの!?
hidakaはひとつの事に深く集中してしまう、どちらかというと“シングルフォーカス”な特性を持っております。
(→シングルフォーカスを生かす!たった4つの方法で発達障害グレーゾーンの子を生き生きと活躍できる子に育てる!)
興味関心があり、自分が今「これをしたい!」というスイッチが入ると、周囲の声は聞こえ辛くなり、時間を忘れ没頭する姿は、容易に想像する事ができます。
しかし、この“シングルフォーカス”の特性は、日常生活に支障をきたす事は今のところないです。
4歳を迎えたhidakaのこんな姿がありました。
電卓を2つ並べ、歌を聴き、その歌に合わせながら鼻歌を歌い、絵本を広げ、絵本に出てくる数字を電卓に入れ、ふふ~ん♪と楽しんでいる姿がありました。
電卓!?数字!?という気になる事もありますが、
この並行して別なことをしながら遊ぶというのは、脳の発達なんです。
大好きな数字という、hidakaの凸の部分の発達が、音楽を聴きながら、数字に注目するという余裕を生んだのかもしれませんが、大きな発達を感じました。
▼絵本が大好き
想像力が年相応よりも少し弱いhidaka。
幼いころから、絵本という世界に触れる事が大好きでした。
絵本の世界を使って、様々な世界を知り、自分の知識として積み重ねていたのかもしれません。
絵本や物語というものは、どこに行かなくても、実際に経験しなくても、世界を広げていってくれる便利な道具なのです。
ファンタジーの世界は、昨今のネット中毒やゲーム依存のように、発達障害の傾向を持つ人にとっては、その関係性しだいでは、怖い側面もありますが、利用の仕方によっては、世界を広げるものなのです。
▼ゲームのルールを教える事が難しい
hidakaは6歳を迎え、最近“あっち向いてホイ”や“いっせーの(親指の本数を当てる)”というゲームを、お風呂の時間に一緒に楽しむようになりました。
お友達がやっているのを見たのでしょうか?
“ビームフラッシュ”をやろうと、パパに「あんたちょっとバカね!」と言って、パパに「なに!?」とビックリされていたので、パパに教えてもらった訳ではなさそうです。
そのような対面遊びを楽しむようになるとは、4歳を迎えた頃は、まだ想像しがたかった事を覚えております。
児童館に遊びに行った時の事、新しい保健士さんが研修で入っておりました。
hidakaは、その保健士さんに懐き、姿が見えなくなると探し、構ってもらおうと手を取るのでした。
保健士さんは、hidakaが4歳である事を知り、輪投げを一緒に楽しもうと考えてくれたようでした。
輪を渡されたhidakaは、目の前で保健士さんが輪を投げ、的に入れるというのを実演付きで説明してくれたにも関わらず、その輪を頭に乗せたり、壁に引っかけたりして、本来の遊びを楽しむことなく、それ以前の段階のルールのない遊びで、はしゃぎ楽しそうにするのでした。
その幼い反応を見て、保健士さんは少し違和感を感じたような様子がありました。
hidakaの事を説明する程の関わりではなかったので、私は少し気まずく思うのでした。
▼仲間に入りたい
仲良くしていた女の子と一緒に幼稚園のプレに通う中で、お友達に新しい女の子のお友達が複数できました。
この時期の女の子というのは、男の子たちよりも社会性の発達が早く、個人差はあると思うのですが、仲間意識のめばえというのも、早い気がします。
女の子たちは、手をつなぎ、輪になり、くるくると回ってキャッキャと楽しそうにしておりました。
その姿を見たhidakaは、手を出し、入りたそうにしておりました。
女の子たちは、“女子”という仲間以外は、その輪に入れないというルールのようでした。
ポツンとなったhidakaを見て、こういう“仲間はずれ”の姿を、今後目にしていくことが増えるのかもしれない・・・・と、発達の遅れが目立ち、幼い雰囲気のある我が子に自信が持てなくなり、少し暗い気持ちになるときもありました。
(→“仲間外れ”になりやすい子はどのような子?発達障害グレーゾーンの子はターゲットになりやすい?気をつけるべきこと・親の心構えを考える)
ですが、“仲間に入りたい”という気持ちは、hidakaの中にこの時、確実に芽生えていたのです。
まとめ
hidaka3歳は、どう振り返っても、今のところ、私の子育てで一番の山でした。
話しかけても返答はなく、説明しても空を切るようにむなしく、興味を持つものは数字や文字。
周囲の同年齢の子ども達がまぶしく、hidakaよりも小さく幼い子と同じような反応を示す我が子に、胸がキュッと締め付けられる事もありました。
先が見えなく、いつ明けるともわからず、暗い道をただただ明かりを求めて、hidakaの手をしっかり掴み、一緒に歩いておりました。
4歳を迎えるあたりからでしょうか。
変化を感じてきました。
hidakaの発達に手応えを感じてきたのです。
「こうかもしれない。。。」と不安に思っていた事が、「違うかもしれない!?」「違った!」
という、いい意味での“裏切り”があることが増えていったのです。
たくさんhidakaの今後を想像していたのです。
そうして、自分を予想外のショックから守ろうと、意識しておりませんでしたが、思っていたのだと思います。
「我が子はこうなんだ。」という予想を確信を、よく知りもしないで、よく見もしないで、勝手に想像していたものもたくさんありました。
“思い込み”もたくさんあったのです。
それだけ、“発達障害”という言葉は、その疑いだったとしても、多くの偏見に自らも翻弄されました。
そんな心配性で不安でいっぱいの親が想像しているよりも、子どもはもっと発達していくのです。
成長していくのです。
まだ起こっていない未来に気持ちを馳せ、不安に思い、身を縮ませて、暗く思い悩む必要はないのです。
それよりも、今何をしてあげるか、何をしてあげられるのか。
今どうなのか。
それをしっかりと見ていく必要があると、私は思っております。
子どもの将来に“期待”すること、日々の生活の力になります。
子どもの成長を“信じる”ことは、ポジティブに挑戦する力になります。
そうして、前を向いて力強く進んでいくことが、私たちが我が子に見せられる“人生の生き方”なのではないでしょうか?
お読みいただきありがとうございました。
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