発達障害グレーゾーンの子“合理的配慮”を受けることはできる!?“合理的配慮”を求める時に注意すべきこと4つ

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ご訪問いただきありがとうございます!

久しぶりの更新になってしまいました。

 

季節の変わり目は、どうしても風邪の流行がつきものですよね。

皆さんは気を付けて過ごしておりますか?

 

私たちは、急激な気温の変化に身体がついていかず、hidakaから始まり、私まで久しぶりに熱が出て、ダウンしておりました。

子どもが元気で、親が体調が悪いというパターン。。。

結構しんどいんですよね。

 

高熱ではなかったので、横になることなく、誰かに頼ることもなく、家事に育児できる範囲で頑張っておりました。

幼稚園まで送る自転車のペダルがいつもよりも重たく、身体はビリビリと痛く。。。

出来る限り、休息に時間を使ってはいましたが、身体に入った風邪菌をやっつける為に、何もしていないようでも、身体の疲労は蓄積しております。

疲れが溜まると・・・・私たちにとっては恐ろしい、ネガティブな思いに支配され、そんな気持ちに身を委ねがちになることがあります。

あることないことを不安に思い、我が子の“生きにくい特性”を敏感に察知し気になり、そこから想像できる将来を悲観し、重たい気持ちを抱え、負のスパイラルに陥る。。。

そんなスパイラルはできれば遠慮しておきたいところです。

 

早々に自分を労わり、熱が下がっても、しばらくは気ままにのんびりと過ごしておりました。

おかげで身体の回復と、十分な休息のおかげで、気持ちは今日も前を向いております。

 

hidakaはというと、熱が下がれば元気いっぱい!

今回の熱でも、ありがたいことに、お決まりのバージョンUPがあったようです(笑)。

「あら?こんなにシャキシャキしゃべっていたっけ?・・・本当にhidakaなの?」と、感じさせられたりします。

体調を崩し始めているときの歯切れの悪さと、闘病中の無口さの反動で、そのように感じているという一面もあるのかもしれませんが、我が子の成長を感じる瞬間は嬉しいものです。

自分の思っている事、考えていることをよくしゃべったり、「hidaka勉強する!」と、得意の計算問題を机に向かいもくもくとこなしたり、九九を暗唱したりしておりました。

こういうことは、自分でもくもくと世界を広げていきます。

 

・・・そんなhidakaを静かに見つめ、hidakaの話しに「へぇ~すごいね。そうなんだね!」と、相槌を打ちつつ、どこか気持ちが半分別なところに行っている私。

机に向かうhidakaの後ろ姿を眺め、私はある事に思いを広げておりました。

 

それは・・・

“合理的配慮”を受ける事はできるだろうか?

ということです。

そうです。

就学への方向に思いを巡らせていたのです。

私に出来る事は、いつだって“環境を整えること”なのです。

 

hidakaが生まれながらに持っている“生きにくい”と言える発達障害の特性を忘れたわけではありません。

でも、平和に穏やかに過ごす日常の中で、危機感は確実に失われてきております。

 

発達障害グレーゾーンの子“合理的配慮”を受けることはできる!?“合理的配慮”を求める時に注意すべきこと4つ

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“合理的配慮”とは?

合理的配慮とは、障害のある人、または障害の診断がなくても、暮らしの中で世の中の制度や慣行に障害を感じている人達が、障害のない人や障害を感じていない人と同じように社会生活を営めるように、一人ひとりの特徴や場面に応じて直面する障害や困りごとを解消できるように行う、個別の環境整備のことです。

2016年4月1日に施行された「障害者差別解消法」により、この“合理的配慮”が、行政機関には義務付けられ、民間の事業所には、可能な限り提供することが求められるようになりました。

発達障害グレーゾーンの子の“合理的配慮”は?

「障害者差別解消法」が対象とする障害者というのは、障害の手帳を持っている人に限られないと考えられています。

医師の診断がなかったり、療育手帳のように障害の手帳を持っていなかったとしても、様々な社会障壁によって、障害がもたらされている子というのも、“合理的配慮”の対象であると考えられているのです。

そして、注目すべきなのが“合理的”という言葉です。

障害がある、障害を感じている本人にとって、その配慮が“必要としているだけ・適当であること

つまり程度や内容が大切なのです。

障害がある、障害を感じている子が、主体的に自分の力を発揮していくことが目的なので、程度や内容が過度な配慮というのは、“合理的”と言えないのです。

発達障害グレーゾーンの子“合理的配慮”求めるときの注意点4つ

1.我が子の生育歴を伝える

発達障害グレーゾーンの子が、学校に“合理的配慮”を求めるときに注意すべきなのは、“子どもの新生活への不安が強い親”という認識を超えてもらうことです。

私が幼稚園にhidakaの小学校への特別な伝達を相談したとき、幼稚園から小学校へ特別な伝達をしている担当の先生という方がいたのですが、その担当の先生から、実際の幼稚園から小学校への特別な伝達というのは、どのような程度の困りごとを抱えている子ども達の親がしているものなのか?ということを聞いてみると・・・・

その伝達は、実に“様々な程度の困難を抱えている子”というものでした。

中には、幼稚園では全く心配していない子達も、親が望めば“特別な伝達”を小学校へしているということでした。

周囲の先輩ママさんたちからも情報を収集してみると、特別発達の心配をしていない子達も、小学校という環境の変化を親が心配に思い、我が子の苦手としている事を小学校へ伝えた、というお母さんもいました。

発達の心配をしていない子のことについて、小学校へその苦手を伝えると、小学校で面談を担当している先生は、決まって「お母さん、大丈夫ですよ。みんなそれぞれ苦手はあるもの。その為の小学校ですよ。」という話しがあるようです。

その「大丈夫ですよ。」という先生の受け入れを聞く事ができ、多くのお母さんたちは安心して我が子を送り出す事ができるのだと思います。

でも、私たちが抱えている我が子の心配の芽というのは、もう少し深刻であるということを伝える必要があるのです。

発達障害という診断が降りず、通院も卒業したhidakaの生育歴をまた掘り起こし、伝える事。

実は、少し抵抗がありました。

もう、心配心配という目ではなく、のびのびと大らかに成長を見守りたいという気持ちもあったからです。

それが、これからのhidakaには必要な“親からの目”なのではないか?という思いもあったのです。

“発達障害グレーゾーン”・“発達に心配があった”という言葉は、様々な先入観を生み、もしかすると過剰な配慮に繋がるという一面も、やはりまだまだあると思うのです。

そのリスクが全くないというところまで、まだ“発達障害グレーゾーン”の認識は広まっておりません。

でも、“心配性な親”という括りで見られてしまっては、hidakaが必要としている“合理的配慮”を求める事はできないのです。

もう少し踏み込んだ、「特別な配慮を必要としている子なんだ。」ということを伝える為に、この生育歴を伝えるというのは、我が子を知ってもらう為に欠かせないのです。

内容は、その子の程度に合わせて簡潔なものでも構わないと思います。

hidakaは、幼稚園に入園する前に発達の偏りがあり心配があったこと。

5歳の発達検査のことにも触れました。

(→言葉の遅れ hidaka発達記録 5歳 新版K式発達検査の結果

多少の発達の凸凹があること。

診てもらった医師には“正常の領域に入った”という見立てだった事。

通院を終わりにしていることを盛り込みました。

2.伝えるべきことを吟味する

5歳の発達検査の結果でも出ておりましたが、hidakaには発達の凸凹があります。

その凹の部分を冷静に見詰められるように、書き出してみる事にしました。

そうすると、漠然と見えていたhidakaの苦手な事の輪郭がハッキリし、その苦手は配慮が必要なのかどうかというのが見えてきます。

すべてすべて子どもの苦手を伝えればいいというものではありません。

過度な配慮は、子どもの自立の芽を摘み、主体的に自分の力を発揮していく妨げになります。

学校の先生はまだhidakaの事を知りません。

あらゆる発達につまづきのある子の知識は、経験上ある先生もいるかもしれませんが、hidakaという一人の児童としての知識としてはまっさらで何もないのです。

その我が子の情報をどの程度伝えるのかという“加減”を考えるのは、他の誰でもなく、一番傍で成長を支えている私たちなのです。

あらゆる人に助言を求めても構わないとは思うのですが、誰かに決めてもらう事はできません。

生涯掛けて、責任を持って育てているのは、私たち親なのです。親である子どもの父親と成長を傍で支えている母親が決めていくべきなのです。

3.具体的に正確に伝える努力をする

この伝達を見たときに、我が子の姿が思い浮かび、どのような対処をしてあげればよいのか?どのような特徴があり、何に気をつけてあげればよいのか?ということが、hidakaに会う前に少し想像できることが目標です。

そういう情報開示をすることが、これから気を掛け、手を尽くし、主体性を持ち自分で自分の道を切り開いていける子になるように導いていってくれる学校にできる“親切”なのではないでしょうか?

hidakaは、hidakaが持っている苦手な事の中から、配慮が必要と判断した3つの苦手を伝える事にしました。

「視覚優位な傾向がやや強い事」

「新しい事や初めての事に抵抗がやや強い事」

「否定される事に敏感な事」

その一つひとつを、具体的にどのような場面で、どのような状態になってしまうことがあるのかを補足として付け加えました。

“やや強い”という表現に留めた事や、“そういうことがある”という表現にしたことは、hidakaの事を正確に伝えたいと思ったからです。

そして、hidakaはこの3年間の幼稚園生活の中で、自分が持つ“苦手を補う”という姿も見られておりました。

その苦手をこんな方法で補っているということも、伝えることにしました。

もし、そのような姿が目立つ場合には、苦手な事で困難を感じているというサインなんです。

そのことに気がついて欲しいのです。

逆に、hidakaの苦手な事の中でも、コミュニケーション関連の事は、今回の伝達では伝えない事にしました。

それは、“成長が見込める”と考えたからです。

最近では、自分でお友達関係を広げたりする姿も見られております。

主体性を大切にするということを考えると、可能性はまだまだ無限大で、現段階では、適切な配慮というのが見えてこなかったからです。

サポートが必要な域に達する可能性を楽観視することなく、今後も見守り、個別に担任の先生と相談していこうと考えております。

4.どのような対応をしてほしいのか希望を伝える

子どもにとって、“過度な配慮にならないように”考える事がとても大切です。

そして、学校側にも“過度な負担にならないように”考える必要があります。

障害の診断が出ている、就学相談を受けているという程度の困難を抱えている子ども達の方が、その配慮は高くあるべきなのです。

それが“合理的配慮”というものです。

また、「配慮してもらう」という気持ちが大きくなりすぎてもダメなのです。

私はよく幼稚園に入園する前に、hidakaが“手が掛かる子”である事に、引け目を感じておりました。

そして身を小さくし、「誰にも迷惑を掛けない子に私が育てていかなくては・・・・。」と、重い責任を抱え、ひとり孤独を感じておりました。

でも、それでは我が子が必要としている“母”にはなれないのです。

担当の臨床心理の先生に言われました。

手を掛けてもらっていいんです。みんなで育てていくでいいんですよ。」と。

どれだけ、心が楽になったか。

その考えが、どれだけhidakaの成長を支えてきたか、計りしれないと思います。

我が子が必要としている“母”は、周囲に働きかけ、手を掛けてもらえるように環境を整え、自分の成長を強い気持ちで支え、いつも味方で応援してくれる存在なのです。

“合理的配慮”の原語である、Reasonable Accommodation(リーズナブルアコモデーション)という言葉には“調整・便宜”という意味合いがあるようです。

学校で関わる周囲の人たちと未来ある我が子、“お互いにとって”過ごしやすい環境を作るには、どのようにしていけば良いのか?ということを、我が子の成長を支援している私たちと、これから支援していく学校とで話し合い、我が子が必要としているだけ手を掛けてもらえるように、周囲の環境を調整していくことが、私たちの“母”としての役割です。

hidakaは、この小学校で対応してもらいたいことを2つ提案することにしました。

1つ目は、幼稚園時代の親しい友人と同じクラスで小学校生活をスタートさせたいという希望。

2つ目は、苦手な事を知っておいてもらい、慣れるまで注意して気に掛けてもらう事。

この2つです。

我が子の苦手を丁寧に吟味し、我が子が必要としている配慮をまとめてみてわかったのですが、私が小学校に求めていることは、この2つでした。

まだまだコミュニケーションが取りにくい事があるhidaka。

幼稚園でのhidakaの様子も、親しい友人経由で伝わってくる事も多々あります。

hidaka本人も、不安なときはいつも親しい友人たちにくっつき、安心を得て、苦手な事にも諦めることなく取り組む姿が見られていると幼稚園の先生から教えていただいておりました。

その友人たちの力を借りれなかったときに、苦手である新しい環境で抱えるストレスは、定型の発達の子たちよりも遥かに大きいものなのかもしれません。

幼稚園では目立った不適応が見られなかったhidaka。

それもこれも、幼稚園にhidakaの苦手を知っていてもらい、私が知らないところでも、気に掛けて見てもらっていたという面があるのかもしれません。

やっぱり、私ができることというのは、周囲の環境を整える事。

これに尽きるのです。

まとめ

今回の小学校への“特別な伝達”の内容、いっぱいいっぱい悩みました。

夏にこの“特別な伝達”の事を知り、hidakaに必要なのか、もう必要としていないのかという事自体も、いつもいつも心のどこかで考えていたような気がします。

(→就学前相談はどうするべき?発達障害グレーゾーンの子を持つ私の“選択” 就学前にできることを考える)

hidakaの将来を「心配・・・心配・・・」とあらゆる事に手を加えているような気がして、“特別な伝達する”という選択は、私が安心したいが為の選択なのではないか?と、何度も何度も心に問いました。

気持ちは「hidakaは、私が手を加えなくても、自分の力で自分の人生を切り開いていけるところまで成長している。」「hidakaのこれからの成長を信じて、手は加えず応援し、支え、見守っていこう。」と思える日もありました。

それが後悔しない道に繋がっていくのではないか?と、考えたりもしました。

でも、そう思いそうしていこうと思うと・・・・

ある言葉が私の心に浮かんでくるのです。

親はすぐ子どもに厳しめの環境で頑張らせようとする。でも、子どもがのびのびと自分の能力を発揮し、頑張ることができる環境というのは、優しめの環境設定なんです。

どこで、この言葉を拾ったのかは覚えておりません。

ネットで数々の情報収集している中で、私の心に響き、今後の選択に備え、そっと心の引き出しにしまいこんでいたんだと思います。

そして、今、大きな選択を迫られている中で、私はその言葉が意味する事が正しいと感じ、“選択”したのです。

hidakaの目は輝き、小学校生活を楽しみに夢を見ております。

その目の輝きが消えないように。

私が出来る事を出来るだけ。

この気持ちはあの頃と少しも変わってはいないのです。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

我が子の就学へ向けての準備を悩んでおられる方の参考になれば幸いです。

 

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