ご訪問いただきありがとうございます。 今日も幼稚園から帰ってきたhidakaは、 「ママ!スマイ […]
ご訪問いただきありがとうございます。
今日も幼稚園から帰ってきたhidakaは、
「ママ!スマイルゼミやってもいい?」と、自分から机につき、学習を始めました。
hidakaは、先月より発達の凸の部分を伸ばそうと、“スマイルゼミ”のタブレット学習を始めてみています。
(→スマイルゼミ入会しました!発達障害グレーゾーンの子の“タブレット学習”を考える)
1歳を過ぎ、hidakaが強く興味を持ったのは、つみきの裏に書いてある文字や数字。
ハイパーレクシアという特性を持ったhidakaは、6歳になった今でも、既読症という言葉通り、文字や数字の情報の刺激が強く、イメージするなら、周囲の景色から、文字や数字が際立って目に飛び込んでくるのでしょうか?
どうしたって注目せざる負えないようです。
そんなhidakaは、教えなくても数字を数え、どこから学んだのか・・・?と疑問に思うほど、教えてもいないのにひらがなにカタカナを書き連ね、簡単な漢字までするすると読めるようになっていきました。
4歳になり、数え切れるまでの数字を延々と数え、暇さえあれば紙に文字を書いていたhidakaに、“興味を広げてあげたい”と思い、足し算や引き算を教えてみました。
イメージするまでは思ったよりも時間がかかりましたが、一たびイメージができると、それからは計算問題を楽しむようになっていきました。
その数字好きを見ていると・・・・「hidakaは、数字が好きだから、理系なのかな?」と、夫婦で話したりしていました。
でも、スマイルゼミをはじめ、算数の問題に触れてみると・・・・
見えないところでの苦手である“想像力”の弱さがあり、目の前にないものへのイメージ化が難しく、hidakaならスラスラいくのか?と過信していた私は、思わぬところでのつまづきに彼の苦手を感じるのでした。
「そうかー。“想像力が豊かな子”の方が、理数系の科目は得意なのかもしれないなぁ。。。」と、算数の学習は注意して今後も見ていく必要があると感じました。
“数字好き”という得意で、苦手が見えず、気がついたときにはどこでつまづいたのかわからなくなってしまうというのでは、悲しいです。
1学年上の内容を学習しているので、国語の問題にも取り組ませてみました。
すると・・・・なんとも、さくさくと問題をこなしていくのです。
かなり長い文章の国語の問題も、問題の意図をくみ取り、大人のように解答欄を先に見て、キーワードの言葉を探し、前後の文章を読み、書き抜いたり、間違いを訂正したりしておりました。
これにはさすがの私もビックリして、「hidaka、すごいねぇ。」と声を掛けました。
“想像力が弱い”ということに苦手を抱えているhidakaは、日常生活でもあらゆる文字や数字の情報を元に、自分が想像できるものにしていくという能力が、人よりも秀でているのかもしれません。
「hidakaは、文系なのかもしれないねぇ。」と、夫婦共に文系の私たちは、「そうだよね。私たちの子供だもんね。」と、笑い合うのでした。
我が子が文系なのか、理系なのかという、学習においての得意分野を予測することに、何の意味もないのですが(笑)。
得意を見つけ、育む育児というのは、楽しいものです。
言葉の遅れ hidaka発達記録 4歳2か月 言葉
様々な試練を乗り切り、晴れて幼稚園に入園したこの頃のhidaka。
よく顔を見せてくれていた私の母が、何気ない私たちのやりとりを聞いて、
「会話になってるしょー!」
と、驚いてくれました。
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▼自分を客観視する
「ひだか、ないたー。」や「ひだか、何か言ってる。」というように、自分を客観的に見て、言葉にすることがありました。
これは・・・あまり周囲の子が言ってるのを聞いた事がなかったので、独特な雰囲気でした。
まるで、何かの映像を見て、発言しているかのように。
もしかすると、頭の中で、自分を映像化し、把握するという事をしていたのかもしれません。
▼よく話しかける
「ねぇねぇ。(人)~」という、話しかけの型を覚えたようで、その言葉を掛けると、人が自分に注目するということが、楽しくなった様子でした。
「ねぇねぇ。ママ~」と話しかけ、私が「なぁに?」と注目すると、そのまま先も続けて話したり、話し掛けて注目すると、満足したようにニコニコし、話しは続かず終わったり。
気に入ったようで、よく話し掛けてくるようになりました。
▼要求を言葉ですることが定着
「んんん!」と、床をバンバン叩き、座って欲しい事をアピールしたり、食べたいものを持ってきて「んん!」、取って欲しいものを指差し「んん!」というように、言葉を使わず私に要求する姿が目立っていたhidaka。
「んん!じゃわからないよ~。」や、「○○とってって言おうか?」など、言葉への促しがあってか、この頃には要求は言葉を使う事が定着しておりました。
一人っ子の初めての育児だったhidaka。
私は周囲のお母さんよりも、そういう言葉掛けが苦手だったように感じます。
言葉の遅れが気になる子には、「気の利くお母さんを辞めましょう!」というのをよく耳にしておりましたが、まさに自分でさくさくこなしていった方が、楽だったので、hidakaの言葉を育てるという取り組みを、発達障害を意識し、注意するまでは、あまりしていなかったのかも?と、感じたりしておりました。
入園前は、週に1度療育に通い、臨床心理の先生や保育士さん、児童精神科の先生と、様々な関わりを持っておりましたが、1日の大半は母である私と過ごす日々です。
“育てにくい子”を“育てる”ということを常に考え、ひとりで働き掛け続ける育児に、とてもとても重責を感じ、孤独を抱えておりました。
幼稚園に入園をしてからは、その1日の半分を“幼稚園”という小さな社会で過ごすことになったhidaka。
“言葉の発達”・“社会性の発達”を促す場面が多くある幼稚園という空間、hidakaの発達の遅れを理解してくれ、hidakaのペースでの働きかけを意識してくれる幼稚園の先生。
本当に一緒に育ててくれているようで、hidakaを幼稚園に預けると、ホッとするのでした。
そして、幼稚園の入園を機に、hidakaの発達は加速していきました。
▼要求以外にも、感情・応答・質問というようにバリエーションが増えてきた
要求→要求を言葉で伝える事が定着してきて、さらに言葉で今までよりも細かく伝えてくるようになりました。
「○○公園に行きたい!」「○○食べたいな。焼いてね。」
感情→これまでのボーっとした感じがなくなり、自己主張が強くなってきたように感じました。自己の主張を言葉で使い伝えてきます。
「いやだ。今○○してるしょー!あした!」
応答→私の「こういうときは何て言うのかな?」という問いに、返答がある事が増えました。そして、YES/NOで選択する問いだけでなく、他愛もない話しに返答があるようになってきました。
“他愛もない話しに返答がある”というのは、hidakaを育てる私にとってはとても大きな成長でした。一緒に自転車の後ろに乗せて、出掛けるとき、私は本当に多くの言葉掛けをしていました。
でも、それまでというのは、私の声はhidakaには受け止めてもらう事がなく、本当にむなしく宙を舞い、消えていたのです。
「・・・いつかhidakaと会話ができるのだろうか・・・。できる日を夢みて頑張ろう。」と、毎日のように思っていました。
それが、いつしかできるようになっていたのです。
「今日はいい天気だね。」→「うん。」や「新しいお店できたんだね。」→「ね。」という簡単な応答から始まったと記憶しております。
自分の思いを受け止めてもらえるということ。とても嬉しかったです。
わざと、hidakaの返事を聞きたくて、もう一度聞いたりしておりました。
質問→hidakaの言葉の発達が未熟だった3歳という1年間は、「hidakaは何を考えているんだろう?」と思うほど、私に対する質問というのものが一切ありませんでした。
「これからどこ行くの?」「何するの?」「どうするの?」「なんで?」という質問が一切ないのです。
これは、周囲の子ども達と比べると、異様な雰囲気でした。
そこまで考えが及んでいなかったのか、想像力が乏しかったのか、質問する言葉が見つからなかったのか。
それらが複雑にhidakaの心の中でもやもやと渦を巻いていたのかもしれません。
その渦が少しずつ解けていったように、この頃のhidakaからは、質問の言葉がポロポロと出てきておりました。
「どこいくの?」「合ってる?」
怒った時には、「なんで○○なの!!」と。
子供らしいです。質問をしてくるhidakaに、「hidakaも他の子ども達と同じような事を考えていたんだな。」と、安心するのでした。
▼幼稚園の話し 少しずつ
言葉の発達がゆっくりで、おしゃべりではなかったhidaka。
もちろん幼稚園の話しを、家に帰ってきてたくさんお話する子ではありませんでした。
私も、「離れている間のhidakaの様子。知りたい。。。聴きたい!」という思いで溢れておりましたが、グッとおさえて、「話したくなってからでいいよね。」と、言い聞かせておりました。
お菓子タイムやお風呂タイムなど、リラックスしている時に聴いてみると、話してくれるかもしれませんという情報を聞いて、軽い気持ちで質問してみると・・・・
意外と返答、ありました。
私「今日はお絵描きした?」→hidaka「うん。」
私「何描いたのかな?」→hidaka「きりん。」
私「何色にしたの?」→hidaka「あかにあおにきいろにみどり!」
私「カラフルだねー。」→hidakaにこにこ
私「うた、うたった?」→hidaka「おはよーのうた」
私「他には?」→hidaka「おかたづけ~♪」
私「○○せんせい、いた?」→hidaka「うん。」
私「何て言ってた?」→hidaka「おはよー。」
なかなか幼稚園の様子、伝わってきました。
何もないところから、話しを持ち上げてというのは、難しい様子でした。
「幼稚園で何したの?」というような、抽象的な質問に応えることは、今でも難しいようです。
▼幼稚園に慣れる
幼稚園の帰り道に、「楽しかった~♪」と言うようになりました。
これは、1年前には難しかったことです。
幼稚園のプレに行き始めた頃だったのですが、他の子が何気なく言っている「楽しかった。」という言葉。
私はhidakaから聞いた事がなく、“楽しい”という概念が、わかっていないという段階で、どのように伝えていこうかということを考えておりました。
それからは、hidakaが楽しそうだった日には、1日の最後、眠る前に1日を振り返り、「hidaka○○して、楽しそうだったね。」という形で意識して伝えたり、お友達と遊んだ帰り道に、充実した1日だったときには、「楽しかったね。」と伝えておりました。
1年経って、自分の言葉として使い始めたのですね。
まとめ
苦手に働きかけることが多かった3歳~5歳のhidakaの育児。
言語の発達や社会性の発達が、大きく遅れ、目立ってしまっていたこの頃は、苦手に注目し、hidakaの特性に合った働きかけをたくさんすることが必要だったのです。
今でもhidakaは、生まれ持った特性で、苦手なことがあります。
でも、その苦手は、以前のように目立つ事はなく、周囲の環境に折り合いをつけ、持っている能力で補っていけるように力が付いてきました。
あの頃は、ずっとhidakaの苦手に働きかける育児が続いていくと思っておりました。
でも、実際は、苦手な発達は伸びをみせ、苦手がなくなることはありませんが、それを含めて、人として成熟を見込めるところまで、落ち着きをみせていったのです。
苦手に働きかける育児は、絶対に必要だったと思います。
でも、「楽しかったか?」と聞かれると、それは“辛く苦しい”ものでした。
hidakaは2年間でしたが、そんな育児が続いておりました。
でも、あの時を乗り越えたから、今のように得意に働きかける育児ができているのではないか?と思うのです。
また、苦手に注目しなくてはいけない時期が迫っているのかもしれません。
でも、“辛く苦しい”時期というのは、いつまでも続く訳ではないのです。
“辛く苦しい”時期を、乗り越えれば、そこには必ず、大きな成長を感じ、得意な事に注目できる日々もくるのではないか?と考えております。
なので、苦手が気になる発達障害グレーゾーンの子・育てにくい子の子育て、得意に注目する時期があってもいいと思っています。
“苦手”な事が落ち着いてきたら、その子の持つ“得意”に注目していく
そんな子育てが、親にとっても子どもにとっても、共に楽しみ、絆が深まり、“いい子育て”になっていく方もいるのではないか?と感じております。
参考に。
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