言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳4カ月 言葉

hidaka 3歳|2016/07/01 posted.
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hidakaはカレンダーが大好きです。かねてよりの数字好きと先に起こることを把握しておきたいという性質がぴったりと合わさり、目に見えるものになっているカレンダー。彼にとってこんなにも好きが形になっているものはないのかもしれません。大好きなカレンダーを眺めるだけでは飽き足らず、ついに年間のカレンダーを書き出しはじめました。挿絵も入れて世界にひとつだけのオリジナルカレンダーです。

何月何日何をするのかというような感じで普段の日程を確認をしたり、先の予定を自分で考え楽しそうです。

「7月18日はうみの日だよ。うみの日はママとパパとババと○○くんと○○くんと海にいくよ!」と「○○くんのお家は○○条○○丁目(住所)だからね。(車の)うしろにのせていくからね!」

よく考えていることを伝えられるようになったなぁと関心する反面、たまにその数字の情報の多さに不自然さを感じ、勝手に先々の予定を組まれてしまうことに煩わしさを感じるのでした(苦笑)。

・・・海。○○くんと○○くんはお誘いしたほうがいいだろうか・・・hidakaの無邪気なスケジュールを叶えてあげたいけれど、大人は大人の事情があるのです。社交的なプランは嬉しいのに私も贅沢な悩みになりました。

 

言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳4カ月 言葉

 

よくしゃべっていると感じます。

▼「いいよ」「はい」「うん」返事があることが増えてきた。(返事がないときも多いですが。)

単語と動詞を自分で組めるように

「○○ちょうだい」

「○○かわいいね」

「○○たのしかったね」

特に自分の名前+動詞が多い

「ひだか たべたい!」「ひだか トイレー」「ひだか のりたい」

「ママ ○○」

言葉の自由度が広がりますね。でもこの頃、周囲では文章になっている子が多かったのでhidakaはまだまだだなーと感じておりました。

共感を求めることが定着

「大きいねー」

「あついねぇ」

「おいしいね」

「かっこいーね」

「すずしいね」

「たのしいね」

「みてみて!」

一緒にいて楽しくなるとは共感があるからなんですね。私からの発信ではじーっと黙っていることが多いですが、hidakaからの発信だと盛り上がります。

▼自分の気持ちを言葉にすることがあった

「たべたいなぁ」

自分の気持ちを言葉で表現することというのは主張があってこそなんですよね。赤ちゃんの頃からあまり手がかからなかったhidakaはこの主張が弱いせいか、自分の気持ちを言葉にすることがまだなかったんです。

▼よく歌う

アイアイ・いぬのおまわりさん・ちょうちょ・ぶんぶんぶん・アンパンマン号

童謡は歌詞がわかりやすく、歌いやすいようです。耳が少しずつですが鍛えられてきました。

▼「ママ どこー?」が流行る

近くにいても、探していない様子のときも

口癖のように「ママ どこー?」と言っていました。流行り言葉のようなものがあって、流行り出すといつも口にします。本来の意味ではないようです。

▼あいさつをよくする

「こんにちはー」

「バイバイ」

「おはよー」

身近な人というよりお店の人や近所の人に気楽な感じで

お友達には相変わらず言わないことが多かったです。まずは遠めの人で練習しているように感じました。本当に気楽な感じで挨拶していました。しつけがすごくいい子みたいで褒められたりしました。でも「本当はいろいろ問題抱えているんですけどね・・・」と心の中で思ってしまうのでした。

▼お友達の名前を呼ぶ

名前を呼ぶだけはいつもしていました。その後は続きませんが。お友達を意識している様子でした。

▼してほしいことを言葉でいう

絵本を持ってきて「よんでー」

してほしいことを言葉で言うことも主張ですよね。これもこの頃からようやく少しづつ。

私もしぐさや表情で先読みしてやってしまっていたことが多いのではと思い、hidakaの言葉の発達の為に気の利かないお母さんをしていました。その成果でしょうか・・・♡

 

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まとめ

3歳4カ月の頃のhidakaは療育の心理の先生も「成長が目覚ましいですね。」と驚き関わることが楽しく感じてきました。共感を求める感じがアイコンタクトにも現れ目が合う機会が増えてきました。言葉はまだまだ拙いのですが、表情や目線で表現することも以前より多くなってきました。

hidakaの自閉傾向はたくさんの子を診てきた心理の先生からみると“軽いもの”だったのかもしれません。心理の先生は私たちに丁寧に接してくれましたが、たまに温度差のようなものを感じるときがありました。

同じような気持ちで同じようにhidakaを想う人が世界に自分しかいないことにときどき孤独感を感じました。成長を喜び、自閉的な傾向が軽いのではないかと感じ嬉しく思うのですが・・・

軽いもの”という見方。・・・実は少し思うところがあるのです。

私にとってhidakaは初めての子供でたったひとりなんです。比較するものがあって初めて重い軽いと感じるのではないでしょうか?

私にとって子どもはhidakaだけなんです。

やっぱり軽くてもその発達障害の傾向があるという問題に直面したことは私の中では非常に重いことだったのです。

もう少し何か違えば、その軽さを感じることができたと思うし、そうすればもっと子育てを楽しめたのではないか・・・誰も「心配いらない」とは言ってくれない状況の中でどれだけ軽さを感じることができるのでしょうか?

軽いもの”・・・私は“軽いもの”を感じているようで感じていないのかもしれません。

その子のことで一生懸命になっているのは自分だけなのではないか・・・と孤独に思うのでした。

重い発達障害の傾向に悩み苦しんでいる人たちがいることもわかっております。定型の発達の子を育てるお母さんよりはその苦しみを想像できるのではないかと思っています。

でもその人それぞれの苦しみや孤独感をみんな感じているのではないでしょうか?

そんな暗い道を手探りで通りぬけいつのまにか周りは明るくなっていました。そしてその暗い道を振り返って考えて見ると、どうしてその苦しみや孤独感に気持ちを持っていってしまっていたんだろうと思うのです。

どうせ同じ時を過ごすなら「その人それぞれの達成感や幸せにもっと気持ちをもっていければよかったのになぁ」と今は思ったりしております。

もし、そんな苦しみや孤独感を今感じている人がいたら・・・私たちに比較するものなんてないんです。どう感じるかでその時間は全く違ったものになるのではないでしょうか?

今でもその小さな孤独感は続いております。でもそれよりももっとhidakaの成長や持って生まれた能力、その笑顔やかわいいしぐさに楽しさや幸福を感じて過ごしていくができるようになってきたなぁと感じております。

 

お読みいただきありがとうございます。

 

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