言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳5カ月 生活

hidaka 3歳|2018/12/21 posted.
Pocket

ご訪問いただきありがとうございます!

 

小学生になり、もうすぐ2学期を終えようとしているhidaka。

文字や数字に対する異常なまでの執着というのは影を潜め、本が大好きな、漫画が大好きな、テレビが大好きな、歌が大好きな“普通の男の子”になってきました。

乱数表のような数字を、用紙にみっちりと書くこともなくなり、車から外を食い入るように見て、見える文字見える文字を追いかける事もなくなりました。

受け取ってもらえず、行き場をなくしさまよう私の言葉も、今ではしっかりとhidakaにキャッチしてもらえ、むなしく響くこともなくなりました。

こんなに望んでいた事が叶い、喜ばしいはずなのに・・・・

不思議なものです。

幸福感に満たされているというものとはまた違って、私は「もっと。もっと。」と湧いてくる感情に弄ばれております。

「もっと。もっと。」

そう思ってしまうのが“親心”なのでしょうか?

“向上心”と言えば聞こえはいいですが、いつだって“人間の欲”というものは、あとからあとから湧いてくるものなのです。

子どもに“こうなってほしい”“こうさせたい”というものは、本当に毒以外の何物でもありません。

“どうなりたいか”

“何をしたいか”

“どうありたいか”

そのような気持ちを育てていくという気持ちを、“忘れてはいけないよな”と感じる7歳の冬です。

hidakaにもまた、私は“母としてどうあるべきか”を育てられているんですね。

 

言葉の遅れ hidaka発達記録 3歳5カ月 生活

 

この頃のhidakaは、既読症と呼ばれるハイパーレクシアな特性が大きく出ておりました。

興味関心も偏っていて、偏りをなくしたいと苦手なことに注目することが多かったのですが、「好きこそ物の上手なれ」ということわざが心に響き、好きな事を広げてあげたいと感じるようになっていきました。

スポンサーリンク

▼時計を教える

私がチラチラと見る時計に、hidakaが興味を示し始めました。

大好きな数字が書かれていて、hidakaが好きな針がくるくると回転するものです。

「とけい~」と早速言葉にしていました。

ちょっと早いかな?と思ったのですが、「好きこそ物の上手なれ」です。

紙に時計の針の様子を描き、横に“○じ”というように、目で見てわかりやすく提示してみました。

すると大層気に入り、食い入るように見ておりました。

「今なんじ?」と聞くと、他の質問には応えない事が多いのに、「○じ!」と精度はまずまずでしたが、必ず応えてくれるのでした。

それからhidakaはまたするすると時計の原理を理解し、何時を覚えると、半という区切りも覚え、5分刻みに60進法というものにも抵抗なく、少し教えると完全に読めるようになっていきました。

▼曜日を教える

規則があるものが好きなようで、見通しがたつと、日の流れを掴む事ができるようになるせいか、とても安心する様子でした。

「今日は○ようびだねぇ。」という私の何気ない一言に興味を示し、試しに曜日を教えてみると、これもまたするすると理解し、月・火・水・木・金・土という6日間をマスターし、日曜日はパパがお休みというので、区切りになり、1週間という感覚を身につけるのでした。

本当に「好きこそ物の上手なれ」です。

「今日はなんようび?」と聞くと、「○○!」と自信気に応えるのでした。

▼すうじのうた

療育の臨床心理の先生が教えてくれた“すうじのうた”。

療育の現場では、定番ソングなのでしょうか?

「すうじの1は なぁに?~♪ こうばのえんとぉつ!」というように、工場の煙突が描かれたフラッグを振るというように、数字を歌で絵と組み合わせるというものです。

hidakaはこの歌が大好き。

家に帰っても、よくよく歌っておりました。

クッションマットで、アルファベットと数字がパズルのようになったマットが我が家にあったのですが、よくそのマットの数字の部分を持ち歩き、歌いながら療育先で見た絵をイメージして、ころころさせたり、自分の耳に当てたりしてました。

▼目が合わないことが気になる

少し離れた場所だと目が合うhidaka。

(→「目が合いにくい子」=「自閉症」なのでしょうか?間違いなく言えるのは生まれつきコミュニケーション能力が低い子なんです!

コミュニケーション能力が育ってきたこの頃のhidakaは、私への注目が増え、必然的に目が合う事が増えておりました。

でも、同時に近くで目を合わせようとすると、スッと目線を反らすことが気になってきました。

顔を覗き込むと、近くでお世話すると、何かを言い聞かせようと手をとると・・・・・

hidakaは、私の目を覗き込む事はありません。

目線はスッとはずされ、時計か、文字があるもの、外の世界やカレンダーというように、私以外の物をその目に映そうとするのです。

「子どもは皆そう」と思っていた時と違い、「hidakaは目が合いにくい」ということを知ってしまった私は、その瞬間、心にズンと鈍く響くものを感じてしまっていました。

目を反らされるというのは、いつだって信頼感・安心感を失い、不信感さえ湧いてしまうというものなのです。

このまま大人になってしまうことを考えると、いつかhidakaにとって不利益になることも多々あることでしょう。

少し働き掛けてみる事にしました。

遊びのように「ママの目をみて!」と言ってみたのです。

そうすると、私の目を指差し目が合いました。

目が合う?ちょっと違うかもしれません。

hidakaは私の目ではなく、目玉を見ていましたから。

目を合わせるという感覚は身につくのか・・・・?ということを、とても心配しておりました。

こんな遊びをとり入れたり、話しを聞いて欲しい時など、信頼感を得たい時に、「ママの目をみて。」(できるだけ優しく)と働き掛けておりました。

するといつしか、hidakaは私の目から感情を読み取ろうとするようになってきました。

抵抗がなくなったのでしょうか?

目は合いにくいとは思いますが、目を合わせる事に抵抗はなくなった様子が、今の状況です。

▼数を数えるのが流行る

この頃のhidakaは暇さえあれば、1・2・3・4・5・6・7・・・・・数を数えておりました。

数字は1・2・3・・・・・というように、1ずつ大きくなっていくという事に安心感を覚え、呪文のように唱えていたのです。

不思議なものです。特別教えた事もないと思うのですが、一緒に数えている中でなのか、大きな桁までどんどん数えられるようになっていったと記憶しております。

▼認知が広がっていった

視覚優位だったhidakaに絵カードや絵本を使い、言葉を教えていたのですが、同時に認知というのも広がりが見られました。

「○○行ってから○○ねー」と説明すると、わかっている様子でした。

気に入らない時は「だめ!」と言う事もありました。

変わりにどこに行きたい等の、自己主張はまだまだ難しい感じでしたが・・・・。

▼自分の状況を伝える言葉を復唱する

「わからない」「わかったよー」「だいじょうぶ」「おなかすいたー」「さむい」「あつい」「おいしい」「いらない」

このような言葉をhidakaはまだ自分で扱う事ができませんでした。

私が、その時々のhidakaの内的な感情を想像し、言葉にしてあげると、一致するときは繰り返し、一致しないときは「・・・・」と無言というので表現していました。

でも、その精度というのも、まだ確実に!とは言えないものでしたが・・・・

何ともコミュニケーションが取りにくいというのは、暮らしにくいものです。

▼人ごみに慣れ始めた?

人が大勢集まる環境に身を置くことが苦手だったhidaka。

でも、その苦手というのも、自分に注目がない環境で、ママやパパが一緒という状況であれば、耐えられるものへ変わっていっている様子でした。

入園予定の幼稚園の発表会に練習と思い、足を運んでみたのですが、大人しく観ておりました。

前の日にパンフレットをみせ、「はっぴょうかい、あした、いくよ」と伝えると、「はっぴょうかい!」と言葉を繰り返し、楽しみにしている様子でした。

帰り道でも「はっぴょうかい!たのしかったー」とご機嫌な様子でした。

“たのしかった”という言葉も、3歳当初は使う事ができず、“楽しい”というものが、目に見えないから、分からない様子でした。

でも、hidakaが楽しそうだった時に、「たのしかったね!」とたくさん声掛ける事によって、分かるようになった感情です。

使えるようになったのですね。

▼お友達が大切

一人っ子のhidaka。

兄弟が多い子のお家に比べると、興味や関心が偏っているということもありますが、みんなで遊べるおもちゃというのが少なく、交友関係を大切にしていた私たちは、夫婦でおもちゃの購入を考えていました。

その会話の中で

私「うちは面白いおもちゃが少ないかも。(何か面白そうなおもちゃ買おうか?というニュアンス)」

パパ「つまんなかったらお友達遊びにきてくれなくなるねー。(よし!何か興味惹かれて、またhidakaの家で遊びたい!となるようなおもちゃ買ってみるか!というニュアンス)」

それを聞いていたhidakaが、わぁーと泣きだしました。

深い意味はなかったのですが、不安にさせて可哀そうなことしました。

それだけ、お友達が遊びに来てくれるというのは、hidakaにとって嬉しいものになっていたのですね。

▼泣きマネができるように

ジェスチャーがない。嘘がつけない。模倣がない。

よく聞く自閉症スペクトラム児の幼少期の特徴です。

3歳。発達障害の疑いに気が付いたとき、私はネットでそのような情報を目にして、本当にこの世の終わりのように絶望しました。

何ともよく当てはまっていたからです。

完璧にすべてではありませんでしたが、hidakaの事をこれは言ってるのではないか?と感じる程、当てはまる項目が多かったからです。

今から考えれば「そうだよなぁ。だってhidakaには自閉症スペクトラムの傾向があるんだもの。」と納得しています。

でも、あの時の恐怖感はとても大きなものでした。

正体の知らないものというのは、とても怖いものなのです。

ジェスチャーすることはないでしょう。

嘘はつけないに決まっている。

模倣は生涯しないでしょう。

と思っていました。

そこには、hidakaではない、hidakaの将来像ができあがっていたのです。

ある事ない事本当にたくさん悩まされました。

でも、半年ほど経ち、コミュニケーション能力・認知が発達してきたhidakaは、“泣きマネ”をしはじめました。

“泣きマネ”で、自分の思いを訴えようとしたのです。

大きな成長です。

黙って目をつぶって、目をさわるだけでしたが、そうすると私たちが心配し、思いを感じとろうとするということを知ったのですね。

7歳のhidakaは、都合のいい嘘も使うようになってきました。

人の気持ちに敏感な私は、パパの嘘を見抜くのは得意ですが、ちょっと変わった雰囲気のあるコミュニケーション下手なhidakaの嘘はとてもわかりにくいです。。。

▼待つということを身につける

何の事はない、銀行のATMです。

コミュニケーションの取りにくいhidakaに、「大人しく待っていてね!」というのは、何とも手応えのなく、落ち着かないものでした。

思ってもいないところにパーっと走り出すイメージもあり、ちょっと銀行で用事を済ませたいときも、使っていない携帯を持たせ、その過集中な傾向と電子機器大好きを利用し、待たせていた事もあります。

でも、小道具は必要なくなりました。

「ちょっと大人しく待っててね。すぐ終わるから!」と言うと、ママが銀行のATMで操作するという“ちょっと”の感覚が見え、どのくらい待てばいいのかということがイメージできたのか、落ち着いてそばで待っていました。

これだけのことなのですが、ぐっと一緒に過ごしやすくなりました。

 

まとめ

3歳の頃のhidakaの事を振り返っていると、本当に大変な子育てをしてきたんだなぁと、少し客観的な気持ちになる自分がいます。

過ぎてしまった時間は、いつしか形をなくし、いい思い出だけが心に残るようにできているのかもしれません。

でも、作ってきた時間が、今のhidakaを作っているんだと思います。

そして、今作る時間というものが、これからのhidakaを作っていくものになっていきます。

「子どもをどうしたか」ではなく、「子どもがどうしてほしいのか

なんだと思うのです。

「幸せになれるか?」ではなく、「与えられた温かい時間が幸せにしていってくれる」

そんな気持ちで、寒い冬ですが、“温かい時間をできる限り与えていきたい”と思っております。

 

お読みいただきありがとうございます!

 

風邪の流行も迫っておりますが、クリスマスにお正月、“家族の温かい時間”を楽しめるように気をつけてお過ごしください。

 

 

 

 

Pocket

スポンサーリンク


スポンサーリンク


Difficult children 人気記事