「発達障害」=「犯罪を起こしやすい特性」なのですか?発達障害の偏見 偏見や差別はどうしたらなくなるのでしょうか

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ご訪問いただきありがとうございます。

今日は朝からネットでニュースを見ていました。TVはすっかり観ないのが習慣になっているので世のニュースはネットで見ております。

・・・ちょっと色々考えさせられるニュースが大々的に取り上げられている事が気になりました。

 

今ネットで騒がれている24時間テレビにも出演予定だった某俳優が起こした事件です。

このブログはそういう話題を紹介する場所ではないので事件の内容は書きませんが、発達障害・発達障害グレーゾーン・育てにくい子をテーマにこのブログを運営しているので、ネットでこの事件と発達障害という言葉が組み合わさっているのをみて内容を見ずにはいられませんでした。

 

「発達障害」=「犯罪を起こしやすい特性」なのですか?発達障害の偏見 偏見や差別はどうしたらなくなるのでしょうか

 

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偏見とは?

偏った見方のこと。中性ではない意見。偏見の大部分は否定的なものであり差別と密接な関係を持つ。

 

30年間発達障害という世界とは無縁に暮らしておりました。息子が発達障害かもしれないと思う以前は一般の人の感覚に近いのではないかと思います。その発達障害が持っている偏見の正体も知っているつもりです。どんな偏見を持っていたのか少し思い出してみたいと思います。

 

息子が発達障害を疑われ調べる前の知識

発達障害という言葉は知らなかったんです。

自閉症という言葉はテレビでみた障害を乗り越えたピアニストという特集で一度聞いただけで曲を弾けてしまうという能力を披露している方を見て知りました。対人面で苦労されているのかなと感じました。

電車やエレベータに乗ったときに繰り返し独り言のようにアナウンスを繰り返す人をみて何か障害があるのかな。と思ったりしておりました。乱暴なイメージはなかったのですが、何を考えているのかわからないという意味では近づきたいと思うことはなく、注目しないように距離をとっていました。

 

発達障害を調べた後の知識

自分の経験のなかでイメージ出来る人を探してしまいました。息子がどんな風に成長していくのかを知りたかったのかもしれません。記憶を遡り、まだ覚えている小学生の頃を思い出しました。クラスで浮いてしまっていた子を何人か思い出しました。行動が幼く、人の嫌がる事をして嫌われてしまっていた子。些細なことで急にカッとなってしまい机や椅子を投げつけようとしてしまう子。場の空気が読めず突拍子もないことを言ってしまい反感をかってしまった子。その子たちが発達障害だったかグレーゾーンだったかどうかは知りません。ネットで調べた特性を考えていて勝手に思い出してしまったのです。

そしてネットで調べていたときに、その衝動性を抑える事ができないという言葉や相手の気持ちが理解できないと書かれている文面をみて“怖い”と思ってしまったことも確かです。

 

息子の発達と向き合い関わっていった中で得た知識

発達障害にはADHD・自閉症・アスペルガー症候群という種類があること。それぞれの特性により困難を感じるところが違う事。育て方や環境による後天的なものではなく、脳の障害であり先天的なものであることを知りました。

そして自分の息子の事をわかろうと努力しました。何を感じ、何が難しく、どう見えているのか。何を考え、どうしてあげる事が必要なのか。どうやって社会と適応させていけばいいのか。どうすれば2次的な障害を防ぐ事ができるのか。

その中で発達障害やその特性を一部抱え向き合っている人たちがいることを知りました。発達に心配を抱える子の親の気持ちもわかるようになりました。そして周りの人の気持ちも考えるようになりました。

知らなかった頃よりも“怖い”という気持ちはなくなりました。みんな一生懸命生きているのです。温かい気持ちで見守り受け入れ応援したいという気持ちが湧いてきました。

 

まとめ

偏見というのは偏った知識や間違った認識しかないから起こってしまうのではないでしょうか。中性的なものの見方というのはいろいろな考えや正しい知識、実際に経験した人の生の声すべてを知らないと難しいのではないでしょうか。

例の事件と発達障害という言葉を並べると発達障害の偏見や差別を強めてしまうのではという心配の声が上がっているようです。そういう働きが出る事でまた発達障害の新たな側面を一般の人に広める機会になったのではないかとも思うのです。

発達障害というものを一般の人が知らないから「発達障害」=「犯罪を起こしやすい特性」という間違った認識が広がってしまうのではないでしょうか。

そうではないんだよという声が上がればまたひとつ知識が増え、偏った考えがまん中に近づいていくのかもしれません。

一般の人の知識、発達障害当事者・家族の知識、専門家の知識いろいろな側面からの知識が揃えば発達障害への偏見もなくなっていくのかもしれません。

 

発達障害の認識が広がっていき少しでも偏見がなくなっていくことを願っております。

 

hidakaが発達障害かもしれないと思った時、ひどく絶望したんです。

それは生きにくい人生を歩ませてしまうかもしれないということだけではなく、世の中の偏見の存在も知っていたからです。もしかするとありのままの姿を見てもらう事ができず、特異な部分のみ注目されてしまったり少ない知識でhidakaの事を想像されてしまうかもしれないと。

偏見で見られることなくその子のありのままを見ていってもらえるのならば私もあんなに絶望しなかったのではないかなと思い返したりしました。

 

これからの発達に心配のある子、その子を抱える親の為に私が持っている側面の知識も未熟なものもありますが、提供できればと思っております。

 

お読みいただきありがとうございました。

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